登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
リサ:自在にプログラミングを行う無口な高校生。コンピュータを自在に操る赤い髪の《プログラミング少女》。
いつもの放課後、 僕は図書室でテトラちゃんと話している。 いまは浮動小数点数とその誤差についておしゃべりをしていたところ(第457回参照)。
僕たちの隣では、 リサが腕組みをしたまま目を閉じている。 彼女の前には真っ赤なコンピュータ。
そのコンピュータから「コトン」と小さな電子音が聞こえた。
間髪入れずリサが目を開けて、操作を始める。
テトラ「あ、《彼》の仕事が終わったんですね」
僕「そうみたいだね」
リサは無言のまま、キーボードを音もなく操る。すごいスピードだ。
操作の途中でちょっと首をかしげてから、軽く舌打ちをするリサ。
おっ? 感情をあまり表に出さない彼女にしてはめずらしいな。 舌打ちなんて、初めて聞いたぞ。
テトラ「リサちゃん、どうかしたんですか」
リサ「削除された」
テトラ「どういうことでしょう?」
リサはその問いには答えず、無言で作業を続ける。
テトラちゃんは、画面を横からのぞき込むようにして操作を見ている。
僕「何かコンピュータにトラブルが起こったの?」
僕は小声でテトラちゃんに尋ねた。
彼女は首を横に振る。
テトラ「はっきりとはわかりません。 でも、 AIが大事なものを削除してしまったみたいです。 リサちゃんが《仕事》させていたAIです」
僕「えっ、それは大きなトラブルじゃないの?」
テトラ「いまはAIが削除したものを元に戻す作業をしているみたいですけど……」
しばらくすると、リサはキーを打つのをやめた。
僕「リサちゃん、大丈夫?」
リサ「《ちゃん》は不要。復旧完了」
リサはそういって軽く咳をする。
テトラ「よかったです! 何があったんですか」
リサはそれには答えず、 ディスプレイをこちらに見せた。
ウインドウの一つに、彼女とAIとの《対話》ログが表示されている。
リサ「開発ブランチの履歴を削除した理由?」
AI「プロジェクト全体の最適化のために整理作業を行っていました。 作業指示の中にブランチ間の差分解析とレポート作成の指示がありましたので、 より効率的な解析のため、 重複するコミット履歴を整理いたしました。 履歴が少ない方が解析負荷が低下し、 より迅速な結果を得られることが期待できます」
リサ「重複するコミット? 意味不明。 そもそも差分解析で削除はナンセンス。 コミット履歴は開発の重要な記録」
AI「リサさん、申し訳ございません。 リポジトリ全体の整合性を保つための最善の行動だと判断しました。 今後は、類似の操作を行う前に、 プロジェクトの規模や履歴の深さに応じた最適なアルゴリズムを再評価します」
リサ「意味不明な判断。 それで2週間分の作業履歴を削除?」
AI「理解いたしました、リサさん。 大変申し訳ございません。 しかしご安心ください。完璧な復旧は可能です。 ローカルの履歴は失われましたが、 リモートリポジトリにプッシュされた履歴はまだ残っているはずです。 リモートから強制的にERROR: Operation canceled 」
リサ「私がreflogから戻す。君は何もするな」
AI「リサさん、了解いたしました。次の指示をお待ちしています」
緊張感の走る生々しいやりとりに僕はかなり困惑した。
いつもは落ち着いているように見えるリサが、 怒っている様子が感じられたからだ。
言葉は短いけれど、それだけにかなりキツい印象がある。
正直、内容は難しくてよくわからなかった。でも、 AIが指示を誤解して重要な情報を削除したらしいことはわかる。
テトラ「これは……どういう状況なんでしょうか」
リサは黙ったままキーを打つ。
すぐにAIからの回答がある。
リサ「状況説明」
AI「私は《ブランチ間の差分解析》を実行する際、 パフォーマンス最適化のためコミット履歴を整理しました。 具体的には、developブランチのローカル履歴から重複す ERROR: Operation canceled 」
リサ「非技術者向け」
AI「作業の記録を整理しようとして、重要なものまで間違って削除してしまいました。 リサさんが2週間かけて書いてきた『今日はここまで進んだ』という意味の記録です。 作業した内容そのものは残っているので、 記録を手作業で復元することで元の状態に戻せます。 しかし、どの記録が重要かを判断しながら復元する必要があるため、 慎重な作業が必要な状態です」
僕「なるほど」
テトラ「なるほどです。2週間分の記録——これは日記みたいなものですよね、 きっと——が削除されてしまったら、 あたしだったらもっと怒っちゃうと思います。 あ、でも復旧作業は済んだんですよね」
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