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登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
僕とユーリ、そしてテトラちゃんは、 双倉図書館で開催されているイベント《いにしえの代数学》の会場を回っている。 会場にはパネルがたくさんあり、解説や数学の問題が書かれている。
僕たちは、解説パネルで アル=フワーリズミーの二次方程式の解法を見終えたところ(第446回参照)。
アル=フワーリズミーと二次方程式の解法(再掲)
アル=フワーリズミーの 『アル=ジャブルとアル=ムカーバラの書』 では、 $$ x^2 + 10x = 39 $$ という二次方程式は、
どのようなマールに $10$ 個のジャズルを加えたら $39$ になるか
のように言葉で表現される。
僕「……だから、アル=フワーリズミーのこの方法を二次方程式 $$ x^2 + bx = c \qquad (b > 0, c > 0) $$ に当てはめるなら『$b/2$ を二乗して $c$ を加えて正の平方根をとって $b/2$ を引く』ということだから、 $$ x = \SQRT{\left(\frac{b}2\right)^2 + c} - \frac{b}{2} $$ という正の解を得る解法になる——ということだね」
ユーリ「その調子で $6$ 通りのパターン(第446回参照)ぜんぶ書いてくのは、 めんどいにゃあ」
テトラ「ユーリちゃんのいう通りですよね。 正の数に限定することで考えやすくところもありますけど、 場合分けが多くなってしまうのは大変ですね」
僕「こっちのパネルには図形が描いてあるね」
$x^2 + 10x = 39$ の解法の幾何的正当化
アル=フワーリズミーは $x^2 + 10x = 39$ の代数的解法が適切であることを、 図形を用いて次のように説明した。 このような幾何的正当化はバビロニアの数学からの影響であると考えられる。
図版は Rosen, Frederic (Ed. & Trans.). The Algebra of Mohammed ben Musa. London: Printed for the Oriental Translation Fund, 1831. Sold by J. Murray, Albemarle Street; Parbury, Allen, & Co., Leadenhall Street; Thacker & Co., Calcutta; Treuttel & Wuertz, Paris; and E. Fleischer, Leipzig. から引用。
ユーリ「あっ、めんどくさい! 次のパネル行こ!」
僕「そんなに先を急いでもつまらないよ。この説明は $x^2 + 10x = 39$ の解法を図形的に説明しようとしてるんだね」
ユーリ「こーゆーの、動画にしないとわかんないよ」
僕「9世紀の時代には動画はないよ」
テトラ「その時代でも、図形を使って説明するというのは納得感を生んだんでしょうね」
ユーリ「たった一つしか図形なくても?」
僕「自分の頭の中で動画にするわけだね」
テトラ「これって……当時の人には《最先端の数学》だったわけですよね。 それを、あたしたちが追うことができるってすごいと思います」
僕たちは紙を広げて、この幾何的正当化が何を行っているか、 自分たちの理解のためにチェックしてみることにした。
$x^2 + 10x = 39$ を解く
面倒そうに紙に書いて考え始めたユーリだったが、すぐに声を上げた。
ユーリ「あっ、なーんだ! これだけの話?」
僕「早いな」
ユーリ「こんなのカンタンじゃん!」
テトラ「それじゃ、ユーリちゃん。 $x^2 + 10x = 39$ の解法を図形で教えてくださいな」
お姉さんモードになったテトラちゃんが話をうながして、 ユーリが早口で説明を始めた。
ユーリ「面積 $x^2$ を持つ正方形 $AB$ って、ココのことでしょ?
