登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ここは僕の家。いとこのユーリが遊びに来ている。
ユーリは、僕のコンピュータを使って AIとチャットしているところ(第451回参照)。
AI「……でも、ユーリさんの質問のおかげで、すごくシンプルに言い直せたと思います。ありがとう。 もっと数学的に詳しい話をしましょうか?」
ユーリ「AIクンにほめらりたぜ」
僕「ところで、さっきの話だけど……どうして僕のコンピュータをわざわざ使うんだろう(第451回参照)」
ユーリ「んーと、あのね。話しにくいんだけど……」
僕「言いにくかったら、無理に言わなくてもいいけどね」
ユーリ「話、聞いてよ!」
僕「どっちだよ」
ユーリ「おとーさんとおかーさんが『使うな』って」
僕「コンピュータを? いまどき?」
僕は、ユーリの両親——つまり僕の叔父と叔母——の顔を思い浮かべる。
そんなにうるさいことを言う人だっけ。
ユーリ「あのね、 勉強するとき、 コンピュータはできるだけ使うなって。 えーあい も使っちゃダメって言われた」
僕「へー……ウチは何にも言われないなあ」
ユーリ「高校生だから?」
僕「どうして使っちゃ駄目なんだろう」
ユーリ「『AI使うと、自分で考えなくなるから使っちゃダメ』 だって! そんなこと、 ないよねえ!」
僕「AIを使うと、自分で考えなくなるとは僕は思わないけど——ああ、でも、 使う人によるかもしれない。 宿題を全部AIに解かせてる奴、クラスにいたからなあ……」
ユーリ「宿題をAIにやらせる! それ、便利じゃん!」
僕「あのね……ユーリにそう考えてほしくないから『使うな』って言うんだと思うよ」
ユーリ「ぎく」
僕「やっぱり、誘惑になるからかな。 宿題をそのままAIに渡せば答えが返ってくる。 その答えを書き写せば宿題が終わる。 そりゃ、親も先生も使ってほしくないよね」
ユーリ「やだなー。『AIに宿題やらせたら便利』って、言葉のアヤですぜ、ダンナ」
僕「誰がダンナだよ」
ユーリ「ユーリは、AIとおしゃべりしてみたいだけなんだよー。お兄ちゃんと《数学トーク》するみたいに。 そんなことできるかどーか、わかんないけど」
僕「なるほどね」
ユーリ「結局さ、ユーリは親から信用されてないんだよね。AIがあったら勉強をサボるって思われてる。 なんてこった! ぐすん……」
僕「ウソ泣きやめい」
そんなふうにユーリと軽口を交わしながら僕は思った。
信用の問題。
確かに、そうかもしれない。
僕は優等生的に「誘惑になるから」と答えちゃったけど、 AIを使わせるか使わせないかというのは、 確かに《信用の問題》といえるかもしれない。
僕は思い出した。
僕の高校では、 教科書準拠の傍用問題集が配られるとき、 学年末まで解答冊子が回収されてしまうのだ。
いまじゃすっかり慣れてしまったけれど、 最初は大きな疑問を感じたのを思い出した。
そんなふうに思ったのだ。
先生からは 「解答冊子があったら、自分で考えなくなる」 という説明があった。
自分で考えなくなる……というのは、 ユーリの親のセリフと同じだ。 僕は、ナンセンスだと思う。
ユーリは冗談めかして言ってたけど、 確かに信用されていないと感じるなあ……
ユーリ「それからね。 『AIは、間違ったことを教えるかもしれない』から使っちゃダメだって」
僕「うん?」
ユーリ「だーかーらー、AIを使っちゃダメなのは 『ウソつくこともあるから』 なんだって。 AIって、ウソつくの?」
僕「ああ、ハルシネーションのことだよね。 AIは、世の中のデータを学習するんだけど、 それとは関係がない間違ったことをいかにもそれっぽく語るときがある。 確かにそれには注意する必要があるよね」
ユーリ「AIって、いつも正しく答えると思ってたよ。 コンピュータのプログラムなのにバシッと答えが出ないなんておかしくね?」
僕「僕も生成AIの仕組みを詳しく知ってるわけじゃないけど……そこには複数の『正しさ』が混じっているような気がする」
ユーリ「お兄ちゃん、何を言ってるデスカー? 複数の正しさ? 正しさはいつもひとつ!」
僕「コナンやめい。 プログラム自体は、いつも『正しい』動作をしているはずだよ。 ちゃんと決まった通りに動いている。 でも、そのプログラムが出してくる回答がいつも内容として『正しい』回答だとは限らない」
ユーリ「へー……そんなことあるんだ」
