この記事は『数学ガールの秘密ノート/図形の証明』として書籍化されています。
登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ノナ:ユーリの同級生。 ベレー帽をかぶってて、丸い眼鏡を掛けていて、ひとふさだけの銀髪メッシュ。 数学は苦手だけど、興味を持ってる中学生。
僕とユーリとノナの三人は、二等辺三角形の底角が等しいことを証明する問題に取り組んだ(第306回参照)。
ユーリ「ねーねー、そろそろ別の問題出してよー」
僕「二人とも、まだ疲れていないのかな。だったら、もう一問」
問題
二つの角の大きさが等しい三角形は、二等辺三角形である。このことを証明してください。
ユーリ「にゃるほど。逆の証明!」
ノナ「逆 $\NONA$」
ユーリ「紙ちょーだい?」
僕「ああ、いいよ」
僕はいつも計算用紙に使っているA4の紙を何枚かユーリに渡す。
ノナに考えてもらうために、ユーリはあまり先走って話さないように努力してきた。 でも、自分で先に進めたくなったんだな、きっと。
僕「ノナちゃんも、紙を使っていいからね。うん、しばらくそれぞれ自由に考えてみようか」
ノナ「$\NONAQ$」
僕「ん? 何か気になることがあるの?」
ノナ「証明は $\NONAQ$」
僕「うん、だから、三人でそれぞれに証明を考えて書いてみようということ」
ノナ「ノナは……ノナも書くんですか $\NONAQ$」
僕「そうだよ。さっきの《二等辺三角形の二つの底角は等しい》という証明はだいたいわかったよね(第306回参照)。 ああいう感じで、ノナちゃんも今回の証明を考えてみようよ」
ノナ「無理……答えるのは無理です $\NONA$」
僕「いやいや、最初からちゃんとした証明を書けなくてもいいんだよ。 まちがってもいいし、途切れ途切れになってもいいから、 いまは少しの時間、一人で考えてみようよ。 人の話を聞くことはとても大事だけど、一人で考える時間もとても大事なんだ」
ノナ「考える……ノナが考えるの $\NONAQ$」
僕「うん、そうだよ。《考える》というのは基本的には僕たちが一人一人それぞれに行うことだからね」
ノナ「無理……一人で考えるのは無理です $\NONA$」
僕はちらっとユーリを見る。でもユーリは自分の考えにすでに入り込んでいて、 僕とノナのやりとりは耳に入っていないようだ。
ユーリの《助け船》は期待できない、と。
うーん。それじゃあ……《先生ノナちゃん》の扉をノックしよう!
僕「コンコン、コンコン。《先生ノナちゃん》、いらっしゃいますか」
僕はいつものようにノックするそぶりをしながら、口で扉を叩く音を出す。
ノナ「はい $\NONAQ$」
僕「『二つの角の大きさが等しい三角形は、二等辺三角形である』の証明を考えることについて、 《生徒ノナちゃん》は『一人では無理』といってます。何に引っかかっているんでしょうか?」
僕がそう言うと、ノナの顔に浮かんでいた不安がやや減り、何かを考え始めた。
僕は待つ。
ノナの中にいる 《先生ノナちゃん》と《生徒ノナちゃん》が対話を重ねる時間をキープする。
《先生ノナちゃん》と《生徒ノナちゃん》がいま対話を重ねているのは、おそらくは《数学の証明について》ではない。 《数学の証明について》ではなく、《数学の証明を自分が考えることについて》なのではないだろうか。
これは一種の内省……なんだと思う。《無理》という一言で終わらせてしまうのではなく、 なぜ無理だと思っているのか、どう無理だと思っているのか、そのような自分自身の思考を省みる時間なのだ、今は。
ノナ「やったことないから……全部一人じゃできないみたい $\NONA$」
僕「なるほど」
ノナ「どうしていいか……全然わからない $\NONA$」
僕は不思議に思う。ほんとうに不思議だ。
いっしょに数学のおしゃべりをしているとき、 確かにノナはそんなにパパッと頭が回るようには見えない。 でも、きちんと理解はできているし、定義を考えたり、理由を重ねて証明を作ることも理解しているはずだ。
