この記事は『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』として書籍化されています。
登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩の高校生。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
テトラ「それで、どうなったんですかっ!?」
僕「どうって?」
テトラ「もちろん、ノナちゃんですよ。 座標平面上の直線。一次関数を式で表すこと。等式の同値な変形。 そういったこと、結局ノナちゃんは理解したんでしょうか」
僕「うーん……」
ここは高校の図書室。いまは放課後。
いつものように僕とテトラちゃんはおしゃべりをしていた。
でも、今日の話題は数学じゃない。ノナだ。
先日僕の家に来ていたノナは中学生。
いとこのユーリの同級生だ。
成り行き上、僕はノナに数学を教えることになった。
でも、それは一筋縄ではいかなかったんだ(第241回参照)。
テトラ「先輩が、根気よくノナちゃんの話を聞いてあげて(第242回参照)、 グラフや等式がどんな意味を持っているかを教えて(第243回参照)、 それで、ノナちゃんはハッと気付いたんですよね?(第244回参照)」
僕「うん、それはそうなんだけど……」
テトラ「それって、ノナちゃんにとっては、ささやかながらも《エウレカ》ですっ! 《ウォーター》ですっ!」
僕「アルキメデスにヘレンケラー」
テトラ「はいっ!」
僕「いや、でも、そうでもなくて」
テトラ「えっ……あたしはてっきり、ノナちゃんが数学の理解に《目覚めた》と思ったんですが」
僕「《目覚めた》というか、実際は逆だったんだよ」
テトラ「逆といいますと……かえって数学がわからなくなったんでしょうか」
僕「いやいや、そういう意味の逆じゃなくて《目覚め》の逆。ノナちゃんは、あの後《眠りに入った》んだ」
テトラ「眠りに入った……それは、どういう比喩でしょう」
僕「比喩やたとえ話じゃなくて、実際の話。直線の方程式でいったん興奮したんだけど、 すぐ後でノナちゃんは《眠ってしまった》んだよ。くーくー……ってね」
テトラ「?」
そうなんだ。
$y = 2x$ という式が直線を表すことを深い意味で悟ったらしいノナ。
でも僕が次の話を始めようとしたら、急激に眠くなったらしい。
彼女は、リビングのソファで仮眠を取り、 目を覚ましたときには時間も遅くなってしまったので、ユーリといっしょに帰っていったんだ。
最初から最後まで、不思議な訪問だった。
テトラ「ノナちゃん《おねむ》になったんですか……」
僕「そうみたいだね。たくさんの新しいことを考えたからかも」
テトラ「ああ、それ、わかる気がします」
僕「眠くなる気持ち?」
テトラ「はい、そうです。 あたしも夜、勉強していると急激に眠くなることがあります。 勉強していると急激にお腹が空いてくることもあります。 あれは、何なんでしょうね。HPの急激な低下」
僕「きっと、脳がエネルギーを消費してるんじゃないかなあ」
テトラ「んーんんん。ということは結局、ノナちゃんがどんなふうに理解したか、 よくわからないまま勉強会は終わったんですね」
僕「まあ、そういうことだね。あれを勉強会というならば、だけど。 数学の勉強会なのかどうかわからないような不思議な時間だったよ。 結局 $y = x$ と $y = 2x$ の話しかしてないし」
テトラ「ノナちゃん、数学が好きになってくれるといいですよね……」
僕「うん、数学は嫌いじゃないみたい。興味もあるし。 それから、僕の話もおもしろかったらしいよ」
テトラ「それはそうだと思います。先輩とお話をするのはとても楽しいですっ!」
僕「それで、今度の土曜日にもまた僕の家に来る段取りになってしまったんだ。 そうだ、ノナちゃんはこんなのを僕にくれたよ」
テトラ「これは……鶴ですか。きれいな折り鶴」
僕が渡した小さな折り鶴を、テトラちゃんはいろんな角度からながめる。
この折り鶴は、ノナが帰り際に、ポシェットの中から取りだして僕にくれたものだ。
普通の折り紙より小さ目で、手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさ。
ベレー帽をかぶり、丸い眼鏡を掛けた小柄なノナがそっと手渡してくれたペーパークラフト。
僕「かわいいよね」
テトラ「かわいいです……きれいなグラデーションの色紙で折ってあります。 これは、ノナちゃんから先輩への《感謝のしるし》ということなんですねっ!」
僕「いや、何も言ってなかったけど」
テトラ「先輩! そういうことじゃなくてですね……」
僕「ともかく、先週はそんなことがあったんだよ」
テトラ「……あたし、ノナちゃんのお話を聞いていて、自分のことを思い出しちゃいました」
僕「自分のこと?」
テトラ「はい、初めて先輩に質問したときのことです(『数学ガール』参照)。 質問といいましょうか、相談といいましょうか……」
僕「ああ、なるほど」
テトラ「あたしにとって、あれは大切な相談でした。 もやもやしていたところが、すっきりしましたから」
僕「そうなんだ」
テトラ「そうですっ! 高校に入って数学がもやもやしていて、 これじゃまずいと思って先輩にお聞きして、 自分がすごく《あまあま》だったとわかったんです」
僕「テトラちゃんは、初めからしっかりしていたよ」
テトラ「そんなことありませんっ!」
テトラちゃんは、ぶんぶんと首を振る。
僕「そうかなあ」
テトラ「言葉です。言葉なんですよ」
僕「言葉って?」
テトラ「あたしが相談に行ったとき、先輩は定義の話をしてくださいました。そのとき、あたしは気付いたんです。 授業を聞いているつもりだったけど、あたしは先生の言葉を聞いていなかった。 教科書を読んでいるつもりだったけど、あたしは書かれた言葉を読んでいなかった。 あたしはずっと、中学校時代をずっと、 自分に与えられた言葉の意味を理解しないまま過ごしてきた……先輩のお話を聞いた後、 あたしはそんなふうにショックを受けたんです……言葉をきちんと扱ってこなかったことについて」
僕「いやあ、でもテトラちゃんは、わかったときでも、わからないときでも、自分の状態をきちんと言葉にしてくれるよ。 だから、話がとてもスムーズに進む。 でも、ノナちゃんと話すのはすごく難しい。 難易度が高いんだ」
テトラ「難易度……」
僕「うん、そうだよ。たとえば僕が点と座標の話をする。こんなふうに」
ある点の $x$ 座標の値は $1$ だとする。
そのことを $x = 1$ という式で表すこともできる。
《この点の $x$ 座標の値が $1$ に等しい》ということを表すためにこの式を使ったんだよ。
テトラ「はい」
僕「うん、いまテトラちゃんが言ったように『はい』という返事が来る。 それを聞くと僕は『ここまでの話は伝わったんだな』と感じる」
テトラ「はい、そうですね。話が伝わったので、あたしは『はい』と言いました」
僕「だよね。『はい』という返事が来ると、伝わったんだなとわかる。 でも、ノナちゃんの場合は、そうとは限らない」
テトラ「……?」
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この記事は『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』として書籍化されています。
書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。
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