[logo] Web連載「数学ガールの秘密ノート」
Share

第256回 シーズン26 エピソード6
確率の冒険:確率はどうして難しい?(後編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。

無料でWeb立ち読み アマゾンで購入

登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。

$ \newcommand{\TEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\REMTEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\NONAMACROBASE}[2]{\texttt{..}{\scriptstyle #1}#2} \newcommand{\NONAMACROBASEREV}[2]{#1{\scriptstyle #2}\texttt{..}} \newcommand{\NONAMACRO}[1]{\NONAMACROBASE{#1}{#1}} \newcommand{\NONAMACROREV}[1]{\NONAMACROBASEREV{#1}{#1}} \newcommand{\NONA}{\NONAMACROBASE{\textrm o}{\textrm O}} \newcommand{\NONAX}{\NONAMACROBASE{\textrm x}{\textrm X}} \newcommand{\NONAQ}{\NONAMACRO{?}} \newcommand{\NONAQREV}{\NONAMACROREV{?}} \newcommand{\NONAEX}{\NONAMACRO{!}} \newcommand{\NONAHEART}{\NONAMACRO{\heartsuit}} \newcommand{\KATSU}{\mathrel{\REMTEXT{かつ}}} \newcommand{\MATAWA}{\mathrel{\REMTEXT{または}}} \newcommand{\NEQ}{\neq} \newcommand{\ABS}[1]{\left|\mathstrut #1\right|} \newcommand{\SETM}{\,|\,} \newcommand{\SET}[1]{\{\,#1\,\}} \newcommand{\EMPTYSET}{\{\,\}} \newcommand{\H}{\REMTEXT{表}} \newcommand{\T}{\REMTEXT{裏}} \newcommand{\HH}{\REMTEXT{表表}} \newcommand{\HT}{\REMTEXT{表裏}} \newcommand{\TH}{\REMTEXT{裏表}} \newcommand{\TT}{\REMTEXT{裏裏}} \newcommand{\NN}{\REMTEXT{  }} \newcommand{\RELATED}{\dashleftarrow\dashrightarrow} \newcommand{\OET}[1]{#1} \newcommand{\XET}[1]{} \newcommand{\UNDERCOND}{\mathrel{|}} $

図書室にて

は後輩のテトラちゃんと確率についてのおしゃべりをしている(第255回参照)。

「……それに、僕にとっても学びが深いんだよ。 テトラちゃんの混乱のおかげで、 いまどんな《試行》を考えているかを明確にするのは大事だと改めて気付いたし」

テトラ「確かに、ある試行の根元事象を考えているときに、別の試行の根元事象と混乱しちゃだめですよね」

「うん、混乱しちゃだめだけど、試行同士の関係を考えるのは大事だよ」

テトラ「関係……ですか?」

「僕たちはいまフェアなコインを $2$ 回投げるということを考えているよね」

テトラ「はい、そうですね。確率の話として」

「そのときに何を試行と見なすかは、自動的に《決まる》ことじゃなくて、 僕たちが《決める》ことなんだよ」

テトラ「《決まる》じゃなくて《決める》……?」

「そうだね。 『《フェアなコインを $2$ 回投げる》という試行を考える』っていうけど、 それは、よくよく考えてみると『《フェアなコインを $2$ 回投げる》というのを一つの試行だと見なして議論を進めていくことに僕たちは決めました』 って宣言しているんだよね」

テトラ「……それは何だかとても大事そうなお話なんですが、 あたしにはまだピンと来ていないようです」

「そんなに難しい話じゃないよ」

テトラ「そうなんですか?」

「別の考え方もできるっていいたいだけだから。 たとえば『《フェアなコインを $1$ 回投げる》というのを一つの試行だと見なし、 その試行を $2$ 回繰り返すことに決めます』ということもできる」

テトラ「ははあ……《$2$ 回投げる》のをまとめて一つの試行とするか、《$1$ 回投げる》試行を $2$ 回行うか……ですか?」

「そうそう、そういうこと。 コインを $2$ 回投げるという話を考えるときに、 どのような試行を考えるかは僕たちが《決める》んだよ」

テトラ「少し、わかってきました」

「だからこそなおさら、 いまはどんな試行で事象を考えているのかを明確にする必要があるんだね。 さもないと議論の土台が定まらなくなってしまう」

テトラ「確かにそうですね……試行をしっかり定めないと、 何が根元事象になるのかもはっきり定まらないから……ですね?」

「そういうこと、そういうこと」

《フェアなコインを $2$ 回投げる》という試行のときの根元事象: $$ \begin{array}{l} \SET{\HH} \\ \SET{\HT} \\ \SET{\TH} \\ \SET{\TT} \\ \end{array} $$