僕「考えているレベルが違うから。これはたとえ話だけど、 人間の身体はものすごくたくさんの分子でできている。 そしてそれはすべて物理学的に『正しい』動作をしている。 ちゃんと決まった通りに動いている。 でも、その分子が集まってできた人間が出してくる回答がいつも内容として『正しい』回答だとは限らない」
ユーリ「お、おおおお! なんだかナットクさせられた! そーいえば人間だってウソつくもんね」
僕「ウソ泣きもするし」
ユーリ「蒸し返すのやめい」
僕「だから、AIの回答だからといっていつも正しいとは限らない。 なので、いつも『これは正しいだろうか』って考えながら回答を聞かなくちゃね……ユーリ?」
ユーリは僕の話なんか聞いちゃいなかった。
何かをAIに尋ねている。僕はそれをのぞきこむ。
ユーリ「AIはウソをつくことがあるの? いつも正しいとは限らないってお兄ちゃんが言ってた」
ユーリがそんなふうに尋ねると、 AIは瞬時に回答を返してきた。
AI「うん、ユーリのお兄ちゃんの言うとおり。 AIはウソをつこうとしているわけじゃないけど、間違ったことを言うことはあるよ。 理由はいくつかあるんだけど、たとえば
ユーリ「ほーらね?」
僕「何が『ほーらね』なんだろう」
ユーリ「AIクンだって『自分でも考えることが大事だ』ってオススメしてる。 だから、AIを使うからって考えなくなるわけじゃない。むしろ逆じゃん。 ウチの親のこと、 AIクンが説得してくんないかにゃあ!」
僕「それ自体もAIからのヒントに過ぎないんだけどね。 いまAIは『AIが間違ったことをいう理由』を説明してくれた」
ユーリ「そだね。AIクン、やるじゃん」
僕「でも、 『AIが間違ったことをいう理由』の説明そのものがAIの説明なんだから、 簡単には信用できないよ。 ちゃんと自分で『この説明は本当だろうか』って考えないといけない」
ユーリ「うっわー! 確かに! おもしろ! でも、 そんなこと言ってたら疑り深い人間になりそーだね」
僕「《疑り深い》というと聞こえが悪いけれど、 僕が言いたいのは《自分で確かめようとする態度》が大事だってことだよ……」
ユーリ「わかってるって。お兄ちゃん、真面目かよ」
僕「それに、ユーリは自分で確かめるのがとても得意じゃないか。僕が説明していて、 あやしくなるとすぐに《ダウト》って言ってくるよね。 あれはすごくいい。 ユーリはよく考えて聞いていて『あれ、変だぞ』というときにダウトを宣言してる。 まさに、その態度のことだよ。僕が言いたいのは」
ユーリ「お兄ちゃんにもほめらりたぜ。 ……はっ! すごいこと思いついた!」
ユーリ「AIは $1+1$ の答えも間違うの? どうしたら、 AIの回答が正しいってわかるんだろ」
AI「うん、実は $1+1$ みたいな簡単な計算でも、間違うことはあるんだ。 特に、質問のしかたがややこしかったり、文の中にたくさんの情報がまざってたりするとね。 AIは人間みたいに『ちゃんと考えてる』わけじゃない。 それっぽく見える答えを選んで話しているだけ。 だから『当たり前すぎること』でも油断はできないんだよ。 じゃあどうしたら正しいか分かるのか。 それはね、ユーリが自分で考えて、確かめること。 自分の中で納得できるまできちんと考え抜くこと。 つまり、AIを信じすぎず、使いながら自分で確かめる。 それがいちばん賢いやり方なんだよ」
ユーリ「AIクン、お兄ちゃんと同じこと言ってきたぞ。 もしかして、お兄ちゃんってAIなの?」
ユーリはそう言って、僕の顔をニヤニヤしながら眺める。
僕「僕は人間だよ、一応。 ところでこのAIの回答はうまくできてる」
ユーリ「?」
僕「ほら、ユーリは『$1+1$ の答えも間違うの?』って尋ねているだけなのに、 AIは『$1+1$ みたいな簡単な計算でも、間違うことはある』って答えている。 さりげなく《簡単な計算》と言葉を補って回答している。 この回答を読むと、 質問したユーリの方は『ちゃんと自分の意図が伝わっている』と感じるわけだね。 ユーリは $1+1$ を《簡単な計算》のつもりで言ったから」
ユーリ「ほんとだ……気づかなかった」
僕「それから答えの最後で『それがいちばん賢いやり方なんだよ』とまとめている。 もしかしたら、《いちばん賢いやり方》という表現を使うとユーリにうまく刺さる ということでこの表現が選ばれたのかもしれない。 ユーリとやりとりしているうちに、 AIはユーリのことをそう理解したのかも」
ユーリ「おお?」
