[logo] Web連載「数学ガールの秘密ノート」
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第91回 シーズン10 エピソード1
イリュージョンの代償(前編) ただいま無料

の部屋

ここはの部屋。今日は土曜日の午後。 いつものようにユーリの部屋でたいくつそうに本を読んでいる。

ユーリ「ねーお兄ちゃん、何かして遊ぼーよ! たいくつたいくつ!」

「人の部屋に来て『たいくつたいくつ!』もないと思うんだけど……」

ユーリ「そういえば朝ドラで『マッサン』が始まったよね」

「だから、そういう時事ネタ禁止」

ユーリ「金髪っていーなあ! ユーリみたいな栗色ってパッとしないよね」

ユーリはそう言ってポニーテールの先をいじる。

「いやいや。ユーリだって、ほら数学の問題解いているとき……」

ユーリ「なーに?」

「まあいいや。たいくつだったら、クイズ出そうか」

ユーリ「クイズ? おもしろいならいーけど」

「こういうクイズ」

クイズ1

クイズ1

a,b,c を実数とする。

「もしも、 a>b ならば、 a+c>b+c である」は、いつも成り立つか。

ユーリ「成り立つ! はい、次のクイズは?」

「答えるの早いな!」

ユーリ「こんなの簡単じゃん! はい、次のクイズ!」

「ちゃんと理解して答えたのかなあ……」

ユーリ「えー、ユーリさまを疑うの? だって a>b っていうのは『a の方が b より大きい』ってことでしょ?」

「そうだね」

ユーリa+c>b+c っていうのは両辺に c を足したんでしょ?」

「そうそう」

ユーリab より大きくて、両辺に c っていう同じ数を足したんだもん。 a+c の方が b+c より大きいままじゃん」

「なるほどね」

ユーリ「何がなるほど?」

「いやいや、じゃあ次のクイズに進んでもいい?」

ユーリ「いいよん。早く!」

クイズ2

「じゃ、次のクイズ。これは簡単かな?」

クイズ2

a,b,c を実数とする。

「もしも、 a>b ならば、 ac>bc である」は、いつも成り立つか。

ユーリ「おっと、そう来るのね。ええっと、ええっと……うん、成り立つ成り立つ!」

「ちゃんと問題を……」

ユーリ「分かって答えてるよ! 今度は両辺から同じ数 c を引いたんでしょ?」

「そうそう」

ユーリa>b なんだから、両辺から同じ数 c を引いてもやっぱり ac>bc だよね」

「うん、それでいいんだけど」

ユーリ「だけど?」

「さっきのクイズ1は即答したのに、どうしてこのクイズ2は一瞬だけ答えるのが 遅れたのかなと思って」

ユーリ「だって、引き算でも大丈夫かなって、ちょっと考えたんだもん。悪い?」

「いやいや、悪くはないよ。考えることはまったく悪くない。でもね」

ユーリ「……」

「でも、クイズ1とクイズ2はまったく同じ問題なんだよ」

ユーリ「何で?……あっ、そうか!」

「だよね」

ユーリ「にゃるほど!  c はマイナスでもいいのか!」

「そうだね」

ユーリc はもともとマイナスでもいいんだね。 だから、つまり、えーと、クイズ1で a+c>b+c が成り立つから、 ac>bc もいえてたんだ!」

「まあ、だいたいそういうことだね。説明はちょっとあやふやだけど。 ユーリが答えたように c がどんな実数でも 《a>b なら a+c>b+c である》が成り立つ。 たとえば、 c1 でも 1 でもね。 もしも c1 のような負の数のとき、 a+(1)>b+(1) だけど、これは a1>b1 と同じこと。引き算」

ユーリ「そー! そー言いたかったの!」

c1 のような正の数でも同じことがいえるね。 a+c>b+ca+1>b+1 だけど、 これは引き算の形で a(1)>b(1) とも書くことができる。 要するに、クイズ1に答えた時点で、クイズ2にも答えていたことになるんだ」

ユーリ「そだね」

「では、それを踏まえて次のクイズ」

ユーリ「?」

「これはどうかな」

クイズ3

クイズ3

a,b,c を実数とする。

「もしも、 a>b ならば、 ac>bc である」は、いつも成り立つか。

ユーリ「なーるほど、そう来たか。これもカンタンだよ。これは成り立たないね!」

「そうだね。いつも成り立つとは限らない」

ユーリ「《いつも ac>bc である》とはいえなくて、 ac>bc になるときと、ならないときがある」

「うん、それで?」

ユーリc がプラスだったら ac>bc になるけど、 c がマイナスだったら反対になって ac<bc でしょ?」

「……」

ユーリ「え? 違うの?」

「……待ってるんだけど」

ユーリ「何を?」

「何かを」

ユーリ「ん? だってそーじゃん。 a>b のとき、 c がプラスならそのまま ac>bc だけど、 c がマイナスなら反対になって ac<bc と」

「……」

ユーリ「……あっ! もう一つあった。ゼロだ! c=0 のときは ac=bc だね!」

「はい、大正解! 待っててよかった」

ユーリ「これを待ってたの?」

「そう。《いつも成り立つか》に対しては《成り立つとは限らない》でいいよ。 でも、さらに acbc の大小関係を調べたかったら、 c が正か、ゼロに等しいか、負かという場合分けがいるんだね。 このクイズでは」

