登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
テトラ「先輩! お待ちしておりましたっ!」
僕「えっ? えっ? えっ?」
ここは放課後。いまは図書室。
……
違った、逆だ。
いまは放課後。ここは図書室。足を踏み入れたとたん、 後輩のテトラちゃんが僕の前にすすすすっと現れた。
テトラ「図書室にいらっしゃるの、お待ちしていました。 実はお聞きしたい問題がありまして……」
テトラちゃんに導かれるまま、僕は閲覧室の机に向かう。
僕「数学の問題?」
テトラ「はいっ、そうです。これです」
問題1
$\SQRT{2}$ が無理数であることを証明せよ。
僕「ああ、これは有名な問題だよね。 背理法を説明するときに必ず出てくる例題だよ。 でも、テトラちゃんならこの証明、できるんじゃない?」
テトラ「ええ……はい……まあ。 先輩もすぐに『背理法』とおっしゃるんですね」
僕「そうだね。これはいろんな本で読むから、 証明も暗記しているくらいだよ。 こんな感じになるよね」
解答1
$\SQRT{2}$ が無理数であることを、背理法を使って証明する。
$\SQRT{2}$ が有理数であると仮定すると、 $\SQRT{2}$ は整数 $a,b$ を使って次のように表すことができる。
$$ \SQRT{2} = \dfrac{a}{b} $$
ただし、 $a \GEQ 0, b \NEQ 0$ で、 $a$ と $b$ は互いに素である。
両辺に $b$ を掛けて分母を払うと、
$$ \SQRT{2}b = a $$ になる。両辺を $2$ 乗して、 $$ 2b^2 = a^2 $$ が得られる。 左辺の $2b^2$ は偶数なので、右辺の $a^2$ も偶数である。 したがって、 $a$ も偶数となり、 $a = 2a_1$ と表すことができる($a_1$ は整数)。 よって、
$$ 2b^2 = (2a_1)^2 $$ である。右辺を計算して、 $$ 2b^2 = 4a_1^2 $$ を得る。両辺を $2$ で割って、 $$ b^2 = 2a_1^2 $$ となる。右辺は偶数なので、左辺の $b^2$ も偶数である。 したがって、 $b$ も偶数となる。
以上のことから、 $a$ も $b$ も偶数となるが、 これは $a$ と $b$ が互いに素であることに矛盾する。
したがって、 $\SQRT{2}$ は無理数である。
(証明終わり)
テトラ「……」
僕「それで、何に引っかかっているの?」
テトラ「はい……実は気になるところはたくさんあるのですが、 あたし自身もどこから話せばいいのか」
僕「どこからでもいいよ。 テトラちゃんの気になるところを何でもいいから言ってみてよ」
テトラ「ありがとうございます。 では、基本的なことから……どうして、この問題を見たときに《背理法》を使おうとすぐに思いつけるんでしょうか?」
僕「おっと。それは基本的なところというより、 とても大事なところだと思うなあ。この問題に関していえば、 僕の場合は『覚えているから』だと思うよ」
テトラ「えっ! 暗記?」
僕「暗記といえるかどうかわからないけれど……もしも僕が生まれて初めて、 この問題を見たとするなら、絶対に背理法なんて思いつかないはず。 僕がいつ背理法のことを知ったかはもう忘れちゃったけど、 何かの本で読んで『こんな証明の方法があるんだ!』 とすごくびっくりして印象に残ったんだ。その本に載ってたのもたぶん《$\SQRT{2}$ が無理数であることの証明》だったと思う。 その後、学校で背理法に再会して、そのときも $\SQRT{2}$ の話だった。 数学読み物を読んでいて背理法の話が出てくるたびに $\SQRT{2}$ の話が出てくるから、自然と覚えちゃったんだね」
テトラ「ああ、そうなんですね……あたしも背理法の話を聞いて、 『あたし、こんな証明、絶対思いつけない!』と思いました。 クラスの友達に聞いたら、 わかっている人はみんな『背理法だよ』とすぐに言ってたので、 『どうしてみんなそんなにすぐわかるんだろう……』と思っていました」
僕「なるほどね。 ただね。背理法を使うのによさそうだな、ということはよく考えてみるとわかるよ。 だって《$\SQRT2$ が無理数である》ということは、 《任意の整数 $a,b$ に対して $\SQRT2 \NEQ \frac{a}{b}$》だといってるわけだから」
テトラ「え、それで……?」
僕「つまり、無数の $a,b$ について成り立たないことを証明しなくちゃいけないよね。 それはなかなかつらい。 それだったら、背理法を使って、 具体的な $\frac{a}{b}$ を使って考えを進められたほうがいい。矛盾まで進めばいいんだから」
テトラ「あ、その矛盾も気になります。 背理法を使うときに、最後に必ず矛盾が出てきます。 そこもちょっと……わかってはいるんですが、わからない感じがしています」
僕「だよね。その話をする前に、 背理法の証明の《形》を整理しておこうか。 背理法を使った証明はこんな形になる」
背理法の形
証明したい命題を $P$ とする。
《$P$ は成り立たない》と仮定する。
その仮定のもとで、論理的に正しい推論を続けて矛盾を導く。
これによって、命題 $P$ が成り立つことを示す。
テトラ「はい……」
僕「さっきの《$\SQRT{2}$ は無理数》の証明もこういう形だったね」
テトラ「この背理法の形は、形としては覚えているんですが、 どうしても《矛盾》を導くところでひっかかります」
僕「ここでいう《矛盾》というのは何かというと……?」
テトラ「矛盾とは何か……?」
僕「ここでいう矛盾というのは、故事成語に出てくる矛と盾の話とは直接の関係はなくて、命題 $Q$ に対して、