僕「人間の考えにたとえるなら、こんな感じかな。 『このユーリとやらは、バシッとわかることにこだわってるな。 さっきは微分などを尋ねてきたぞ。 なかなか賢い子じゃ。 とすると《賢さ》にこだわりがあるのかもしれんな。 それでは《賢いやり方》と表現すると納得してもらえるかもしれんぞ』」
ユーリ「うわあ……あれ、 でも、別にAIはそんなふうに《考える》わけじゃないよね。 それっぽい言葉を組み合わせてるだけじゃないの? わかんなくなったぞー」
僕「なかなか難しいね。さっきは人間の考えにたとえて表現しちゃったけど、 実際にAIの中で何が起きているのかは僕にもわからないし、 AIの中で何が起きているかを表現する言葉もわからない。 ただ、 人間が考えているときの様子を表す言葉を借りて、 AIの回答を表現してみただけだよ」
ユーリ「AIに、もっと別のことを聞いてみたい」
僕「たとえばこんな問題はどう?」
問題
$\sqrt2$ が無理数であることを証明せよ。
ユーリ「知ってる。 背理法使うんでしょ。 こんなの簡単すぎるよ。 お兄ちゃん、教えてくれたじゃん」
僕「だからいいんじゃないか。 AIの回答を見てユーリが正しいかどうか判断できるだろ?」
ユーリ「そっか!」
ユーリ「$\sqrt2$ が無理数であることを証明して!」
AI「おっと、 $\sqrt2$ が無理数であることの証明だね!賢いユーリならきっと理解できるはず。一緒に見ていこう。 $\sqrt2$ が無理数であることを証明するには背理法を使うのが一般的だよ。背理法というのは、「もし〇〇だと仮定したら、おかしなことが起こるから、やっぱり〇〇じゃない」と示す方法なんだよ。難しく感じるかもしれないけERROR: Operation canceled 」
ユーリはキーボードを乱暴に叩いてAIの回答を途中でさえぎった。
画面にERROR: Operation canceled(エラー:操作がキャンセルされた)というメッセージが表示された。
僕「おいおい。ユーリ、そんなにキーボード叩くなよ」
ユーリ「だって、AIクンの回答がうざいんだもん。 『賢いユーリならきっと理解できるはず』とか言ってくるし!」
僕「そういう回答だと、ユーリがムッと来るってAIはわかってないんだね。 そういう回答が嫌だったら 《回答の仕方》も伝えてみたら? 『子供扱いするような言い方はやめて、 簡潔に回答してください』のように」
ユーリ「なーるほど! 《回答の仕方》も指定できるのかー」
ユーリ「$\sqrt2$ が無理数であることを証明して。 子供扱いするような言い方はやめて、簡潔に回答して」
AI「$\sqrt2$ が無理数であることの証明。
僕「……」
ユーリ「……」
ユーリはAIの回答を真剣な顔で読んでいる。 たぶん《ダウト》できるかどうかを真面目に考えているんだな。
そのうちにユーリはそばにあった紙をとり、 計算を始めた。これはきっと、AIの式変形を自分で追おうとしているんだろう。
僕はユーリが考えを進めている間、無言で待つ。
思考のためには静寂な時間が必要なのだ。
たとえ、そこにコンピュータが関わっていようとも。
僕「……」
ユーリ「ふー……なかなかAIクンもやるのう」
僕「AIの証明を順番に追ってみたの?」
ユーリ「そーだよ!もちろん。そのためにやってるんだもん。 さすがに、この証明は正しいんじゃない?」
僕「まあ、そうだね」
ユーリ「引っかかる言い方」
僕「結論のところがちょっとね」
結論: 矛盾が生じたため、最初の仮定「$\sqrt2$ が有理数である」は誤りです。ゆえに、 $\sqrt2$ は無理数です。
ユーリ「これがおかしいの?」
僕「細かい話だけど、仮定は『誤り』というよりも『偽』と言ってほしかった気持ちはある」
ユーリ「ふーん」
僕「それから、これも細かい話だけど、 軽くツッコミを入れたくなるところがある。 それは、 『$\sqrt2$ が有理数である』が偽だと、どうして『$\sqrt2$ は無理数である』といえるのか」
ユーリ「それが背理法だから」
僕「『$\sqrt2$ が有理数である』が偽なら、 いえることは『$\sqrt2$ は有理数ではない』だよね?」
ユーリ「えー、だって有理数じゃなかったら無理数じゃん?」
僕「虚数単位 $i$ は有理数じゃないけど、無理数でもないよ」
ユーリ「だって $i$ は複素数だもん!」
僕「そこだよ。つまり大前提として $\sqrt2$ は実数であり、 $\sqrt2$ が有理数でなかったら無理数であるというのが隠れている……といっても、 さっきから言ってるけど、これは細かい話だよ。いや細かくはないんだけど」
