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第115回 シーズン12 エピソード5
イチをイチと呼ぶために(前編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』として書籍化されています。

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登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

ユーリのいとこの中学生。のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだけれど飽きっぽい。

$ \newcommand{\TEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\REMTEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\MATAWA}{\mathrel{\REMTEXT{または}}} \newcommand{\KATSU}{\mathrel{\REMTEXT{かつ}}} \newcommand{\LEFTRIGHTARROW}{\quad\Longleftrightarrow\quad} \newcommand{\LEFTARROW}{\quad\Longleftarrow\quad} \newcommand{\RIGHTARROW}{\quad\Longrightarrow\quad} \newcommand{\MAT}[4]{\left(\begin{array}{cc} #1 & #2 \\ #3 & #4 \end{array} \right)} \newcommand{\UL}[1]{\underline{#1}} \newcommand{\UUL}[1]{\underline{\underline{#1}}} \newcommand{\RELATED}{\dashleftarrow\dashrightarrow} $

僕の部屋

「……という具合。 そういう行列の話をしてたんだよ。 テトラちゃんと、それからミルカさんと(第113回参照)(第114回参照)」

ユーリ「そっかー。虚数も作れちゃうんだー」

「行列はおもしろいよね」

ユーリ「ねーお兄ちゃん。 行列でゼロみたいなのとか、イチみたいなもの作ったじゃん? そんで、虚数も作れるんだったら、どんな数でも作れるのかにゃ?」

「《どんな数でも》というのを、きちんと考えるのは難しそうだけど、 少なくとも複素数なら行列で表せるってことだね」

ユーリ「$0$ みたいな行列……零行列は $\left(\begin{array}{cc} 0 & 0 \\ 0 & 0 \end{array} \right)$ で、 イチみたいな行列は…名前なんだっけ」

「単位行列」

ユーリ「それな。 $1$ みたいな行列…単位行列 $\left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ もできたっと。 $2$ とか $3$ とかもすぐできるよね。 だって、単位行列を足せばいいもん」

《$2$ みたいな行列を作る》 $$ \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 2 & 0 \\ 0 & 2 \end{array} \right) $$

「そうだね。その考えを、いっp…」

ユーリ「はいはい! お兄ちゃん得意の《一般化》でしょ? おんなじようにして、 《整数みたいな行列》はぜんぶ作れちゃうよね」

《整数みたいな行列》

$$ \left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right) $$

ただし、 $n$ は整数($\ldots,-3,-2,-1,0,1,2,3,\ldots$)とする。

「うん、確かにこれは《整数みたいな行列》だね。 整数とまったく同じように、ゼロがあって、イチがあって、足し算と引き算ができる」

$$ \begin{array}{ccc} \REMTEXT{《整数の世界》} & & \REMTEXT{《行列の世界》} \\ 0 & \RELATED & O = \left(\begin{array}{cc} 0 & 0 \\ 0 & 0 \end{array} \right) \\ 1 & \RELATED & I = \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) \\ n & \RELATED & \left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right) \\ -n & \RELATED & \left(\begin{array}{cc} -n & 0 \\ 0 & -n \end{array} \right) \\ m + n & \RELATED & \left(\begin{array}{cc} m & 0 \\ 0 & m \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} m+n & 0 \\ 0 & m+n \end{array} \right) \\ m - n & \RELATED & \left(\begin{array}{cc} m & 0 \\ 0 & m \end{array} \right) - \left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} m-n & 0 \\ 0 & m-n \end{array} \right) \\ \end{array} $$

ユーリ「ふむふむ!」

「ユーリが一般化してくれた $\left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right)$ はこんなふうに書くこともできるよ」

$$ \left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right) = n \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) $$

ユーリ「えーと? これ、驚くトコ? 《うわ、すごいね、なるほど!》とか」

「いや、そういうすごい話じゃないよ。 たとえば、 $\left(\begin{array}{cc} 2 & 0 \\ 0 & 2 \end{array} \right)$ は $2 \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ と書くこともできるよという話」

ユーリ「えーと? それって当たり前じゃないの? だって、 $x$ を $2$ 個足したら $2x$ って書くじゃん?」

「それは、この $2 \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ という書き方が自然だからだね。 これは書き方を説明しているだけ。 『数と行列を並べて書いて、行列の各成分にその数を掛けた行列を表す』 ということだね」

ユーリ「そんなサラサラサラっと、ややこしーこと言わないでよ。 もっかい言って」

「$2$ のような数と、 $\left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ のような行列を並べて書く」

ユーリ「うん」

「それが、《行列の各成分にその数を掛けた行列》を表す」

ユーリ「あ、わかった。こーゆーこと?」

$$ 2 \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 2\times1 & 2\times0 \\ 2\times0 & 2\times1 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 2 & 0 \\ 0 & 2 \end{array} \right) $$