《フェアなコインを $1$ 回投げる》という試行のときの根元事象: $$ \begin{array}{l} \SET{\REMTEXT{表}} \\ \SET{\REMTEXT{裏}} \\ \end{array} $$

テトラ「そこまでの話はよくわかりました」

「試行は《決まる》んじゃなくて、そんなふうに《決める》わけだけど、 同じ現象を扱っているんだから、二つの間には関係がありそうだ。 実際《$2$ 回投げる》という試行の根元事象は、 《$1$ 回投げる》という試行の根元事象をペアにして作ることができる」

テトラ「ペア……ですか?」

「うん、 $1$ 回目の試行の結果と、 $2$ 回目の試行の結果をペアにした順序対(じゅんじょつい)を作るんだね。 $1$ 回目に表が出て、 $2$ 回目に裏が出たら、 $$ (\H,\T) $$ というペアを作る。 このペアは《$2$ 回投げる》試行の根元事象である $\SET{\HT}$ に一対一に対応している」

$$ \begin{array}{ccc} (\T,\T) & \RELATED & \SET{\TT} \\ (\T,\H) & \RELATED & \SET{\TH} \\ (\H,\T) & \RELATED & \SET{\HT} \\ (\H,\H) & \RELATED & \SET{\HH} \\ \end{array} $$

テトラ「なるほど……なるほどですっ!」

「いやいや、そんなに感動するほどの話じゃないよ。 いつものテトラちゃんなら、So what?《だから何なんですか?》って言いそうだね」

テトラ「あっ、あたし、そんなに So what? なんて言いますか?」

「……言うと思うよ。でもそれは大事な《問いかけ》だよね」

テトラ「……あたしが先ほど感動したのは、お話の内容……二種類の試行の関係……というよりも、 お掃除の方法です」

「掃除方法?」

テトラ「先輩のお話は、すごく《きっちり》していると感じたんです。 まるで、自分の部屋を掃除するときに隅のほこりまできっちり取るみたいな、そんな印象です」

「へえ……」

テトラ「フェアなコインを $2$ 回投げるというようすはすぐに想像できます。 コインを $1$ 回投げて表か裏が出ます。もう $1$ 回投げてまた表か裏が出ます。 それだけのことですから。あたしはそのようすを想像して、すぐに全部わかったつもりになってしまいます」

「なるほど」

テトラ「でも《$2$ 回投げる》のを一つの試行として考えたり、 《$1$ 回投げる》のを一つの試行としてそれを $2$ 回繰り返すと考えたり、 その両方の関係を考えたり、 根元事象同士の対応を考えたり……《わかったつもり》で終わらせずに、 そういう一連のことを《きっちり》考えていくことに感動したんです」

「僕はヘリクツっぽいって言われるんだけど、 テトラちゃんは感動してくれるんだ。それに感動するよ」

テトラ「あ、いえ、正直いいまして……そんなふうに思うこともあります。 先輩がたくさん説明してくださるときに、 《そんな当たり前のことをして何がうれしいんでしょう》って思ってしまうんです。 So what? って……あっ!」

「ね? 言うよね」

テトラ「あたし、自覚していませんでした……」

言葉から言葉へ

「そんなふうに《きっちり》したことに感動するのは、 テトラちゃんが言葉に関心があるからかもね」

テトラ「言葉……ですか?」

「うん。あいまいなものや、 とらえどころがないものを明確に表現するのは言葉の大事な役割だから」

テトラ「はいはいっ、確かにそういうところは魅力です。言いたいことが伝わった!というのは特に」

「言葉……そうだ、テトラちゃんが好きそうな話題があるよ。 テトラちゃんは、確率についての《和の法則》って知ってる?  《加法法則》ということもあるけど」

テトラ「こういうものですよね。ええと……」

$$ P(A \cup B) = P(A) + P(B) - P(A \cap B) $$

「そうそう。式で書けばそうだけど、 この式が何を表しているかは説明できる?」

テトラ「説明……ですか。 二つの確率を足し合わせて、重なっている確率を引く……ということでは駄目でしょうか」

「それだとずいぶん弱いよね。それこそ《きっちり》してないことになってしまう。 式を説明するときは、

  • 使われている文字が何を意味しているか
  • 式全体としては何を意味しているか
をはっきりさせなくちゃ」

テトラ「あっ、そうですよね。すみません。 つい、ふわふわっと言ってしまいました。 $A$ と $B$ はどちらも事象を表しています。 それから $P(A)$ や $P(B)$ はそれぞれ $A$ が起きる確率と $B$ が起きる確率を表しています」

