登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
ここは高校の図書室。いまは放課後。
僕が本を読んでいると、 首をひねりながらテトラちゃんがやってきた。
僕「テトラちゃん、テトラちゃん!」
テトラ「あ、先輩! また《カード》をいただいてきましたよっ!」
テトラちゃんは僕を見ると、急に笑顔に変わった。
僕「何だか困っていたみたいだけど、難しい問題なの?」
テトラ「難しいわけではないと思うんですが……ただ、 あたしには、この《カード》が何を意味しているのかわからないんです」
僕「『難しいわけではないけれど、何を意味しているかわからない』って、 僕にはテトラちゃんの言葉の意味がわからないよ」
僕が冗談めかしてそう言うと、 テトラちゃんは「ですよね!」と言って笑った。
僕たちは、放課後の図書室で《数学トーク》を楽しむ仲良しなのだ。
さてさて、今日の問題は……?
テトラ「ともかく、今回の《カード》はこれです」
《カード》
実数係数の $n$ 次多項式は、 実数係数の $1$ 次または $2$ 次多項式の積で表せる。 このことを証明せよ。
僕「なるほどね」
テトラ「それから、こちらは《ヒント》だそうです」
テトラちゃんはそういって、もう一枚の紙を並べた。
《ヒント》
「複素数係数の $n$ 次多項式は、 複素数係数の $1$ 次多項式の積で表せる」 ことを使っても構わない。
僕「この《ヒント》は実質的に《代数学の基本定理》だね。 これを使っても構わないということは、 ここまで証明する必要はないということかな」
テトラ「はあ……それはいいんですけれど、でもこの《ヒント》を使っていいとしたら、 あたしには《カード》の意味がわかりません」
僕「え? 書かれている通りじゃないの? 実数係数の $n$ 次多項式があったら、 $1$ 次または $2$ 次多項式の積で表せる——という数学的主張が書かれていて、 それを証明してごらんという問題だと思うんだけど?」
テトラ「はい。 でも、 それは要するに 『$1$ 次式と $2$ 次式を使って因数分解できるといえますか』 ということですよね?」
僕「うーん、まあ大ざっぱにいえばね」
テトラ「だったら《カード》の主張は当たり前じゃありませんか?」
テトラちゃんはそういって、ぐいと顔を近づける。
僕「当たり前?」
テトラ「はい。当たり前です。 あたしは《カード》が何を意味しているのかわからなくなってしまいました。 どうしてわざわざこんなことを尋ねるのか……」
僕「テトラちゃんは、どうしてこの《カード》の問題が《当たり前》だと思ったんだろう」
テトラ「《ヒント》を使っていいなら、 多項式は $1$ 次式の積で表せることになります。 だとしたらどうして《カード》では $2$ 次式を持ち出すんでしょうか。 《ヒント》から、多項式は $1$ 次式の積で表せる。証明終わり!——じゃないんでしょうか」
僕「ああ、なるほど、なるほど。 テトラちゃんはそう考えたんだね。 でも、ほら、思い出して。 因数分解を考えるときには、係数に使える数が重要だったよね(第425回参照)」
テトラ「……」
僕「《カード》では、実数係数の多項式の話をしている。 でも《ヒント》では、複素数係数の多項式の話をしている。 その二つをごちゃまぜにしちゃまずいよ」
テトラ「いえ、お言葉ですが、 あたしもそれは意識していました。 でも、実数は複素数の一種ですよね?」
僕「そうだね。実数は複素数の一種だよ」
テトラ「だとしたら、 実数係数の $n$ 次多項式は複素数係数の $n$ 次多項式の一種といえます。 言い換えると、
複素数係数の $n$ 次多項式
について成り立つことは、
実数係数の $n$ 次多項式
についてもなりたつはずです」
僕「……」
テトラ「《ヒント》には、
複素数係数の $n$ 次多項式は、 $1$ 次多項式の積で表せる(?)
とありました。ですからあたしは、
実数係数の $n$ 次多項式は、 $1$ 次多項式の積で表せる(?)
と考えたんです。 あたし、何か大きな勘違いをしているんでしょうか……」
僕「そうだね。テトラちゃんは重要な言葉を見逃しているよ。 《ヒント》に書かれているのは、
複素数係数の $n$ 次多項式は、 $1$ 次多項式の積で表せる(?)
