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第92回 シーズン10 エピソード2
イリュージョンの代償(後編)

$ \newcommand{\TEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\REMTEXT}[1]{\textbf{#1}} $

の部屋

ユーリは、不等式の問題を考えている。 ユーリがあおるので、ちょっと難しめの問題をが出したところ。

ユーリ「お兄ちゃん、よくゆーじゃん。《例示は理解の試金石》って。 例を出せるかどうかで理解度がわかるんでしょ。 《ユーリがまちがえそーなクイズ》の例を出してよ。 言っとくけど、お兄ちゃんが今日出してる問題、ユーリ全問正解してるからね!」

「むっ……そこまで言われたら、本当の本気を出さないとな! じゃあ、これ」

クイズX

$a,b,c,d$ を実数とする。

もしも、 $$ a > b > c > d $$ とするとき、以下の $A,B,C$ の大小関係について何がいえるか。 $$ \left\{\begin{array}{llll} A &= ab + cd \\ B &= ac + bd \\ C &= ad + bc \\ \end{array}\right. $$

ユーリ「うわなにこれいきなり難しくなってるんですけど!」

「がんばってもらいましょう」

ユーリ「……《何がいえるか》ってどーゆー意味?」

「$A,B,C$ の大小関係を調べるんだけど、 $a,b,c,d$ の値によらず大小関係が決まるとは限らないだろ? たとえば、どういう条件のときに $A > B$ が成り立つとか、 そういうことをすべて考える。 $A,B,C$ という三つの数について」

ユーリ「ぐえー、そーゆーことかー。たとえば、 $a > 0$ で $b < 0$ のときだけ $A > B$ だとか?」

「そう。たとえば、ね」

ユーリ「ぐえー、ユーリにこれ解けんの?」

「解けるよ。絶対に解ける」

ユーリ「ぐえー」

「直観に頼らず、式に頼れば、だけど」

ユーリ「うにゃあ!  $a,b,c,d$ って、文字が四つもあるから場合分けがすごいことになるじゃん! 中学生相手に本気出すなー」

「さっきヒントは出したからね」

ユーリ「ヒント? 出てたっけ?」

「……」

ユーリ「わかった! 《例示は理解の試金石》だから、 まず具体的な数で試してみればいい!」

「お?」

ユーリ「$a > b > c > d$ だから、試しに $a = 4, b = 3, c = 2, d = 1$ 入れてみる。 そうすると……こうだね!」

$$ \left\{\begin{array}{llll} A &= ab + cd = 4\cdot3 + 2\cdot1 = 12 + 2 = 14 \\ B &= ac + bd = 4\cdot2 + 3\cdot1 = 8 + 3 = 11 \\ C &= ad + bc = 4\cdot1 + 3\cdot2 = 4 + 6 = 10 \\ \end{array}\right. $$

「ほう」

ユーリ「てことは、 $A = 14, B = 11, C = 10$ だ! だからね、 まずは $a,b,c,d$ がプラスのときには $A > B > C$ だってことが……あれ?」

「いえないよね」

ユーリ「いえない!  $a,b,c,d$ が $4,3,2,1$ のときは $A > B > C$ だとはいえるけど、 プラスのときにはいつもそう、なんていえない!」

「お兄ちゃんのヒントっていうのは、例を作るのとは別の話だよ、ユーリ。 引き算をするっていっただろ?」

ユーリ「えーと。《大きそうな数》から《小さそうな数》を引くっていう方法?」

「それそれ。それは不等式の証明では定石じょうせきなんだよ」

ユーリ「でも、こんな複雑な式でもうまくいくの?」

「やってみればいい。これは《数式の力》を試すいい問題だよ」

ユーリ「ユーリ、お兄ちゃんみたいな力ないもん」

「違う違う。《数式の力》って言ったのは、 数式を変形する力のことじゃなくて、数式が持っている力のこと。 数式には問題を整理する力があるんだ」

ユーリ「へー、どーゆー感じ?」

「それを感じるために、引き算やってごらん。ほらほら、 面倒くさがらないで手を動かす動かす!」

ユーリ「へいへい。じゃ、たとえば $A - B$ をやってみる」

\begin{align*} A - B & = (ab + cd) - (ac + bd) && \REMTEXT{$A,B$をそれぞれ$a,b,c,d$で表した} \\ & = ab + cd - ac - bd && \REMTEXT{カッコを外した} \\ \end{align*}

ユーリ「$ab + cd - ac - bd$ になったけど?」

「《条件は何か》……これはポリアの問いかけだよ。 与えられている条件があるよね」

ユーリ「条件は……これかにゃ。 $a > b > c > d$」

「そうだね。言い換えると、 $a - b > 0$ や $b - c > 0$ や $c - d > 0$ などが 与えられているともいえる。大きな数から小さな数を引いたら $0$ より大きい」