クイズ3の答え

a,b,c を実数とする。

「もしも、 a>b ならば、 ac>bc である」は、いつも成り立つとは限らない。

acbc の大小関係は、 c の値によって次のように決まる。 ac>bc(c>0のとき)ac=bc(c=0のとき)ac<bc(c<0のとき)

「掛ける数が負なら、不等号の向きが逆になるというのはミスしやすいところだね」

ユーリ「まー、これも大したことないクイズだよ。カンタン、カンタン」

クイズ4

「言ったな。じゃ、こんなクイズはどう?」

クイズ4

a,b,c,d を実数とする。

「もしも、 a>bかつc>d ならば、 a+c>b+d である」は、いつも成り立つか。

ユーリ「へー、これがお兄ちゃんの本気なの? これは成り立つ!」

「そうだね。どうして?」

ユーリ「どーしてって?」

「どうして、 a+c>b+d が成り立つのかな、って質問」

ユーリ「だってさ、 ab より大きくて、 cd より大きいんでしょ?  だったら、 大きいもの同士を足した a+c の方が 小さいもの同士を足した b+d よりも大きいに決まってる」

「そうだね。それでいい。でも念のため、式を使って確かめてみようか」

ユーリ「式を使う?」

「いま証明したいのは a+c>b+d だよね。 こういう《不等式ふとうしき》を証明したいときには、 《大きい方から小さい方を引いた式を作ってみる》というやり方をよく使うんだ」

ユーリ「どゆこと?」

a+c>b+d を確かめたいんだから、 大きい方の a+c から小さい方の b+d を引いた式を作る。 正確には《大きいことを証明したい方から、小さいことを証明したい方を引いた式》だけど、 要するに、こういう式」

(a+c)大きい方(b+d)小さい方

ユーリ「なんで?」

「なぜかというと、この式 (a+c)(b+d)0 より大きくなることを証明すればいいからなんだ。 (a+c)(b+d)>0a+c>b+d は同値だから、 どちらを証明してもいいということだね」