《$Q$ である》と《$Q$ でない》の両方が成り立つこと
なんだ」
テトラ「あっ、そうでした」
僕「さっきの $\SQRT{2}$ の場合には、 《$a$ と $b$ は互いに素である》と《$a$ と $b$ は互いに素ではない》の両方が成り立つことを示したことになるね」
テトラ「《$a$ と $b$ が互いに素である》というのは、《$a$ と $b$ の最大公約数が $1$ である》ということですよね? たとえば、 ええと、 $2$ と $3$ のような……あるいは、ええと、 $4$ と $35$ のような」
僕「そうだね」
テトラ「それは、 $\frac{a}{b}$ という分数を約分し尽くした……というものを考えているんですよね?」
僕「そうだよ。さっきの証明(解答1)では『$a$ と $b$ の両方が偶数である。だから、 $a$ と $b$ が互いに素であることに矛盾する』 とすぐにいっちゃった。でも、もう少していねいにいうなら、 『$a$ と $b$ の両方が偶数である。だから、 $a$ と $b$ の両方を割り切る整数 $2$ が存在する。 したがって、 $a$ と $b$ は互いに素ではない。しかし、 $a$ と $b$ はもともと互いに素である。したがって矛盾』となるかな」
テトラ「《$Q$ である》と《$Q$ でない》の両方がいえれば矛盾になるのですね」
僕「そうそう」
テトラ「ところで、その《互いに素》という条件なんですが、 あたし、背理法の証明を書くときに、そういう条件がささっと出せる自信がありません……」
僕「うーん、これは慣れの部分もあると思うよ。背理法を使った証明に限らないけど、
《$p$ は有理数である》
という条件が出てきたら、
《$p$ は整数 $a,b$ を使って $p = \dfrac{a}{b}$ と表せる》
と言い換えるね。 そして、 $a \GEQ 0, b \NEQ 0$ で、 $a,b$ は互いに素という条件を付ける。 ……こういう言い換えはよく出てくるよ。 《$a$ と $b$ は互いに素》といっても《$\frac{a}{b}$ は既約分数》といってもいいけど」
テトラ「既約分数……」
僕「さっきテトラちゃんが言った《約分し尽くした分数》だね」
テトラ「し、しつこい質問ばかりで申し訳ありません。 そもそも、どうして《有理数》を《既約分数》の形にしなくてはいけないのでしょう。 つまり $a,b$ を互いに素にする理由……は?」
僕「いやいや、しつこくなんかないよ。 《有理数である》という条件を使って、そのままテトラちゃんが考えを進めることができるなら、 それでもまったくかまわない。 だから《既約分数》の形にしなくてはいけないなんてことはないんだよ。 そんな約束もルールもない」
テトラ「では、どうして……」
僕「うん、そうだなあ……問題1の証明の場合には、 《有理数か無理数かという問題》を 《整数の問題》に移し替えたといえるかもね」
テトラ「?」
僕「つまりね。背理法を使って証明をするなら、 《$\SQRT{2}$ は有理数である》という仮定からスタートして矛盾を導きたい。 背理法が使えるかどうかは最初はわからないけど、背理法で証明できるんじゃないかと思って考えを進める。 矛盾にたどり着ければ大成功」
テトラ「はい」
僕「でも、《$\SQRT{2}$ は有理数である》という条件から、 話をどう進めていいかすぐにはわからない。 そこでいったん《有理数》という用語を分解したわけだよ。 《$\SQRT{2} = \frac{a}{b}$ と表せる》といったとたん、 有理数という用語は消えるよね?」
テトラ「確かに消えています」
僕「有理数という用語の代わりに、 $a,b$ という整数が現れた」
テトラ「分数の形で」
僕「そうそう。分数の形で。そして $a,b$ は整数だけど、 ただの整数じゃない。 $a \GEQ 0, b \NEQ 0$ で、しかも $a$ と $b$ は互いに素。 そういう条件を持った二つの整数が登場したことになる。 登場したというか、僕たちが登場させたんだけどね。証明の道を探っていくために」
テトラ「既約分数というのは、 たとえば、 $\frac{4}{8}$ や $\frac{3}{6}$ じゃなくて $\frac{1}{2}$ のような形になっているという意味ですよね? それ以上約分できない」
僕「そうそう、そういうこと。そうしたら、 $$ \SQRT{2} = \dfrac{a}{b} $$ という式が作れた。式が作れたというのは大きな一歩だよ。 《$\SQRT{2}$ は有理数》ではどう考えていいかわからなかったのに、 《$\SQRT{2} = \dfrac{a}{b}$》という式を作れたなら、 この等式を変形していくことで、いろんな主張を作り出すことができることになる。 つまり考えを進められる」
テトラ「なるほど……」
僕「実際、さっきの証明でも、この等式を使って、 式変形を繰り返して、最終的に矛盾を導いたわけだね」
テトラ「はい……《$a,b$ は互いに素である》と《$a,b$ は互いに素でない》がいえました」
僕「その通り、その通り。 だから《有理数》を《互いに素》を使って $a,b$ という二整数に置き換えたことによって、 僕たちは、
テトラ「先輩のお話はとてもよくわかりました。 《有理数》をうまく言い換えて、 $a,b$ という二整数の話にしたときに《互いに素》が出てきた……と」
僕「そうだね。《有理数》を《既約分数》で表したから」
テトラ「あの……またまた疑問が出てきたのですが、いいでしょうか」
僕「どうぞどうぞ、いくらでも」
テトラ「有理数というのは、既約分数でなくてもいいですよね?」
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