ユーリ「ふんふん」

「では《求めるものは何か》」

ユーリ「求めるものっていうか、 $ab + cd - ac - bd$ が $0$ より大きいっていえばいい」

「そこまでわかっていたら、 $ab + cd - ac - bd$ をよく見て、 適当に式を整理すればいいよね」

ユーリ「適当にって……あ、わかった。くくればいい?」

\begin{align*} A - B & = ab + cd - ac - bd && \REMTEXT{さっきの式変形から} \\ & = ab - ac + cd - bd && \REMTEXT{和の順序を変えた} \\ & = a(b - c) + cd - bd && \REMTEXT{$a$でくくった} \\ & = a(b - c) + (c - b)d && \REMTEXT{$d$でくくった} \\ & = a(b - c) - (b - c)d && \REMTEXT{$(c - b) = -(b - c)$だから} \\ & = (a - d)(b - c) && \REMTEXT{$b - c$でくくった} \\ & > 0 && \REMTEXT{$a - d > 0, b - c > 0$だから} \\ \end{align*}

「そうそう! それでいい!  さっきは《二つの正の数のは正である》を使ったけど(第91回参照)、 今度は《二つの正の数のは正である》を使ったことになる。 $a - d$ と $b - c$ という二つの正の数の積だね」

ユーリ「$A - B > 0$ だから、 $A > B$ がいえたわけだけど……」

「だけど?」

ユーリ「あり?  $a,b,c,d$ の場合分けはどこいったの?」

「いらないね」

ユーリ「いらないんだ」

「そうだよ。 $A - B > 0$ をいま証明したことになるけど、 その証明の中で使ったのは $a > b > c > d$ という条件……与えられた条件だけだった。 他に何も条件を付けずに $A - B > 0$ が証明できた。 ということは、 $a, b, c, d$ がどんな値であっても $a > b > c > d$ である限り、 $A - B > 0$ が成り立つということになる。 つまり $A > B$ だね」

ユーリ「そーなんだ!」

「じゃあ次に、 $A - C$ をやってみてごらん」

ユーリ「うん!」

\begin{align*} A - C & = (ab + cd) - (ad + bc) && \REMTEXT{$A,C$をそれぞれ$a,b,c,d$で表した} \\ & = ab + cd - ad - bc && \REMTEXT{カッコを外した} \\ & = ab - ad + cd - bc && \REMTEXT{和の順序を変えた} \\ & = a(b - d) + cd - bc && \REMTEXT{$a$でくくった} \\ & = a(b - d) + c(d - b) && \REMTEXT{$c$でくくった} \\ & = a(b - d) - c(b - d) && \REMTEXT{$c(d - b) = -c(b - d)$だから} \\ & = (a - c)(b - d) && \REMTEXT{$b - d$でくくった} \\ & > 0 && \REMTEXT{$a - c > 0, b - d > 0$だから} \end{align*}

ユーリ「いえた! さっきと同じパターンだ!  $A - C > 0$ だから $A > C$ がいえた」

「じゃあ次は、残った $B - C$ だね」

ユーリ「パターンわかったから、カンタン、カンタン」

\begin{align*} B - C & = (ac + bd) - (ad + bc) && \REMTEXT{$B,C$をそれぞれ$a,b,c,d$で表した} \\ & = ac + bd - ad - bc && \REMTEXT{カッコを外した} \\ & = ac - ad + bd - bc && \REMTEXT{和の順序を変えた} \\ & = a(c - d) + bd - bc && \REMTEXT{$a$でくくった} \\ & = a(c - d) + b(d - c) && \REMTEXT{$b$でくくった} \\ & = a(c - d) - b(c - d) && \REMTEXT{$b(d - c) = -b(c - d)$だから} \\ & = (a - b)(c - d) && \REMTEXT{$c - d$でくくった} \\ & > 0 && \REMTEXT{$a - b > 0, c - d > 0$だから} \end{align*}

「できた?」

ユーリ「できた!  $B - C > 0$ だから $B > C$ だね」

「これで結局?」

ユーリ「結局、 $A > B$ と $A > C$ と $B > C$ がわかったから、 $a > b > c > d$ なら $A > B > C$ がいえた! 場合分けなんかぜんぜんいらないんじゃん!」

