登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
ミルカさん:数学が好きな高校生。 僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
僕とテトラちゃんとミルカさんは、図書室で熱力学の話をしている。
僕たちは熱力学第二法則をケルビンの原理を通じて学んでいた(第349回参照)。
熱力学第二法則(ケルビンの原理)
系が外界にある一つの熱源から《正の熱》を受け取り、 それに等しい《正の仕事》を外界に対して行うサイクル過程は存在しない。
僕「……さっき話していた《熱》と《仕事》の違いが本当に理解できた実感があるなあ」
《熱》と《仕事》の違い(再掲)
テトラ「せせせ先輩!」
僕「どどどどうしたの?」
テトラ「あたしっ、熱力学第一法則と第二法則と《お友達》になれるかもしれません!」
ミルカ「急に盛り上がったな」
テトラ「あのですね、あたし思うんですが……こういうことですよねっ!」
僕「確かにそうだね!」
テトラ「ですよね。《熱》と《仕事》は、どちらもエネルギーの出入りという意味では似ています。 でも、《熱》と《仕事》は、エネルギーの出入りについて違う振る舞いをしますから」
ミルカ「そういうことになる。そして、ちょうどこの二つの熱力学の法則それぞれに対応して、永久機関を考えられる」
テトラ「永久機関?!」
僕「それは議論として考えられるって意味だよね。永久機関が実際に存在するわけじゃないから」
ミルカ「そういう意味」
テトラ「永久機関……それは、あれですよね。 永久に動き続ける機械。止まらない機械。 人間がいなくなったとしてもずっと動き続けているメカニズム……」
ミルカ「永久機関という表現を『永久に動き続ける機械』という意味で使う場合もあるが、 物理学の文脈では『永久に仕事をし続ける機械』と呼ぶ方が適切になる。もちろん正の仕事だ」
僕「なるほど」
テトラ「『永久に動き続ける』と『永久に仕事をし続ける』は違うんですか?」
僕「違うよね、テトラちゃん」
テトラ「ええと、何となくはわかります。わかりますが……はっきり説明はできないですね」
ミルカ「《定義にかえれ》」
テトラ「定義……仕事は《力》×《距離》です。あ、《力》が一定の場合ですが。《力》の有無が違いますね。動き続けるだけなら《力》は関係ない?」
僕「そうだね。 《力》が掛かっていない物体は、静止しているか等速直線運動を続ける。 慣性の法則だ。 等速直線運動を続ける物体は永久に動き続けているけれど、何の仕事もしていないことになるよ」
テトラ「なるほど。 永久機関を『永久に動き続ける機械』としてしまうと、 すうっとすべっていく物体も永久機関になってしまうんですね」
僕「うん、そうなっちゃう。それは違うよね」
ミルカ「永久機関、つまり『永久に仕事をし続ける機械』がもしも存在したら、 その機械を使って永久に力学的エネルギーを取り出せることになる」
テトラ「エネルギーが枯渇しないっ! エネルギー問題の完全解決ですかっ!」
僕「永久機関は存在しないから、そういう形でエネルギー問題が解決することはないわけだけどね」
テトラ「そうですよね……だって、永久に仕事をし続ける機械があるとしたら、エネルギー保存則に反しますから」
僕「うん。だから、エネルギー保存則が成り立っているという要請を認めるならば、永久に仕事をし続ける機械は存在しないことが導ける」
ミルカ「そこだよ。そこは一つの注意点だ」
テトラ「え?」
僕「違った?」
ミルカ「永久機関には二種類ある。いま言ったエネルギー保存則に反する永久機関は、第一種永久機関の方だな」
第一種永久機関
外界からいかなる形でもエネルギーを受け取ることなく、 外界に対して《正の仕事》を行うサイクル過程を第一種永久機関という。
第二種永久機関
外界にある一つの熱源から《正の熱》を受け取り、 それに等しい《正の仕事》を外界に対して行うサイクル過程を第二種永久機関という。
テトラ「二種類?」
ミルカ「熱力学第一法則はエネルギー保存則だ。 $\Delta U = Q + W$ だから、$$- W = Q - \Delta U$$がいえる」
テトラ「はい」
ミルカ「だから、系が外界に《仕事》として放出できるエネルギーは、 外界から《熱》という形で与えられた分のエネルギーと、自分がもともと持っていた内部エネルギーを減らした分のエネルギーでしかない。 どこからもわき出ることはない」
テトラ「そうですね。だから、永久に《仕事》をし続けることがないのではないんでしょうか?」