「それでいいよ。じゃ、 $A \cup B$ は何を表しているだろう」

テトラ「それは和事象……事象 $A$ と事象 $B$ の和事象です」

「うん。和事象というのは名前だけど、それはどんなものかはわかってるかな?」

テトラ「事象 $A$ と事象 $B$ の……和?」

「そうなんだけど、それは何かはわかってる?」

テトラ「あたし、わかっているんですが……説明できません。 たとえば事象 $A$ が、 $$ A = \SET{\HH,\TT} $$ で、事象 $B$ が、 $$ B = \SET{\HH,\HT} $$ だとすると、和事象 $A \cup B$ は、 $$ A \cup B = \SET{\HH,\HT,\TT} $$ になります。でも、それを何と説明していいのか……」

「ごめんね。しつこく聞いちゃったけど。さっきテトラちゃんが《きっちり》に感動していたからつい」

テトラ「いえいえっ! それで……」

「うん、テトラちゃんはわかっているみたいだからいいんだけど、 $A \cup B$ は何を表しているかを説明するのは、いろんな段階があると思うよ。 『$A \cup B$ は事象 $A$ と事象 $B$ の和事象である』というだけでも、説明といえば説明になる。 そこから先に踏み込んで説明するときには、今度は《和事象》という言葉の定義に踏み込んでいくことになるよね」

テトラ「確かに、そうなります。 《和事象》という言葉を使って説明しても、それでわかってもらえなかったら、 今度は《和事象》とは何かを説明する。そんなふうに定義をさかのぼっていくという意味ですよね」

「そうそう。そしてこんどは《和事象》を説明するために《事象》とは何かを説明するところまで戻る」

テトラ「事象は、その試行で起こりうること……」

「うん、そうなんだけど、それを僕たちは《集合の言葉》で表現しているわけだ」

テトラ「集合の……言葉?」

「そうだよ。僕たちは、起こりうることすべてを全体集合と見なし、その部分集合として事象を考えている。 つまり、確率で事象を考えるとき、事象の一つ一つは集合として表現されている。 事象というものを定義するときに、集合の助けを借りているんだね。 だから、事象について何かを述べようとするときには、集合の言葉を使うことになる。 集合の言葉というのは、《全体集合》や《部分集合》や《和集合》や《共通部分》や《補集合》や《空集合》や《要素》や《集合の大きさ》などのことだよ」

テトラ「……」

テトラちゃんは爪を噛んで思考モードに入った。

「……」

テトラ「……わかったように思います。《和事象》とは何かと聞かれて、あたふたしてしまいましたが、 《集合の言葉》に翻訳して説明すればいいのですねっ!」

「そういうことだね」

テトラ「事象 $A$ と事象 $B$ の和事象 $A \cup B$ というのは、 $A$ と $B$ を集合として見たときの和集合に相当するものです」

「うん、そう。そして、和集合も、さらに説明していける。和集合 $A \cup B$ というのは、 $$ A \cup B = \SET{ x \SETM x \in A \MATAWA x \in B } $$ という式になる。 つまり《$x$ は $A$ の要素である》または《$x$ は $B$ の要素である》が成り立つような $x$ 全体の集合が、和集合 $A \cup B$ なんだ。 このときの $x$ は $A$ と $B$ 両方の要素でもいい。 和集合 $A \cup B$ はこんなふうに定義される」

テトラ「なるほどです……これって、まわりくどいようですけれど、まっすぐですね」

「同じように共通事象 $A \cap B$ は、 $A$ と $B$ を集合と考えたときの共通部分に相当する。 今度は、 $$ A \cap B = \SET{ x \SETM x \in A \KATSU x \in B } $$ という式になる。 つまり《$x$ は $A$ の要素である》かつ《$x$ は $B$ の要素である》が成り立つような $x$ 全体の集合が $A \cap B$ ということになる」

テトラ「……先輩、ちょっと思ったんですが」

「え?」

無料で「試し読み」できるのはここまでです。 この続きをお読みになるには「読み放題プラン」へのご参加が必要です。

ひと月500円で「読み放題プラン」へご参加いただきますと、 435本すべての記事が読み放題になりますので、 ぜひ、ご参加ください。


参加済みの方/すぐに参加したい方はこちら

結城浩のメンバーシップで参加 結城浩のpixivFANBOXで参加

(2019年4月5日)

書籍『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。

書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!

無料でWeb立ち読み アマゾンで購入

[icon]

結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

Twitter note 結城メルマガ Mastodon Bluesky Threads Home