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第59回 シーズン6 エピソード9
ベクトルの真実(前編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/ベクトルの真実』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/ベクトルの真実』として書籍化されています。

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の部屋

ここはの部屋。 は、ミルカさんが先日話してくれた《関数の角度》についてユーリに話していた。

「……ミルカさんが、そんな話をしてくれたんだよ」

ユーリ「ミルカさま、かっこいい!」

「お? 説明、わかったのかな」

ユーリ「さっぱりわかんなかった!」

「がく。まあでもしょうがないか。関数空間なんて話がいきなり出てきたし」

ユーリ「あのね、でもお兄ちゃんの説明聞いてたらわかったこともあるよ」

「どんなこと?」

ユーリ「数学って、すっごくおっきくて、すっごくひろいってこと!」

「へえ……」

ユーリ「説明聞いたらってゆーか、いつも思ってるんだけどねー。 お兄ちゃんや、ミルカさまや、テトラさんの話聞いてるといつも思うよー。 数学って『授業で習って試験やって終わり』じゃないってこと。 もっとすっごくおっきいの」

「おもしろいこと言うなあ」

ユーリ「そう?」

「うん。ねえユーリ。お兄ちゃんはね、授業とは別にいつも『自分の勉強』として数学をやってるよ」

ユーリ「自分の勉強?」

「勉強というか……本屋で数学の本を買って読むときや、放課後に数式をいじっているとき。 そんなときいつも『自分がやりたいから、好きだから数学やってる』と思ってる」

ユーリ「お兄ちゃんは数式マニアだから」

「いや、そういうのとも違うんだよ。 マニアとかじゃなくて…… 『この式がこうなるのはどうしてだろう』って疑問に思うことってあるよね、 数学をやってると」

ユーリ「うん。よくある」

「そういうときに『まあいいか、時間もないから覚えちゃえ』じゃなくて、 もっとじっくり『どうしてだろう、どうしてだろう』と考える。 それは数学が好きだから。それに、理由がわからないと気持ちが悪いから」

ユーリ「あ、気持ちが悪いっていうのはわかる……かも。バシッと決まらないと砂みたいなものが入った感じがするの。あのね、靴の中に」

「なるほど」

ユーリ「そのまま歩いてられるんだけど、靴の中はずーっと気になるの」

「なるほど……でね、お兄ちゃんの場合は、 どうしてだろうってじっくり考えて考えて、 わからなかったら先生にも聞きにいく」

ユーリ「うわー優等生」

「聞きにいくと、先生はけっこう教えてくれる。 授業よりもおもしろい話を教えてくれることもある。 でも、先生がすべての答えを知ってるわけでもないし、 納得がいくところまで連れて行ってくれるとも限らない」

ユーリ「そゆとき、どーするの?」

「あるところからは、やっぱり自分で考えて考えて考えてみなくちゃだめかな。 何だかね、自分の納得の仕方というのがあるみたいなんだよ。 完全なまちがいは先生が『それは違うよ』と教えてくれるかもしれないけど、 『あ、そういうことか!』と納得する最後のステップは、自分の中にあるみたい。 先生の話はきっかけなんだよ」

ユーリ「ふーん……ユーリはパパッとわからないと途中でめんどくなるかも」

「そんなことないよ。ユーリは確かに『めんどい!』ってよくいうけど、 けっこう粘り強く考えるときもあるし……そうそう、自分で持ってきたパズルやクイズのときは ていねいに説明してくれたりするし、ユーリは自分で思っているよりずっと根気強いと思うなあ」

ユーリ「て、照れるじゃん!」

「学校で習ってなくても、力の釣り合いの話、ベクトルの話、ベクトルの内積の話……何でもしっかり理解しようとするよね、ユーリは」

ユーリ「うひゃー……照れるなー、もっとホメて」

「がく」

ベクトル

ユーリ「でもね、お兄ちゃんから話聞いているときは、 サインでもコサインでもベクトルでも、何でもわかった気になるんだけど、 すぐ忘れちゃうんだよ」

「別にいいよ。また覚えればいい」

ユーリ「そーいえば、いつだっけ、二本の糸でオモリを下げたことがあったじゃん?」

「うん、物理学……力学だね。力の釣り合いの話(第52回参照)」

ユーリ「それそれ。あのとき、ベクトルを使っていろいろやったけど、 もう忘れちゃった」

「そう?」

ユーリ「ひとつだけ覚えてるのはね、えーと、 『矢印を描いたこと』と、『力をすべて見つけること』と、 『何から何に対しての力かをはっきりすること』くらいかにゃ」

「ひとつじゃなくて、みっつ覚えてるなあ」

ユーリ「うわ、チェック細かい!」

「でも、それだけ覚えていたらすごいよ。 だって、高校で習う力学の問題だからね。 図を描く。 質点にかかる力をすべて見つける。 そして力を考えるときには、何から何に対しての力かをはっきりさせる」