正方形なんだから、一辺が $x$ で、その $x$ を求めればいい」
僕「そうだね」
ユーリ「二つの長方形 $G$ と $D$ ってココのこと。 $x^2 + 10x = 39$ の $10x$ を二つに分けて、面積は $5x$ ずつ。 一辺を正方形の $x$ に合わせると別の辺は $5$ になる。
正方形 $x^2$ と長方形 $5x$ を二つ足すと面積は $x^2 + 10x$ になる。
二つの長方形 $G$ と $D$ の、 $5$ の辺二つで作ったちっちゃな正方形が 左下にできて、その面積は $5\times 5 = 25$ になる。 ココのこと。
$x^2 + 10x = 39$ に $5\times 5 = 25$ を足したら、 おっきな正方形 $SH$ ができる。これは全体の正方形のこと。
あとは $39 + 25 = 64 = 8^2$ だから、 おっきな正方形 $SH$ の一辺は $8$ になるし、 そこから $5$ を引いた $3$ が正方形 $AB$ の一辺 $x$ になる!」
僕「手早いなあ」
ユーリ「全然めんどくさくなかった」
僕「そうだよね。一見、複雑で面倒そうに見えたとしても——」
ユーリ「ストーップ! お兄ちゃん、 いま《先生トーク》を始めようとしたね?」
僕「お?」
ユーリ「『一見、複雑でめんどーそーに見えたとしても、 きちんと取り組んでみると、意外とカンタンなんじゃ。 ゆめゆめサボることなかれ……』みたいな」
僕「キャラ崩壊してるぞ」
テトラ「ともかく、長い文章で解法の手順を示されるよりも、図があった方がわかりやすいのは確かだと思います。 もちろん、図を見て《わかったつもり》になるのはまずいですけど……」
僕「図を使ったアル=フワーリズミーの説明は、 結局のところ、二次方程式を平方完成で解いているようすがよくわかるね」
テトラ「ああ、確かにそうですね!」
ユーリ「へーほーかんせー?」
僕「面積 $x^2$ の正方形に $5x$ の長方形を二つ足してできた形から、さらに大きな正方形を作ったというのは、 式で書くと—— $$ \begin{align*} x^2 + 10x &= 39 && \REMTEXT{二次方程式} \\ x^2 + 10x + \REDFOCUS{25} &= 39 + \REDFOCUS{25} && \REMTEXT{$(10/2)^2 = \REDFOCUS{25}$を両辺に足した} \\ x^2 + 2\times 5x + 5^2 &= 64 \\ (x + 5)^2 &= 64 && \REMTEXT{左辺は平方の形になっている} \\ \end{align*} $$ ——になる。 $(10/2)^2$ を加えて $(x + 5)^2$ という平方の形を完成させたんだ。これが平方完成だよ。 そして平方完成をしたことは幾何的には《大きな正方形を作る》と表現されている。 平方の形になったあとは、平方根を取ればいい。 いまは正の解だけを考えているから、 $$ \begin{align*} (x + 5) &= 8^2 \\ x + 5 &= 8 \end{align*} $$ となって、両辺から $5$ を引いて $x = 3$ になった」
ユーリ「なーるほどー……平方完成かー」
テトラ「正方形を完成させていくのは形が目に見えるから楽しいですね……ところで、 いまの先輩の説明をお聞きして思ったことがあります。 式を使って納得するのと、 図形を使って納得するのは、その両方があった方がいいような気がしました」
僕「どういうこと?」
テトラ「論理的には片方だけでもいいかもしれませんが、 式と図形と、両方あった方が深く納得して、深く理解できるんじゃないでしょうか」
僕「うーん……」
テトラ「たとえて言うなら……右手と左手が協力して大切なものを持ち運ぶような感覚があります」
テトラちゃんは、両手を近づけて何かをそっと持ち上げるジェスチャをする。
僕「へえ……」
テトラ「持ち運ぶだけなら片手でも十分なんですけれど、両手を使った方が大切に扱える……と感じます。 何というんでしょう。《多様な方法》で説明する。《多様な方法》で表現する。 それによって、より深く理解できる感じがしませんか?」
ユーリ「動画とかも!」
僕「動画?」
ユーリ「いろんな方法で表現するって話じゃないの? 式を使ったり、図を使ったり。 だったら、動画を使った表現があってもいーじゃん?」
