この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。
登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
テトラ「ユーリちゃん、すごいですねえ! 栗羊羹のたとえはわかりやすかったです」
僕「おもしろいよね」
テトラ「でも、お話を聞いていて、あたしは《困ったこと》に気付いてしまいました」
僕「おっ、来た来た! テトラちゃんの《根源的な問い》だね!」
テトラちゃんはバタバタしているけれど、考えるときはいつも真剣だ。 そしてなかなか気がつかない《根源的な問い》を繰り出してくることがとても多い。
彼女は決してあなどれないのだ。
テトラ「あっ、いえいえ《根源的な問い》とか、そういうんじゃありません。 栗羊羹を切ったり、その中に入っている栗を想像しているうちに、 《お腹が空いてきて困った》というだけの話なんです……! 甘いもの食べたくなりましたあっ!」
僕「そっちか!」
僕たちはひとしきり笑う。
そして……テトラちゃんはまた真面目な顔になる。
テトラ「あたし、確率ってとっても苦手です」
僕「そうなんだ」
テトラ「はい……い、いえ、計算はそれなりにできます。 でも、得意とは言えませんし、 ユーリちゃんのように《完全に理解した》なんて、ジョークでも言えません」
僕「まあ、難しいよね」
テトラ「コイン投げで表が出る確率が $\frac12$ というのはわかります。 それから、サイコロ投げで三が出る確率が $\frac16$ というのもわかります。 それに、確率についての説明を聞いたり、本を読んだりすれば《なるほど》と思います」
僕「うん」
テトラ「でも、少し経つとその《なるほどさん》は、どこかにふらふらとさまよい出てしまいます……あたしを残して」
僕「なるほどさん……《なるほど》を擬人化するのはテトラちゃんくらいだと思うよ」
テトラ「いえ、ほんとにそういう感じがするんですっ!」
僕「たとえば、どんなことで?」
テトラ「たとえば……そうですね。とっても基本的なことでもいいでしょうか」
僕「もちろん」
テトラ「《確からしさ》という言葉にいつも引っかかります」
僕「ああ、なるほど。その気持ちはわかるかも」
テトラ「本を読んだときに《同様に確からしい》という言葉が出てきて、 そこであたしは石につまずいたみたいな気持ちになるんです。 おっとっと! ……って」
テトラちゃんは両手を広げて転びかけるジェスチャをする。
僕「そういえば、僕はユーリに確率の説明をするときに《確からしさ》という言葉は使わなかったな」
テトラ「はい。先ほどの先輩の話では《起こりやすさ》とおっしゃってましたね。 《確からしさ》よりは《起こりやすさ》の方がわかりやすいです。 起こりやすい、起こりにくい、起きやすい、起きにくい……と」
僕「たぶん、《確率》という用語との兼ね合いで《確からしさ》という言い方をするんじゃないのかなあ。 《確からしさの率》というニュアンスで」
テトラ「そうなのかもしれませんね……」
僕「確率と相対頻度との関係を考えても《起こりやすさ》というのはしっくりくる表現だと思うな」
テトラ「はい」
僕「それから、《同様に確からしい》の代わりに《特にどれかが起こりやすいということはない》という言い方をしたよ」
テトラ「それはどうしてですか」
僕「同じことなんだけどね。 《同様に確からしい》というと何となく『ほんとにそんなこと仮定していいのかな』と思っちゃうんだけど、 《特にどれかが起こりやすいということはない》と『まあ確かにそうかも』と思えるんだ。不思議だね」
テトラ「……」
僕「テトラちゃん?」
テトラ「あ、す、すみません。 《場合の数》と似ているという話を考えていたんです」
僕「何が?」
テトラ「先ほど言った《なるほどさん》がどこかに行ってしまう話です。 《確率》を難しく感じるのと、 《場合の数》を難しく感じるのは似ている感覚があります。 説明を読んで《なるほど》と思うんですが、 いざ自分で問題を解こうとすると、手がかりがつかめないときもよくあります……」
僕「うんうん」
テトラ「あれえ……さっきお友達になったはずの《なるほどさん》はどこに行っちゃったの? と困ってしまうんです」
僕「《確率》と《場合の数》に似た印象を持つのは自然だよ。 すべての場合が同じくらい起こりやすいとすると、 《確率》の問題の大半が《場合の数》の問題に帰着されちゃうからね。 その意味では、テトラちゃんの感覚はおかしくないと思うな」
テトラ「帰着?」
僕「うん。《すべての場合の数 $N$》分の《いま関心がある場合の数 $n$》が確率 $\frac{n}{N}$ になるから、 場合の数をまちがいなく求めることは確率を求めることに直結しているよね。 だから、その場合は《確率を求める問題》が《場合の数を求める問題》に帰着される」
テトラ「確かにそうですね……あたしは頭の回転がトロくてですね、 一度覚えた法則もすぐには出てこなくなっちゃうんです」
僕「テトラちゃんはまったくトロくないからね。ところで、法則って?」
テトラ「確率でいえば、《和の法則》や《積の法則》がありますよね。 場合の数でいうと、どういう問題のときに$\textrm{P}$を使うのか$\textrm{C}$を使うのか、という判断が難しいです。 一度は《なるほど》と思っても、なかなか定着しません」
僕「うーん、それは何だか方向が少し違うと思うんだけど」
テトラ「と言いますと?」
僕「《和の法則》や《積の法則》のような言葉を先行させるんじゃなくて、 概念の理解を先行させた方がいいんじゃないのかなあ。 《順列$\textrm{P}$》や《組み合わせ$\textrm{C}$》も同じ。 『こういう問題のときは、どっちを使う』というような覚え方じゃなくて、 ちゃんと理解しないと。そうでなくちゃ、結局はまちがってしまうよね」
テトラ「あっ、それはそうです。 いまのは、あたしの説明が悪かったです。 概念の理解をほったらかしているわけではなくてですね、 いざというときに頭の中からその概念を取り出せないということを言いたかったんです」
僕「ああ、だから定着しないって言ったんだね」
テトラ「はいはい、そうですそうです」
僕「いまテトラちゃんに言われて気付いたんだけど、 ユーリと確率の話をするとき、 《和の法則》や《積の法則》という言葉は使わなかったな」
テトラ「それはどうしてですか」
僕「何となく。 そういう言葉を出すと意識がそれちゃうような気がしたのかもしれない。 それから《難しそう》という印象を与えそうな気がしたのかも」
テトラ「なるほどです」
僕「たとえば、ユーリにはこんな言い方で《確率の定義》を説明したよ」
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この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。
書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。
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