《同値なので、どちらを証明してもいい》

(a+c)(b+d)>0a+c>b+d

ユーリ「ほほー」

「あとは式変形をしていけば、糸口が見えてくるはずだよ」

(a+c)(b+d)=a+cbdカッコを外した=ab+cd足し算の順序を入れ換えた=(ab)+(cd)カッコを付けた

ユーリ「ふむふむ?」

「つまり、 (a+c)(b+d) というのは、 abcd を足したものに等しいわけだね」

ユーリ「そだね」

「ところで、いま僕たちが考えている a,b,c,d には a>bc>d という関係があるわけだから、 ab>0cd>0 だよね」

ユーリ「え? ああ、そーだね。 a>b だから ab>0 だし、 c>d だから cd>0

「ところで、 0 より大きな数を二つ加えたら、やっぱり 0 より大きな数になるよね」

ユーリ「そりゃそーだ」

「だから、 (ab)+(cd)0 より大きくなる。だから、こういえる」

(a+c)(b+d)=(ab)+(cd)さっきの式変形から=(ab)0より大きい+(cd)0より大きいa>bc>dから>00より大きな二つの数の和だから

ユーリ「なーる。これで (a+c)(b+d)>0 がいえたってこと?」

「そうだね。だから確かに、 a>bc>d ならば a+c>b+d が成り立つ」

クイズ4の答え

a,b,c,d を実数とする。

「もしも、 a>bかつc>d ならば、 a+c>b+d である」は、いつも成り立つ。

クイズ5

「じゃ、もう一つクイズだよ」

クイズ5

a,b,c,d を実数とする。

「もしも、 a>bかつc>d ならば、 ac>bd である」は、いつも成り立つか。

ユーリ「やっぱり!」

「何がやっぱり?」

ユーリ「やっぱり、そー来ると思ったよ! ふはは」

「キャラおかしいぞ」

ユーリ「さっき a+cb+d だったから、今度は引き算だと思ったんだよねー」

「あ、そう……それで、答えは?」

ユーリ「これは、成り立たない!」

「どうして?」

ユーリ「だってさー、 2>14>3 だけど、 24=2 で、 13=2 だから……あれ?」

「それでいいんだよ、ユーリ。いまのは a=2,b=1,c=4,d=3 で試したんだね。 それで 24=13 になってしまう。 24>13 は成り立たない」

ユーリ「そゆこと!」

「だから、 a=2,b=1,c=4,d=3 は《反例はんれい》になっていたわけだ」

ユーリ「そーそー、反例、はんれい」

「そうだね」

クイズ5の答え

a,b,c,d を実数とする。

「もしも、 a>bかつc>d ならば、 ac>bd である」は成り立つとは限らない。

a=2,b=1,c=4,d=3 が反例である。 このとき、 ac=2cd=2 だから、 ac=bd となってしまう。

クイズ6

ユーリ「……」

「ユーリ、どうした?」

ユーリ「今度は、ユーリがクイズ出す!」

クイズ5

a,b,c,d を実数とする。

「もしも、 a>bc>d ならば、 ad>bc である」は、いつも成り立つか。

「なるほど、これはいい問題だね」

ユーリ「上から目線はいいから、答える答える!」

「うん、これは成り立つね」

ユーリ「何で?」

「不等式の問題を解く定石通りだよ。 《大きい式から小さい式を引く》を計算すればすぐだから。 つまり ad>bc を証明したいんだから、 (ad)(bc) を計算して 0 より大きくなることをいえばいい」

(ad)(bc)=adb+cカッコを外した=ab+cd足し算の順序を変えた=(ab)+(cd)カッコを付けた=(ab)0より大きい+(cd)0より大きいa>bc>dだから>00より大きい数の和だから

ユーリ「にゃるほど。それでもいーね。ユーリはこう考えたの。 ad は《大きいのから小さいのを引いた数》で、 bc は《小さいのから大きいのを引いた数》でしょ。 だったら、あたりまえじゃん! だって、すでに小さいんだよ。 そんな小さな数からさらに大きい数を引くなんてすごく小さくなるわけじゃん?」

「あはは、確かにね。ユーリの言いたいことはよくわかるよ。 ad はすでに a が大きい数なのに、 d という小さい数しか引いてない。 bc はすでに b が小さい数なのに、 c という大きい数を引いている。 差が開くことになるダメ押しだ」

ユーリ「うん、そーそー!」

「確かにそれで直観的にはよくわかるなあ。 でも、式を使った方がいいと思うよ」

ユーリ「何で?」

「だって、直観はまちがうことがあるからね。勘違いというか、だまされるというか」

ユーリ「ユーリはまちがえないよ」

「大胆発言だな。そういう人がうっかりミスするんだよ。 自分はまちがうかもしれないと思っている人は慎重に考えるけど、 自分はまちがえないと思っている人はミスする」

ユーリ「たとえば?」

「たとえばって?」

ユーリ「お兄ちゃん、よくゆーじゃん。《例示は理解の試金石》って。 例を出せるかどうかで理解度がわかるんでしょ。 《ユーリがまちがえそーなクイズ》の例を出してよ。 言っとくけど、お兄ちゃんが今日出してる問題、ユーリ全問正解してるからね!」

「むっ……そこまで言われたら、本当の本気を出さないとな」

ユーリ「えっ……ねー、お兄ちゃん。何か目がマジなんですけど」

「そうだなあ……」

ユーリ「……ちょっと待ってよ。ねー」

「じゃあ、これ」

クイズX

a,b,c,d を実数とする。

もしも、 a>b>c>d とするとき、以下の A,B,C の大小関係について何がいえるか。 {A=ab+cdB=ac+bdC=ad+bc

ユーリ「うわなにこれいきなり難しくなってるんですけど!」

「がんばってもらいましょう」

ユーリ「……《何がいえるか》ってどーゆー意味?」

A,B,C の大小関係を調べるんだけど、 a,b,c,d の値によらず大小関係が決まるとは限らないだろ? たとえば、どういう条件のときに A>B が成り立つとか、 そういうことをすべて考える。 A,B,C という三つの数について」

ユーリ「ぐえー、そーゆーことかー。たとえば、 a>0b<0 のときだけ A>B だとか?」

「そう。たとえば、ね」

ユーリ「ぐえー、ユーリにこれ解けんの?」

「解けるよ。絶対に解ける」

ユーリ「ぐえー」

「直観に頼らず、式に頼ればね」

ユーリ「えっ、ここで《次回に続く》なの?」

「たいくつしなくて、いいだろう?」

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(第91回終わり)

(2014年10月3日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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