登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ノナ:ユーリの同級生。 ベレー帽をかぶってて、丸い眼鏡を掛けていて、ひとふさだけの銀髪メッシュ。 数学は苦手だけど、興味を持ってる中学生。 絵を描くのが好きな《ふわふわアーティスト》。
ノナとユーリと僕の三人はリビングで数学トークを続けている。
どうやらノナは、 $(x + 1)^2$ や $x^2 + 2x + 1$ のように、 数式にいろんな書き方がある理由が気になっているようだ。
僕はその理由の一つを説明しようとしているところ(第407回参照)。
僕「たとえば、 $x$ がどんな実数でも、 $$ x^2 + 2x + 1 = (x + 1)^2 $$ は成り立つ。ここで右辺に注目してみよう。 $x$ が実数だとすると、 $$ (x + 1)^2 $$ という式を見た瞬間に『あ、この式の値は $0$ 以上になる!』とわかる。 つまり、 $x$ がどんな実数でも、 $$ (x + 1)^2 \GEQ 0 $$ という不等式が成り立つ。このことはわかる?」
ユーリ「わかるわかる」
ノナ「……」
ユーリはうんうんと肯き、ノナはそれにつられて肯き掛けたけれど、首を傾げた。
僕「ユーリはわかった。ノナちゃんはわからない?」
ノナ「……」
僕「わからないときは、『わからない』と言ってもいいんだよ。誰も怒らないし、 時間はたっぷりあるんだから」
ノナ「わかる……わかります $\NONAX$」
ノナは『わかります』と言う。でも、僕にはまったくそうは感じられない。
難しい。
すごく難しい。
教えること、伝えることって、すごく難しいんだな。
自分が知ることや、自分が学ぶことも難しいけれど、それはすべて『自分』だけで完結する。
でも、教えることや伝えることは違う。まったく違う。『自分』だけでは完結しない。
『相手』がいる。
相手が要るし、相手が居るのだ。
僕は注意深く言葉を選びながら、できるだけ優しい口調で話を続ける。
僕「なるほど。『どんな実数 $x$ に対しても、 $(x + 1)^2 \GEQ 0$ という不等式が成り立つ』と言われたとき、 ノナちゃんはわかる。でも、何か気に掛かるところがあるんじゃない? ノナちゃんのその気持ちを言葉にしたら、 どうなるだろう。試しにやってみようか」
ノナ「……」
僕は待つ。
ノナの心の中で言葉が生まれ、育ち、羽ばたくのを待つ。
あわてなくても大丈夫だよ、ノナ。
時間はたっぷりあるんだから。
ノナ「すぐにはわからない $\NONAX$」
僕「ああ、そうか。 $(x + 1)^2$ を見た瞬間にはわからないけれど、 ゆっくり考えればわかるって言いたいんだね」
ノナ「はい $\NONA$」
僕「なるほど、なるほど。うん、これは僕の言い方がよくなかったね。 でも慣れてきたら $(x + 1)^2$ を見るとすぐにこれは $0$ 以上だなと気付くようになるよ」
ユーリ「どっちにしても $0$ 以上だからでしょ?」
ノナ「どっち $\NONAQ$」
僕「ユーリが言いたいのは、 $x + 1$ の部分がマイナスでも、ゼロでも、プラスでも、どれにしても $2$ 乗した $(x + 1)^2$ は $0$ 以上になるってことだね」
ユーリ「そーそー!」
ノナ「大丈夫……大丈夫です $\NONA$」
僕「ちょっとだけ補足すると、 実数というのは必ず、マイナスか、ゼロか、プラスのいずれかになる。必ずそうなる。 実数は数直線上に並んでいる数だから」
僕「そして、マイナス×マイナスはプラスになるし、ゼロ×ゼロはゼロになるし、 プラス×プラスはプラスだから、結局、実数を $2$ 乗したら必ずプラスまたはゼロになる。 プラスまたはゼロになるというのは、 $0$ 以上になるということ」
ユーリ「ずいぶん長い『ちょっとだけ補足』だにゃ」
僕「それで、ええと、話を戻すね。 僕がいいたかったのは式の書き方の話だった。 いま、 $x$ が一つの実数だとする。実数というのは数直線上にある数で、プラスかもしれないし、マイナスかもしれないし、 ゼロかもしれない。だから、 $$ x^2 + 2x + 1 $$ という式を見たときに『この式の値は絶対にマイナスにならない!』とすぐにはわからない」
ノナ「……」
僕「$x^2 + 2x + 1$ で、 $x^2$ の部分はマイナスにはならないし、 $1$ の部分はもちろんプラス。 でも、 $2x$ の部分はプラスかもしれないしマイナスかもしれない。それは $x$ がどんな実数かによる。 そうすると、 $x^2$ と $2x$ と $1$ をぜんぶ足したときに『絶対にマイナスにはならないぞ!』とはなかなか判断できない」
ノナ「そう $\NONAEX$ そう $\NONAEX$」
ユーリ「うおっと!」
僕「うわっ!」
急にノナが大きな声を上げたので、ユーリと僕も引きずられて大声を上げてしまった。
僕の話の中に、そんなに驚くところはあったか?
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