それなのに、いざ自分で考えるとなると、ものすごく弱気になる。 《できない》《無理》《わからない》《ダメ》《全然》というキーワードが飛び交い、 全力であとずさりしているような印象を受ける。
まるで……さきほどまでの理解はウソです、と全力でアピールしたがっているようにも見える。
もう少し言うならば、 道具を手に入れても使おうとしない感じとでもいうのだろうか。 道具はすでに手にしているのに気づかないのか、使うのが恐いのか……うーん。
内省……が違う方向に行ってしまうからだろうか。 自分が何をどんなふうに考えようとしているか、自分はどこまで理解できているのか、それを探るはずの行動が、 過去のまちがいや、しくじりや、恥ずかしかった気持ちに触れてしまうのか。
わからないな……彼女の中の真実は僕にはまだよくわからない。
僕「全部一人でやらなくてもいいんだよ。それから、全部をいっぺんに考えなくてもいい。 さっきの証明(第306回参照)と同じように、段階を踏んで、少しずつ、わかるところから考えていけばいいんだ。 まずは問題をよく読むところからね。さっきの証明で書いたメモもたくさん残っているから、 それを見ながらでもいい。いまから少し時間を取るから、ノナちゃん一人で……《先生ノナちゃん》と《生徒ノナちゃん》の二人で……考えてみよう」
ノナ「はい $\NONA$」
ややあって、ユーリが声を上げる。
ユーリ「できたっ! あーすっきり」
僕「証明できたの?」
ユーリ「できたよー。これでいくらでもおしゃべりできるぜ」
僕「ノナちゃんはどんな感じかな」
ノナ「全然……全然だめです $\NONA$」
僕「どんなことを書いたかな?」
僕はノナの紙をのぞき込む。
そこには、こんな三本の式だけが書かれていた。
$\ANGLE{ABC} = \ANGLE{ACB}$
$\TRI{ABC} \equiv \TRI{ACB}$
$\TT{AB} = \TT{AC}$
ユーリ「できてるじゃん!」
僕「うんうん、たぶんノナちゃんはわかっているんだと思う。 じゃあ、ノナちゃんにこの書いたものを説明してもらおうかな。ノナちゃんはどんなことを考えたの?」
ノナ「角ABCと角ACBが等しいから……合同なので、 $\TT{AB} = \TT{AC}$ です $\NONA$」
ユーリ「ノナ、ノナ、すっ飛ばしすぎ!」
ノナ「$\NONAQ$」
僕「いまの説明で、僕やユーリには、ノナちゃんが何を考えていたかはだいたい想像がついたよ。 そして、ノナちゃんの頭の中にある考えはたぶん正しい。 だから、ノナちゃんは自信を持って話しても大丈夫」
ノナ「当たり……当たりですか $\NONAHEART$」
僕「うん、そうなんだけど、この書いたものとノナちゃんの説明だけだと《言葉足らず》になっちゃうね。 ノナちゃんの《中》では考えもきちんとしているんだろうけれど、 それが言葉になってノナちゃんの《外》に出てきていないんだよ」
ノナ「$\NONAQ$」
僕「あまりピンと来ないのかな。 たとえばノナちゃんは $\ANGLE{ABC} = \ANGLE{ACB}$ の説明で『角ABCと角ACBが等しい』と説明してくれたよね」
$\ANGLE{ABC} = \ANGLE{ACB}$ ←
$\TRI{ABC} \equiv \TRI{ACB}$
$\TT{AB} = \TT{AC}$
ノナ「はい $\NONA$」
僕「その、角ABCって何かな?」
僕の『角ABCって何かな?』という質問に、ノナはハッと息を飲んだ。
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この記事は『数学ガールの秘密ノート/図形の証明』として書籍化されています。
書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。
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