ではなくて、
複素数係数の $n$ 次多項式は、複素数係数の $1$ 次多項式の積で表せる
だよね」
僕の言葉で、テトラちゃんが《ヒント》を読み返す。
テトラ「あ、あああああっ! 理解しました! 因数分解した後の $1$ 次多項式は、 《ヒント》では複素数係数ですね……ああ、それはそうですよね。 あたし、ちゃんと理解していたはずなのに……」
僕「《ヒント》の主張は、これ。
複素数係数の $n$ 次多項式は、
複素数係数の $1$ 次多項式の積で表せる
そして《カード》が証明を求めているのは、これ。
実数係数の $n$ 次多項式は、
実数係数の $1$ 次または $2$ 次多項式の積で表せる
因数分解した後の係数に《複素数》を使っていいなら、 $1$ 次式の積まで分解できるけれど、 係数に《実数》しか使えないなら $1$ 次式だけじゃだめかもしれない。 とはいうものの、 $2$ 次式も使ってよければ係数に《実数》しか使えなくても因数分解できるということだね」
テトラ「ですね……はあ……」
テトラちゃんは、大きく深呼吸をした後、 急激に静かになった。凹んでしまったかな。
確かに、めげる気持ちはわかる。
自分が知らないことがわからないならしょうがない。
でも、自分が知ってることを勘違いするのは、かなり痛いんだ。
僕「テトラちゃん、そんなに凹まないで……」
テトラ「あっ、いえっ、大丈夫です。ありがとうございます。 あたしは、自分が勘違いした原因を考えていたんです。 それは一言でいえます」
僕「へえ?」
テトラ「あたしが勘違いしたのは具体例を作ってみなかったからです!」
僕「おお……」
テトラ「村木先生から《カード》と《ヒント》をいただきました。 読みながら、 あたしの頭の中には《複素数》と《実数》という言葉がふわふわと浮かんできました。 そして《因数分解》という言葉も浮かんできました。 ふとそこで《実数》も《複素数》の一種と考え、 そこからへんな方向に考えが流れていきました。 そして、ハマりこんでしまったようです」
僕「なるほど」
テトラ「あたしはそこで、 ぼんやりふわふわ考えるんじゃなくて、 《カード》と《ヒント》に書かれた言葉をきちんと読んで、 そして具体例を作って考えるべきだったんだと思いました」
僕「うんうん。具体例で考えたら、 いつのまにか読み飛ばしていた言葉に気付いたかもしれないね。 つまり、 因数分解した後の係数のこと」
テトラ「そうですね。 複素数係数の多項式でも、 実数係数の多項式でも、 あたしは実際の具体例をいろいろ作れます。 具体的に多項式を試しに作ってみればよかったんですよね。 あたしは、何をやってたんでしょう! テトラ、反省です」
僕「でも、テトラちゃんはすごいと僕は思うな。頭が下がるよ」
テトラ「え、えええ?」
僕「自分の勘違いを『勘違いだった』で終わらせないところ。 自分の思考を振り返って、自分がどうして勘違いをしたのかを考えるところ。 どうすれば勘違いを防げたかを考えるところ。 そして、そのすべてを言語化できるところ。 本当にテトラちゃんはすごいと思う。 マジで尊敬する」
テトラ「お、恐れ入ります……ありがとうございます」
テトラちゃんは、真っ赤になった頬を両手で押さえた。
僕「じゃ、改めて《カード》を研究していく?」
《カード》(再掲)
実数係数の $n$ 次多項式は、 実数係数の $1$ 次または $2$ 次多項式の積で表せる。 このことを証明せよ。
テトラ「はい。今度はちゃんと具体例を挙げつつ考えます。 《カード》に書かれているのは、たとえば、 $$ x^2 + 3x + 2 = (x + 1)(x + 2) $$ という話ですね」
僕「そうだね。 いまのは、実数係数の $2$ 次多項式を、実数係数の $1$ 次多項式の積で表している具体例——だね。
$$ \underbrace{\phantom{(}x^2 + 3x + 2\phantom{)}}_{\textrm{実数係数の$2$次多項式}} = \underbrace{(x + 1)}_{\textrm{実数係数の$1$次多項式}} \times \underbrace{(x + 2)}_{\textrm{実数係数の$1$次多項式}} $$
もっとも、この場合だと、 $x^2 + 3x + 2$ はすでに実数係数の $2$ 次多項式だから、 因数分解しなくても具体例になってるけど」
テトラ「あっ、そうですね。 それでは、別の具体例として、 実数係数の $3$ 次多項式で…… $$ \underbrace{\phantom{(}x^3 + 6x^2 + 11x + 6\phantom{)}}_{\textrm{実数係数の$3$次多項式}} = \underbrace{(x + 1)}_{\textrm{実数係数の$1$次多項式}} \times \underbrace{(x + 2)}_{\textrm{実数係数の$1$次多項式}} \times \underbrace{(x + 3)}_{\textrm{実数係数の$1$次多項式}} $$ ……と、こういう具体例もあります」
僕「そうだね。じゃあ、こういう具体例はどう?」
$$ x^2 + 1 = (x + i)(x - i) $$
テトラ「これは駄目ですよう。 だって、因数分解したときに係数に虚数の $i$ が出てきています。 これでは、実数係数になっていません! ああ、こういう具体例を作れば、 あたしは勘違いに気づけたんですね」