テトラ「そうですね! だとしたら、 数学的な概念を、プログラミング言語で表現する場合があるかもしれませんね……」
動画やプログラミング言語で平方完成を説明できるかどうかはわからないけど、 テトラちゃんが話していた《多様な方法》については、なぜか心引かれるものを感じた。
僕たちは、アル=フワーリズミーのコーナーから次のコーナーへ順路を進んだ。
代数学と幾何学
9世紀までに、 イスラムの数学者はギリシア数学者の著作を翻訳し、それを通じて証明を学んだ。 ユークリッドをはじめとするギリシア数学者は幾何学を用いた証明を行っていたので、 イスラムの数学者は代数学における問題の解法や計算手順に対して、 幾何学的な証明を付けていくことになった。 その結果としてイスラム世界は、 代数学と幾何学が混じり合って発展する大きな舞台となった。
ユーリ「どゆこと?」
僕「ちゃんと読んだ? 書いてある通りだと思うけど……」
ユーリ「代数学と幾何学が混じり合う……?」
僕「イスラム世界で二次方程式の解法のような代数学の研究が進んでいるところに、 ギリシアからの幾何学に関する研究成果が翻訳を通じて流れ込んでくる。 その結果、さっきの平方完成みたいに、 代数学な解法に対して幾何学的な説明が付けられる……ということを 言ってるんだよ、きっと」
知恵の館
9世紀のイスラム世界ではバグダードに設置された「知恵の館」と呼ばれる中心機関が、 ギリシア語をはじめとする各国の学術書をアラビア語に翻訳する活動の中心的役割を果たしていた。
ユーリ「いまだと、自動翻訳で変換してネットでさっと送れるのにね」
テトラ「確かにそうですねえ……」
僕「コンピュータを使った翻訳で言語の壁はずいぶん下がっていると思うけど——ただ、どうなんだろ。 《数学の概念を人間が理解する》という部分では、 コンピュータはどんなふうに貢献するんだろう」
ユーリ「そんなの、難しかったらAIが教えてくれる時代じゃん! 『ここがわかんない』ってAIに聞いたら 『ここはこうなってるんですよ、お嬢さま』って優しく教えてくれる。いいじゃん!」
僕「お嬢様はいずこ」
テトラ「そうなってくると、ますます自分で《考える》ことが大事になりますね」
ユーリ「へ? なんで? 逆じゃないの? だって難しいことはAIが教えてくれるんだよ?」
ユーリの言葉に、テトラちゃんは真面目な顔で考える。そして言った。
テトラ「だとしても、AIさんに何を尋ねるかを《考える》のは、 やはり自分になるはずですよね。それから、 AIさんが教えてくれたことが本当かどうかを《考える》のも自分です」
ユーリ「んー……そっかな」
テトラ「自分は何を知りたいのか。 自分が作りたいものは何か——そういうことも、 どれほどAIさんが進化したとしても、 自分で考えなくてはいけないように思います。 でないと、どこにも自分がいなくなってしまいそうです」
僕「……」
テトラ「自分で《考える》こともそうですし、 考えたことを言葉にして誰かに《伝える》ことも大切ですね」
ユーリ「どーして?」
テトラ「だって、いくらAIさんが進化しても、 あたしたちの心の中にあるものを外に取り出すことができるのは、自分だけですから。 それから……心の中から何を取り出して、何を取り出さないかを考えるのも、自分ですし」
テトラちゃんは、そう言って自分の胸に両手を当てた。
僕たちは、テトラちゃんが話してくれたことについて、 しばらく考えを巡らせた。
サービト・イブン・クッラ
サービト・イブン・クッラは、 9世紀に現在のトルコ南部にあたるハッラーンで生まれた博学多才な学者である。 彼はユークリッド、アルキメデス、アポロニウスなどによるギリシア数学の著作をアラビア語に多数翻訳した。 彼のような翻訳者たちの活動がなかったならば、 現存するギリシア数学の著作はもっと少なくなっていたと考えられる。 彼はまた、単なる翻訳者に留まるのではなく、 ユークリッド幾何学を深く理解し、 それを代数的問題の解法へと応用していった。
テトラ「ギリシア語の原本はなくなったけれど、 アラビア語の翻訳が残っていた——という本があるのですね、きっと」
ユーリ「そーいえば、記録がギリギリ残ってた話、前にもあったよね。 直接の記録はないけど、たまたま誰かが書いてたとか、 書いてたけど、それを紛失しちゃったとか、 紛失前に要約してた人がいたけど、 原本はなくなっちゃったとか……スリリングな展開!」