ミルカ「そうだ。それが、第一種永久機関。エネルギーがどこからもわき出ることはないとしたら、第一種永久機関は存在しない」
テトラ「第二種永久機関は違うんでしょうか」
ミルカ「もしも、ケルビンの原理を破っても構わないなら、エネルギー保存則を破ることなく、実質的な永久機関が可能になる」
テトラ「……わかりません」
ミルカ「系が熱源から《熱》という形で吸収するエネルギーをすべて《仕事》に変えることができる機械があったとしよう。 たとえば熱源として大気を考えると、その機械は大気の《熱》を取り込んで《仕事》に変換してくれる。 得た《仕事》で発電機を回せば電気エネルギーになって便利だな」
テトラ「それは電気エネルギーがわき出てきているので、エネルギー保存則に反していますよね?」
ミルカ「そうではない。ちゃんと《熱》という形でエネルギーを吸収し、《仕事》という形で放出しているから、エネルギー保存則には反していないことになる」
僕「いや、ちょっと待って。 その機械が大気から《熱》を取り込んだとしたら、 大気の《温度》が下がるはずだよね。 だとしたらやはり永久には続かないんじゃない?」
ミルカ「大気は十分に大きいから、実質的にずっと続くと考えても問題はないけれど、 そこを気にするなら《仕事》の行き着く先も気にしよう。 モーターを回すにしろ、コンピュータを動かすにしろ、 最終的には《熱》という形で同じだけのエネルギーが大気に散逸する。 それは大気の《温度》を上げることになる」
僕「そうか……」
テトラ「二種類の違いは、だいぶわかりました。こういうことですね?」
ミルカ「そう」
テトラ「第一種永久機関は、何もないところからエネルギーがわき出るような機械で、 それは熱力学第一法則というエネルギー保存則に反することになります。 それから第二種永久機関は、入ってきた《熱》のすべてを《仕事》に変換し続ける機械で、 エネルギー保存則には反していないけれど、熱力学第二法則に反していることになる……ということだと理解しました」
ミルカ「そういうことだ」
テトラ「と、ところでこれって……証明されていることなんでしょうか?」
ミルカ「熱力学第一法則と熱力学第二法則は、物理学の理論を構築するための要請だ。 これらの要請をいわば公理として認めるならば、第一種永久機関が存在しないことも、第二種永久機関が存在しないことも証明されているといえる」
テトラ「……ですよね、きっと。で、でも、あたしが気になるのは、 ではその要請……熱力学第一法則と熱力学第二法則そのものは本当に成り立っているのか……ということなんですが」
ミルカ「現在の人類がこの宇宙を観察し、そこから理解している範囲では、本当に成り立っているといえる」
テトラ「……」
ミルカ「物理学の要請は、この宇宙に対する現在の人類の理解を表現したものと考えてもいい。 熱力学第一法則と熱力学第二法則は、 とてつもなく膨大な経験則と実験結果に合致する主張だ。 だからこそ理論を構築するための要請としている」
テトラ「経験則?」
ミルカ「人類が宇宙について学んだことは、とどのつまりすべて経験則ではないのかな。 そもそも、私たちが住むこの宇宙には法則があるということ自体、人類が長い歴史を経て得た経験則だ」
テトラ「なるほど……」
ミルカ「物理学の問題は宇宙が与えてくれる。解答の答え合わせも宇宙で行うしかない」
僕「実験結果と整合するか、ということだね」
【CM】
ユーリ「はいっ、ここでCMでーす。 科学的な研究では実験が大切だと示したのはガリレオ。 そんな話から始まる一冊がこちらでーす!」
ミルカ「さて、ケルビンの原理から、《熱》のすべてを《仕事》に変え続けることはできない。 それはエネルギー保存則のためにできないのではなく、 《熱》という形でのエネルギー移動のためにできないと考える」
僕「テトラちゃんが言ったように、熱力学第二法則は《熱》と《仕事》がどんなふうに違うかを述べているわけだね。 なるほど、熱力学第二法則は確かに『熱力学を熱力学たらしめている《鍵》』なんだな(第349回参照)」
ミルカ「《熱》のすべてを《仕事》に変え続けることはできない。としたら、次に考えたくなることがある。それは何か」
ミルカさんの問いに、テトラちゃんがさっと手を挙げる。
ミルカ「はい、テトラ」
テトラ「《熱》のうち、どのくらいまでなら《仕事》に変え続けられるかを考える……んでしょうか?」
僕「そうだね! 《すべて》じゃなければ、いったい《どのくらい》ならば大丈夫か、だよね」
ミルカ「そう考えたくなる。それを熱効率という。カルノーサイクルを使って熱効率を考えよう」
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