僕「当てはまる具体例は大事だけど、当てはまらない具体例も大事だよね。 特に、どうしてその具体例が当てはまらないかを説明するところが大事」
テトラ「本当にそうですね! ところで、いまの $x^2 + 1$ はすでに実数係数の $2$ 次多項式ですから、 これもまた、因数分解しなくても《カード》の主張の具体例になってます」
僕「確かに」
テトラ「実数係数の多項式を適当に作って、 それを因数分解してみると具体例になりそうです」
僕「なるほど」
テトラ「たとえば——いま適当に考えたんですが、 $$ \BLUEFOCUS{x^5 + x^4 + x^3 + x^2 + x + 1} $$ は、 シンプルだけど因数分解するの難しそうですよ? シンプルクイズですっ!」
シンプルクイズ
実数係数の $1$ 次または $2$ 次多項式の積に因数分解してくださいっ!
$$ \BLUEFOCUS{x^5 + x^4 + x^3 + x^2 + x + 1} $$
僕「いやいや、すぐに次数は下がるよ。 だって、 $$ x^5 + x^4 + x^3 + x^2 + x + 1 $$ で $x = -1$ を代入すると $0$ になるよね」
テトラ「あ……そうですね。 ということは $x + 1$ を因数に持ちます。 $x + 1$ で割ると—— $$ \BLUEFOCUS{x^5 + x^4 + x^3 + x^2 + x + 1} = (x + 1)(\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}) $$ ——になって、 $4$ 次式の $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}$ が出てきました」
僕「そうだね」
そこで、テトラちゃんは難しい顔になる。
テトラ「ちょっと待ってください! もしも《カード》の主張が正しいとしたら、 この $4$ 次多項式 $$ \REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1} $$ は、もっと因数分解できるということですよね?」
僕「そうそう、そうなるね。 まだ $4$ 次式だから、もっと次数を下げられる。 実数係数を持つ $1$ 次または $2$ 次多項式の積にできるはず」
テトラ「でも、あたし、 $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}$ が因数分解できる気がしません!」
僕「えっ、どうして?」
テトラ「だって、因数定理を考えると、 $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1} = 0$ を満たす $x$ を見つけるわけじゃないですか。 でも、 $x^4$ も $x^2$ は絶対に $0$ 以上です。そこに $1$ を加えたら $0$ になりませんよね?」
僕「もしも $x$ を実数で考えるなら、そうだね。 $x$ が実数だとしたら、 絶対に $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1} = 0$ にはならない。 ということは、 $r$ を実数としたとき、 $$ x - r $$ という実数係数の《$1$ 次多項式》を使った因数分解はできない。 それはまったく正しい。 でも、だからといって、 この $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}$ が実数係数多項式に因数分解できないとはいえないよね」
テトラ「……」
僕「どう?」
テトラ「……わかりました。 この $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}$ を、 実数係数の《$2$ 次多項式》に因数分解できるかもしれないから、ですね。 テトラ、理解しました。 またしても、 実数で考えるか複素数で考えるかの注意が足りなかったようです。 では、 $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}$ を実数係数の《$2$ 次多項式》に因数分解するチャレンジクイズに取り掛かりましょう!」
僕「クイズにするんだ」
テトラちゃんが作った、シンプルクイズ。 $$ \BLUEFOCUS{x^5 + x^4 + x^3 + x^2 + x + 1} = (x + 1)(\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}) $$ そこから出てきた、チャレンジクイズ。 $$ \REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1} $$ シンプルだけどチャレンジング。因数分解というチャレンジだ。
チャレンジクイズ
実数係数の $2$ 次多項式に因数分解してくださいっ!
$$ \REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1} $$
しばらくして、テトラちゃんが声を上げる。
テトラ「できましたっ! チャレンジ成功です! $\REDFOCUS{x^4 + x^2 + 1}$ はこのように因数分解できます。 ちゃんと実数係数の $2$ 次多項式になりましたよっ!」
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