「そうだね。不等式の証明では、《大きそうな数》から《小さそうな数》を引いて、 $0$ より大きくなるかどうかを調べる……ね、こういう定石は強力だろ?」

ユーリ「……」

「どうした? 《数式の力》わかった?」

ユーリ「ねーお兄ちゃん。お兄ちゃん、サクにオボれてるよ」

「策に溺れてる?」

ユーリ「そー! ユーリね、お兄ちゃんの言う通りに $A - B$ と $A - C$ と $B - C$ と調べたけど、無駄だった」

「無駄って?」

ユーリ「$A - C$ を調べたのが無駄! だってそーじゃん。ユーリさ、 $a,b,c,d$ に $4,3,2,1$ 入れて $A > B > C$ だってわかってたんだもん。 だったら、 $A - B$ と $B - C$ を先に調べればよかったんだよー!  $A > B$ と $B > C$ がわかったら、 いつもそうだっていえるなら、 $A > C$ は調べなくてもよくなるし」

「おっとっと。確かに、確かに。ユーリは正しいよ。 その通りだ。 $A - B, A - C, B - C$ の三つを調べる必要はなかったなあ」

ユーリ「でしょでしょ?」

クイズXの答え

$a,b,c,d$ を実数とする。

もしも、 $$ a > b > c > d $$ とするとき、 $$ \left\{\begin{array}{llll} A &= ab + cd \\ B &= ac + bd \\ C &= ad + bc \\ \end{array}\right. $$ という $A,B,C$ について、 $$ A > B > C $$ がいえる。

定石

ユーリ「まー、でも結局、お兄ちゃんの問題はこれまで全部解いたことにになるよね」

「(ヒント出したけどね)」

ユーリ「あーあー聞こえなーい」

「とにかく、数式は強力なんだよ」

ユーリ「出たな数式マニア。でもね、数学なのに《定石》って何だか変な感じ」

「どうして?」

ユーリ「だって何だか、囲碁か将棋みたい」

「まあ、そうだけど、よく出てくる解き方……《パターン》ってことだね」

ユーリ「《大きそうな数》から《小さそうな数》を引くのが、 どーしてこんなにうまくいくの?」

「だから、パターン」

ユーリ「違う違う! そのパターンだとどうしてうまくいくのか、って聞いてんの」

「そういう意味か。うん、それはすごくいいね。そうだなあ……」

ユーリ「わくわく! 目も覚めるような名解説が聞ける!」

「ハードル上げるなよ。たぶん、《$0$ との比較》に持ち込めるからだと思うな」

ユーリ「ほほー?」

「たとえば、 $A > B$ を証明したいとする。 そのときには $A - B$ を計算してみて、何とかして、 $A - B = \cdots > 0$ という形にもっていくわけだよね」

ユーリ「うん。パターン」

「そのときは、《$A$ と $B$ との比較》じゃなくて《$A - B$ と $0$ との比較》をしているわけだよね。 だから《$0$ との比較》が大事なんだと思う」

ユーリ「ふんふん? 何で? 何で、《$0$ との比較》が大事なの?」

ユーリは身を乗り出すようにして質問を続ける。

は考える。 不等式の証明で《$0$ との比較》が大事なのはなぜか。 どうして、《$0$ との比較》を使うとうまくいくことが多いのか。

「うん、たぶん、こうだよ。 僕たちは《$0$ との比較》について良く知っているから、だね」

ユーリ「良く知ってる……から」

「そうそう。さっきからの問題を振り返ると、こんな知識を使ったよね」

使った知識

《$0$ より大きい数》+《$0$ より大きい数》は、 $0$ より大きくなる。

《$0$ より大きい数》×《$0$ より大きい数》は、 $0$ より大きくなる。

ユーリ「ふんふん、確かにこれ使った。 プラスとプラスを足したらやっぱりプラスだし、 プラスとプラスを掛けてもやっぱりプラスってことでしょ?」

「それのこと。 $0$ より大きい数同士なら、 和も、積も、やっぱり $0$ より大きくなる。正の数同士の和や積は正の数。 だから不等式の証明では《大きそうな数》から《小さそうな数》を引いて、 $0$ より大きくなるかな? と考えるんだ。 $0$ より大きくなるかどうかについて、 僕たちは武器を持っているからね」

ユーリ「武器?」

「テトラちゃんがね、こういうときによく《武器》っていうんだよ。 数学を考える上での道具のことを、モンスターを倒す武器に見立てて」

ユーリ「テトラさん、ゲーム好きなのかにゃ」

「いや知らないけど……それから、 さっき《$0$ より大きい数》同士を掛けたら 《$0$ より大きい数》になるっていったけど、 《$0$ より小さい数》同士を掛けても《$0$ より大きい数》になるね」

ユーリ「マイナス×マイナスはプラス」

「そうだね。特別な形として、 《$0$ 以外の実数を $2$ 乗すると、 $0$ より大きい数になる》のもよく使うなあ」

ユーリ「……」

「式としてまとめると、こんな感じになる」

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(2014年10月10日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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