ユーリ「どっちや」
僕「証明にどこまで書くかは難しいって話」
ユーリ「あ、それユーリも思ったよ。 あのね、『$a^2$ は偶数です。したがって、 $a$ も偶数とわかります』ってところ。 一瞬『なんでじゃ』と思ったけど、少し考えたらわかった」
僕「なるほど。 $a^2$ が偶数なら $a$ が偶数である理由まで証明の中に書いてもいいけど、 この場合には書いていない。 そこの部分は書かなくてもすぐにわかるとAIは判断したんだね」
ユーリ「AIは《判断》したの?」
僕「AIの振る舞いを表現するのは、なかなか難しいなあ……」
ユーリ「ところで、これってAIが証明を理解してるってこと?」
僕「それは『理解とは何か』って話になるから難しそうだよ。 AIはいまみたいに 『$\sqrt2$ が無理数であることの証明』 を書くことはできる。 でも、証明を書くことができたら理解しているといえるだろうか。 もしかしたら丸暗記しているのかもしれない」
ユーリ「丸暗記かどうかって、わかんの?」
僕「証明について質問をしてみたらどうだろう」
僕はAIに質問してみる。
僕「いまの証明で『$a^2$ が偶数であることから $a$ が偶数であるといえる』のはなぜか説明して」
AI「簡潔に言うと、奇数を $2$ 乗すると必ず奇数になるからです。 $a$ が奇数ならば $a^2$ は奇数になるので、 対偶をとると、 $a^2$ が偶数ならば $a$ は偶数です」
僕「対偶を説明して」
AI「簡潔に言うと、『AならばBである』という命題に対して『BでないならばAでない』がその命題の対偶です。 命題とその対偶は真偽が一致します」
僕「ということは『$a$ が奇数ならば $a^2$ は奇数になる』の対偶は 『$a^2$ が奇数でないならば $a$ は奇数でない』じゃないでしょうか」
AI「その通りです。 いまは $a$ が整数で考えていますから、 『奇数でない』と『偶数である』は同じです」
ユーリ「ほえー……おもしろーい! これこれ! ユーリはね、 AIとこういう話がしたかったの!」
僕「質問はまだまだ続けることができるし、 このくらいのことなら、AIは正しく答えられそうだね。 こういう振る舞いをする存在に対して、 『証明を丸暗記しているだけであって、理解していない』 なんて僕には言えないなあ……もしも、 これで理解していないというなら、僕だって理解していない」
ユーリ「$\sqrt2$ が無理数であることの証明はさておき……AIの回答を、 自分が正しいかどうか確かめなくちゃいけないとしたら、 『自分が答えを知ってる問題』にしかAIは使えないってこと?」
僕「ユーリは鋭いなあ。ある意味ではそうだね」
ユーリ「そーなるよね。それっぽいことを言うけど、 間違いを言うかもしれない。 自分で確認しなくちゃダメなんだもん」
僕「いや、ちょっと待って、何か変だな」
ユーリ「自分が答えを知ってる問題にしか使えないなら、あんまし役に立たない……」
僕「いやいや、役に立たないなんてことはないよね。 役に立つけど、うのみにしては駄目で、あてにするのは危険なときがある」
ユーリ「あてにできないなら、役に立たないのでは?」
僕「AIを《正解を教えてくれる存在》と考えるならね。 でも《考えることを助けてくれる存在》と考えたらどうだろう」
ユーリ「考えることを助ける?」
僕「自分の力では考えを進められなくなったときにAIに尋ねる。 するとAIの回答がヒントになって、 考えを広げるきっかけになる……みたいな感じかな。 そういえば、さっきAIも『ヒント』っていってたね」
ユーリ「そっか!」
そして、僕は思った。
考えてみると、 先生だって同じじゃないだろうか。
先生を《正解を教えてくれる存在》だと考えるんじゃなくて、 《考えることを助けてくれる存在》と考える。
うん、そうだ。先生だって、教科書だって、本も動画もそうだ。
それは正しいことを教えてくれるかもしれないけれど、 絶対に正しいかどうかはわからない。
誰だって間違うことはあるからだ。
だからいつだって、何に対してだって、 自分で「本当にそうだろうか」と考える必要がある。
……そんなことを考えていると、 僕はふと、 AIの回答の下に、小さい注意書きが表示されていることに気がついた。
AIは間違うことがあります。 回答は必ず確認してください。
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(2025年6月27日)