僕「タレスの記録の話だね(第185回参照)」
テトラ「時代を越えて言葉を残すのは、難しいことなんですね」
サービト・イブン・クッラによる二次方程式の解法
サービト・イブン・クッラは、 次のような図を用いて 二次方程式 $x^2 + bx = c$ を幾何学的に解いている($b > 0, c > 0$)。
四角形 $\TTPSTQ$ は一辺の長さが $x$ の正方形とする。
線分 $\TTQR$ の長さを $b$ とすると、長方形 $\TTPSUR$ は 面積 $x^2 + bx = c$ の長方形である。
線分 $\TTQR$ の中点を $\TTM$ とすると、 ユークリッドの『原論』第II巻第6節より $$ \underbrace{\TTPR \times \TTPQ}_{c} + \underbrace{\TTQM^2}_{(b/2)^2} = \TTPM^2 $$ である。
したがって、 $$ x = \TTPQ = \TTPM - \TTQM = \SQRT{(b/2)^2 + c} - b/2 $$である。
記号は説明のためのものでサービト・イブン・クッラのものとは異なる。
ユーリ「またまた、めんどい話?」
僕「さっきの $x^2 + 10x = 39$ と $x^2 + bx = c$ は同じ形だけど、 別の図形を使った解法ということかな」
テトラ「でも $x^2$ の正方形と $bx$ の長方形を合わせて、全体が $x^2 + bx = c$ の長方形になるというのは、 それほど難しくはありませんね」
ユーリ「でも、急にユークリッド出てきちゃった!」
テトラ「こちらに解説がありますよ」
ユークリッドの『原論』第II巻第6節
ユークリッドの『原論』第II巻第6節は、次のような命題である。
『ユークリッド原論[追補版]』(共立出版)より表記の一部を修正して引用
もし線分が二等分され、
任意の線分がそれと一直線をなして加えられるならば、
加えられた線分を含んだ全体と加えられた線分とにかこまれた矩形ともとの線分の半分の上の正方形との和は、
もとの線分の半分と加えられた線分とを合わせた線分上の正方形に等しい。
現代の数式で表現すると次のようになる。 はじめの線分の長さを $2A$ とし、加えられた線分の長さを $B$ とすると、 $$ (2A + B)\times B + A^2 = (A + B)^2 $$ である。
僕「これは……さすがに文章よりも数式で書かれた方がわかりやすいなあ。 特に《加えられた線分》や《もとの線分》のような言い方だとだんだん混乱してしまう」
ユーリ「《もとの線分の半分と加えられた線分とを合わせた線分上の正方形》って長いのが、 $(A+B)^2$ なんて極端に短くなるんだもんね」
テトラ「ああ、本当に——表現って、おもしろいと思いませんか!」
テトラちゃんは、両手を握りしめて声を上げた。
ユーリ「?」
テトラ「数式よりも図で表現した方がわかりやすいことが多いですけれど、 その図が何を表しているのかを説明するには言葉が必要になります。 でも長々と言葉を連ねていると読みにくくなるし、 その言葉が何を指しているのかわかりにくくなります。 数式を使うとあいまいさを減らして、短く書くことができます。 数式に慣れていれば、そちらの方がわかりやすくなる……うまく相手に《伝える》ためには、 適切な表現を選ぶことが必要になりますよね。 そして、表現もまた時代の流れで変化していきますし、 新しい表現の方法も生まれてきます」
ユーリ「動画とか?」
テトラ「数式と、言葉と、図形と……やっぱり《多様な方法》で表現するのは大切じゃないかと思いますっ!」
目を輝かせて語るテトラちゃんを見ながら僕は思った。
確かに、数学的な概念は《多様な方法》で表現できる。
新しい表現方法がわかりやすさを生むこともある。
でも、表現の方法が変わったとしても、 数学的な概念が変わってしまうわけではない。
そこには、表現がいくら変わっても変わることのない《何か》があるのだろうか……
参考文献
※ 本文中に出てくるパネルの文章は、 参考文献の内容をもとに再構成したものであり、 直接の引用ではありません(引用であることを明記しているものを除きます)。
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(2025年4月4日)