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第349回 シーズン35 エピソード9
熱力学第二法則(前編)ケルビンの原理

登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。

ミルカさん:数学が好きな高校生。 のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。

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熱力学の《鍵》

テトラちゃんミルカさんは、図書室で熱力学の話をしている。

僕たちは熱力学第一法則エネルギー保存則についておしゃべりを続けていた(第348回参照)。

「ニュートン力学の《仕事》や《エネルギー》が熱力学にも出てきて、エネルギー保存則も出てくると、 確かに熱力学も物理学なんだなと感じるね」

ミルカ「では、ニュートン力学と熱力学の最大の違いは何か」

「違い?」

ミルカ熱力学を、熱力学たらしめている《鍵》は何かといってもいい」

テトラ「《鍵》……?」

「難しい問いだね」

テトラ「熱力学では《熱》が出てきますよね。でも、ニュートン力学に《熱》は出てこない……ということではだめでしょうか?」

「そういうことじゃないと思うけど」

ミルカ「そういうことだ。熱力学には《熱》が出てくる。それは確かに熱力学の最大の特徴の一つ。しかし『《熱》が出てくる』だけではつまらない。テトラ、《熱》とは何?」

テトラ「《熱》とは先ほどからお話に出てきているものですよね。エネルギー……です」

「エネルギーはエネルギーだけど、《熱》は《仕事》と同じように、系が持つエネルギーを変化させるものだよね、テトラちゃん」

テトラ「そうでした。《熱》や《仕事》は状態で決まるものではありません。過程で決まるものでした(第347回参照)」

「《熱》と《仕事》が同じような位置付けになるということは、熱力学第一法則 $\Delta U = Q + W$ でも表せているね。《熱》と《仕事》は足し合わせることができるんだから」

ミルカ「《熱》と《仕事》が同じ物理学的な次元を持っていることがわかる」

「うん、エネルギーと同じ次元」

ミルカ「そこで、次の問いが浮かぶ。《熱》と《仕事》では何が違うのか

「それが、熱力学の《鍵》になるの?」

ミルカ「そう考えてもいい。ニュートン力学では《仕事》を使ってエネルギーの変化を考える。 熱力学では《仕事》だけではなく《熱》も使ってエネルギーの変化を考える。 《仕事》だけでは表せない何かがあるわけだ。《仕事》とは異なるものとしての《熱》を理解するためには、《熱》と《仕事》は何が違うのかを明確に理解する必要がある」

テトラ「《熱》と《仕事》の違い……」

「……思い出した。ミルカさんが言いたいのは熱力学第二法則のこと?」

テトラ「熱力学第二法則」

ミルカ「名前が先に出てしまったか。君のいう熱力学第二法則とは何か」

「正確には覚えていないんだけど、《熱》と《仕事》がどう違うかを明確に表したもので、 こういうことじゃなかったっけ?」

《熱》と《仕事》の違い(?)

  • 《仕事》を《熱》に変えることはできる。
  • 《熱》を《仕事》に変えることはできない。

ミルカ「ふうん……方向性は合っているが、不正確だな」

「うん、だから、正確には覚えてないんだって」

ミルカ「《仕事》を《熱》に変えることができるのはいい。 しかし、《熱》を《仕事》に変えることはできないと言ってしまうのはさすがにまずい」

「でも、そういうことじゃなかったっけ?」

ミルカ「それでは火力発電所が全否定されてしまう。蒸気機関がありえない機械になってしまう。バーナーで空気を温めて上昇する熱気球はどうなる」

「そうか。火力発電所も蒸気機関も熱気球も、《熱》を《仕事》に変えているか……」

テトラ「……」

ミルカ「《熱》と《仕事》の違いについて、ざっくりと表現するにしても、せめてこのようにしたい」

《熱》と《仕事》の違い

  • 《仕事》のすべてを《熱》に変え続けることはできる。
  • 《熱》のすべてを《仕事》に変え続けることはできない。

「うん、そうだね。確かにそうだ」

テトラ「お、お話中すみません。《仕事》を《熱》に変えたり、《熱》を《仕事》に変えたりというお話なのはわかりましたが、 そもそも、その熱力学第二法則はどういうものでしょうか。 ニュートン力学と熱力学の違い……熱力学を熱力学たらしめているもの、なんですよね?  お話をどのように頭に収めていけばいいのか、まだ分かっていないんです」

テトラちゃんはそういって、両手を頭に乗せた。

ミルカ「では改めて、可逆過程から話していこう」

可逆過程

ミルカ「このような、可動壁を使った系で一つの過程を考える。 可動壁にバネがついている。最初の状態1から、可動壁を押してバネを縮める。これを状態2とする」

可動壁を押してバネを縮める過程

テトラ「ぎゅうっと押す」

ミルカ「そして、この過程とは逆に、状態2から状態1へ戻す過程も存在する。 すなわち、この二つの状態は行き来できることになる。 このような過程を一般に、可逆過程という。可逆性を持つ過程ともいう」

この過程には、もとの状態に戻す過程が存在する

テトラ「可逆性……もとの状態に戻すことが可能ということですね」

「なるほど。《仕事》を考えるのに可動壁を考えるのは自然だね。 《力》を掛けて可動壁の《位置》を変化させると、その《力》はバネに対して《仕事》を行ったことになる。 バネに対して行った《仕事》は、バネが持つ力学的エネルギーの増加となる。バネの弾性力に関する位置エネルギーの増加ということだけど」

テトラ「はい」

「そして逆の過程では、バネが持つ力学的エネルギーは《仕事》として取り出せることになる」

ミルカ「そういう話につながる」

「《仕事》と《熱》を対比して考えるとき、 可動壁と透熱壁を対比して考えればすっきりするね!  可動壁は力学的なエネルギー移動である《仕事》に関連していて、 透熱壁は熱力学的なエネルギー移動である《熱》に関連しているから、当然か……」

テトラ「えっえっ?」

ミルカ「いまの彼の発言が、次の話題になる。不可逆過程だ」

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(2022年2月4日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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