ユーリ「うん」

「あのときは、糸が重りを引く力の大きさを計算したんだね。 二本の糸の合力が、重力と釣り合っていることを使って」

ユーリ「あー、そんな感じ」

「高校の力学だと、あの問題みたいな『力の釣り合い』を考えたり、 物体が落下する運動を考えたり、 ぐるぐる回転する運動を考えたり、 振り子のように往復する運動を考えたりするね」

ユーリ「へー……それ全部ベクトルなの?」

「力は《向き》と《大きさ》を持ってるから、ベクトルを使って考えるのがとても自然だね」

ユーリ「あ、そーだった」

「力以外でも、質点の位置を表したり、速度を表したり、加速度を表したり……とにかく《向き》と《大きさ》を扱いたいとき、 ベクトルはよく出てくる

ユーリ「ねーお兄ちゃん。これ、前も聞いたかもしんないけど」

「何?」

ユーリ「ベクトルは《向き》と《大きさ》を持ってるから、 力や速度を表すのに使う……ってゆーのはわかったんだけど、 あのね、やっぱり『ベクトルって何?』って思っちゃう」

「ああ、そういえば、前も言ってたね。『力って数?』だっけ」

ユーリ「そーそー、それそれ。チカラは数なの? ベクトルは数なの? とかとか」

「前はなんて答えたか忘れちゃったけど、 《計算できる何か》という意味ではベクトルも数のようなものだといえるよ。 ベクトル同士の足し算はできるし、引き算もできる。 内積という形で掛け算もできる」

ユーリ「あー、内積! それも教えてもらった」

「うん。ベクトルは数のように計算できる。 でも、数の計算と同じかというと、違うよね」

ユーリ「違うよー。だって、ベクトルには《向き》と《大きさ》があるんでしょ? 数にはないもん」

「いや、それは正確じゃないなあ。数にも《向き》と《大きさ》はあるよ」

ユーリ「え?」

「数には符号っていう《向き》がある。正の数はプラスの方を向いている数だし、 負の数はマイナスの方を向いている数だよね。ゼロはどちらも向いていないけど」

ユーリ「あー、まー、そーだけど……」

「数には《大きさ》もある。 $3$ という数も $-3$ という数も、どちらも同じ《大きさ》を持ってる。 数学だとそれを絶対値と呼んで、縦棒($|$)ではさんで表すよね。 $|3| = |-3|$ という具合に」

ユーリ「そーだね」

「うん、だから、ベクトルの《大きさ》を $|\vec a|$ みたいに縦棒使う気持ちもよくわかる」

ユーリ「おんなじだ……」

「ベクトルも数も《向き》と《大きさ》を持ってる。 数はプラスとマイナスの二つの向きしかないけれど、 ベクトルの方は数よりもたくさんの向きがあるね。角度 $\theta$ で表される」

ユーリ「そっかー……ベクトルは数と似てるね」

「うん、そうだね。力学の問題も、二つの向きしかないなら、 ベクトルを使わずに単に数の問題として考えることができたし」

ユーリ「あ! 思い出した! ユーリが考えてた問題じゃん! 人が地面の上に立ってて、止まってる問題!(第51回参照)」

「止まっているか、等速直線運動だったね」

ユーリ「そだそだ! お兄ちゃんがつつつつーと横に滑ってた! あははは!」

「いや、それは忘れていいから。 ……それで、たくさんの向きが出てくるときには数じゃなくてベクトルが便利」

ユーリ「そっかー……ベクトルと数は似てるけど、ちょっと違う。 計算もできるけど、ちょっと違う。足し算に引き算に掛け算に……ベクトルの割り算もあるの?」

「割り算? いや、知らないなあ。もちろん、ベクトルを $0$ 以外の実数で割ることはできるけどね。 $2$ で割ったらベクトルの《大きさ》は半分で、《向き》は変わらない」

ユーリ「計算って、他に何があったっけ」

「あ、これはおもしろいかもしれないよ。二つのベクトルの平均

ユーリ「へーきん?」

二つのベクトルの平均

「問題の形にすればこうなるね」

問題

平面上の二つのベクトル $\vec a$ と $\vec b$ が与えられたとする。 このとき、

$$ \dfrac{\vec a + \vec b}{2} $$

は何を表すか。

ユーリ「何を表すか?」

「そう。 $\frac{\vec a + \vec b}{2}$ っていうのは $\vec a$ と $\vec b$ を足して $2$ で割っているから、 まあ、いわば平均だよね」

ユーリ「そーだね」

「このとき、 $\frac{\vec a + \vec b}{2}$ は何を表しているか」

ユーリ「え……何となくはわかるけど、なんて答えたらいいかわかんない」

「何となくはわかる?」

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(2013年12月27日)

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この記事は『数学ガールの秘密ノート/ベクトルの真実』として書籍化されています。

書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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