「その通り。ちゃんと自分で例を作ったのは偉いな、ユーリ。 《例示はりk…」

ユーリ「《例示は理解の試金石》でしょ? とにかく例を作ってみれば、 わかってるかどーかがわかる」

「そうだね。じゃあ、この式は計算できる?」

$$ 3 \left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right) $$

ユーリ「こんなの簡単じゃん。こーでしょ?」

$$ 3 \left(\begin{array}{cc} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 3\times1 & 3\times2 \\ 3\times3 & 3\times4 \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 3 & 6 \\ 9 & 12 \end{array} \right) $$

「そうだね。だから成分は $3,6,9,12$ になる」

ユーリ「何にも難しくない」

「だから、整数 $n$ みたいな行列として考えていた $\left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right)$ は、 $n \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ と書けるし、単位行列を $I$ で表せば $nI$ と書いてもいいね」

$$ \left(\begin{array}{cc} n & 0 \\ 0 & n \end{array} \right) = n \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) = nI $$

ユーリ「にゃるほど」

「いまは整数倍にした単位行列を例にしたけど、行列の前に書く数は、整数に限らないよ」

ユーリ「あー、なるほどね。たとえば、こゆこと?」

$$ \left(\begin{array}{cc} \tfrac12 & 0 \\ 0 & \tfrac12 \end{array} \right) = \dfrac12 \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) = \dfrac12 I $$

「そうだね。また例を作ったね」

ユーリ「ふふん。そっか! この $\frac12 I$ は、《$\frac12$ みたいな行列》になるね!」

「おっと! うん……ええとね。うんうん。確かにそうなっているね……」

ユーリ「なにその気になる言い方」

「ユーリはどうして $\frac12 I$ のことを《$\frac12$ みたいな行列》と思ったんだろう」

ユーリ「来たな《先生トーク》! ……だって、 $nI$ が整数 $n$ みたいな行列なんだから、 $\frac12 I$ は《$\frac12$ みたいな行列》じゃないの?」

「そうだね。そう類推するのは自然だよね」

ユーリ「引っかかるにゃあ……だってそーじゃん! $\frac12 + \frac12 = 1$ でしょ? それと同じことが行列でもいえるもん! $\frac12I + \frac12I = I$ だから!」

$$ \begin{align*} \frac12I + \frac12I &= \left(\begin{array}{cc} \frac12 & 0 \\ 0 & \frac12 \end{array} \right) + \left(\begin{array}{cc} \frac12 & 0 \\ 0 & \frac12 \end{array} \right) \\ &= \left(\begin{array}{cc} \frac12+\frac12 & 0+0 \\ 0+0 & \frac12+\frac12 \end{array} \right) \\ &= \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) \\ &= I \\ \end{align*} $$

$$ \begin{align*} \frac12 + \frac12 &= 1 && \REMTEXT{《数の世界》} \\ \frac12I + \frac12I &= I && \REMTEXT{《行列の世界》} \\ \end{align*} $$

「おお、なるほど。 ユーリが $\frac12I$ のことを《$\frac12$ みたいな行列》と呼んだのは、 数の世界と同じような加減算が行列の世界でもできるからということだね」

ユーリ「加減算……足し算も、引き算も。うん、そう。 でも、それだけじゃないよ。掛け算でもちゃんとなるもん! $2$ と $\frac12$ 掛けたら $1$ でしょ? ちゃんとそうなってるもん!」

$$ \begin{align*} 2I \frac12I &= \left(\begin{array}{cc} 2 & 0 \\ 0 & 2 \end{array} \right)\left(\begin{array}{cc} \frac12 & 0 \\ 0 & \frac12 \end{array} \right) \\ &= \left(\begin{array}{cc} 2\times \frac12 + 0 \times 0 & 2\times 0 + 0 \times \frac12 \\ 0\times\frac12 + 2\times0 & 0\times 0 + 2 \times \frac12 \end{array} \right) \\ &= \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) \\ &= I \\ \end{align*} $$

ユーリ「ほらねー!」

$$ \begin{align*} 2 \times \frac12 &= 1 && \REMTEXT{《数の世界》} \\ 2I \frac12I &= I && \REMTEXT{《行列の世界》} \\ \end{align*} $$

「ユーリはすごいな。ちゃんと行列の掛け算もできるようになってる」

ユーリ「左目と右目の訓練したもん」

「いや、そのギャグは……」

ユーリ「過去記事を再読してというアピールじゃん!(第112回参照)」

「メタ発言禁止」

ユーリ「ね、だから $\frac12I$ は《$\frac12$ みたいな行列》。 ねーねーユーリ、《ミルカさまに一歩近づいた感》ある?」

「では才媛ユーリに聞くけど、《$1 \div 2$》は何だろう」

ユーリ「《$1 \div 2$》は $\frac12$ じゃん。 $0.5$ でしょ?」

「ということは、 $\frac12I$ という行列は、 《$1 \div 2$ みたいな行列》ということだね?」

ユーリ「そー来たか! ……って、それでいーんじゃないの? だって、割り算って、掛け算の逆じゃん? $\frac12 = 1 \div 2$ ってゆーのは、 $2 \times \frac12 = 1$ ってこと。 だから、ほらさっきの $2I \frac12I = I$ と同じだし」

「そうだね。じゃあ、それを《一般化》してみようよ」

ユーリ「一般化?」

「割り算は掛け算の逆。まったくその通り。 ということは、《行列の掛け算》が得意なユーリは 《行列の割り算》も考えられるわけだ」

ユーリ「行列の割り算……お、おおー!」

「たとえば、こういう問題はどうだろう。 単位行列 $I = \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ を行列 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ で《割り算》した結果は、 どうなればいいと思う?」

ユーリ「$\left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ を $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ で割る……てことは、 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ に《何か》を掛けたら $\left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right)$ になるってこと?」

「その通り!」

問題

実数 $a,b,c,d$ が与えられているとする。 次の式を満たす $w,x,y,z$ を求めてみよう。

$$ \left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)\left(\begin{array}{cc} w & x \\ y & z \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) $$

(あなたも、考えてみましょう!)

ユーリ「うわ……お兄ちゃん、 $w,x,y,z$ じゃなくて、 $a',b',c',d'$ で考えてもいい?」

「いいけど、それをやるとごちゃごちゃすると思うよ」

ユーリ「なんで?」

「この問題は、何ができたら《解けた》ことになると思う?」

ユーリ「何ができたらって、 $w,x,y,z$ を求めたら、じゃないの?」

「もちろん。もう少しいうと?」

ユーリ「もう少しゆーと?」

「$w = 123$ や $x = -5$ というふうに $w,x,y,z$ が求まると思う?」

ユーリ「あ、わかった。あのね、そーはなんない。 えーと……うん。《$w,x,y,z$ を、 $a,b,c,d$ を使って表す》とゆーことだね?」

「そう! それがゴールなんだよ。 だから、計算をしていく途中で、 $w,x,y,z$ と $a,b,c,d$ のどちらの文字なのかをいつも注意する必要がある。 だから、 $a',b',c',d'$ を使うとごちゃごちゃすると思うんだよ」

ユーリ「わかった。センセーのおおせの通りに……と、 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)\left(\begin{array}{cc} w & x \\ y & z \end{array} \right)$ を計算すればいーんでしょ?」

「そうだね」

$$ \begin{align*} \left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)\left(\begin{array}{cc} w & x \\ y & z \end{array} \right) &= \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) && \REMTEXT{問題の式} \\ \left(\begin{array}{cc} aw+by & ax+bz \\ cw+dy & cx+dz \end{array} \right) &= \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) && \REMTEXT{左辺を計算した(行列の積)} \\ \end{align*} $$

ユーリ「計算できた」

「ではいつものポリアの問いかけだよ。《求めるものは何か》」

ユーリ「求めるものは、 $w,x,y,z$ だよん。 求めるというのは、 $a,b,c,d$ で表すこと」

「そうだね」

ユーリ「てことは、 $aw+by = 1$ や $ax + bz = 0$ なんかを使って解くんでしょ?」

「そうそう。連立方程式を解くことになる」

《解くべき連立方程式》

$$ \left(\begin{array}{cc} aw+by & ax+bz \\ cw+dy & cx+dz \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array} \right) $$

$$ \left\{\begin{array}{llll} aw + by &= 1 && \cdots \REMTEXT{(1)} \\ ax + bz &= 0 && \cdots \REMTEXT{(2)} \\ cw + dy &= 0 && \cdots \REMTEXT{(3)} \\ cx + dz &= 1 && \cdots \REMTEXT{(4)} \\ \end{array}\right. $$

ユーリ「あ、わかったかも」

「いやいや、これを暗算は無理だろう」

ユーリ「違うの。さっきお兄ちゃんが言った『$a',b',c',d'$ だとごちゃごちゃする』 の意味がわかったの。確かにそだね」

「じゃあ、連立方程式を解いてみよう。文字を消していくんだよ。 最初は(1)と(3)を使って……」

ユーリ「ちょっと待ってよ。ユーリが解くんでしょ? (1)と(3)で、ええと、 うん、 $y$ が消せる!」

$$ \left\{\begin{array}{llll} aw + by &= 1 && \cdots \REMTEXT{(1)} \\ cw + dy &= 0 && \cdots \REMTEXT{(3)} \\ \end{array}\right. $$

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(2015年5月1日)

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この記事は『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』として書籍化されています。

書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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