登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
テトラ「それで? 先輩はどうなさったんですか?」
テトラちゃんは興味深そうに僕に聞いた。
ここは高校の図書室。いまは放課後。
僕は後輩のテトラちゃんと数学のおしゃべりをしている。
先日、いとこのユーリといっしょに因数分解と因数定理で遊んでいたときのことを、 テトラちゃんに話しているところ。
僕「うん。ガウスによる代数学の基本定理の証明は僕にはできないから、 ユーリの問題に限った話をしたよ」
テトラ「ユーリちゃんの問題というのは、これのことですよね?」
問題2(第424回参照)
$x^2 - A$ が複素数係数の一次式の積に因数分解できないような複素数 $A$ を求めよ。
僕「うん、そう。 ユーリは、いろんな二次式がどんなときに——つまり係数をどんな数で考えたときに——因数分解できるかに興味があったんだ」
テトラ「$x^2 - 4$ と $x^2 - 2$ と $x^2 + 1$ の違い……ですね」
僕「その通り。そしてもちろん、整数・有理数・実数は、どれも複素数に含まれているから、 複素数係数で考えるなら、どれも一次式の積に分解できる」
$$ \begin{cases} x^2 - 4 &= (x - 2)(x + 2) && \REMTEXT{一次式の積になる} \\ x^2 - 2 &= (x - \SQRT2)(x + \SQRT2) && \REMTEXT{一次式の積になる} \\ x^2 + 1 &= (x - i)(x + i) && \REMTEXT{一次式の積になる} \end{cases} $$テトラ「はい。ユーリちゃんの疑問はとっても自然だと思います。 因数分解できる例や、できない例がいろいろ出てきた中で、 複素数係数で因数分解できない例はまったく出てきませんでしたから!」
僕「そうだね。すごく自然だ。 でも、残念ながら、正解は《そんな複素数 $A$ は存在しない》になる」
問題2の解答
$x^2 - A$ が複素数係数の一次式の積に因数分解できないような複素数 $A$ は存在しない。
テトラ「つまり、どんな複素数 $A$ に対しても、 $$ x^2 - A = (x - \alpha)(x - \beta) $$ という複素数 $\alpha$ と $\beta$ が存在する……ということですね?」
僕「そういうこと。そしてそれは、ガウスの代数学の基本定理からすぐにいえる」
代数学の基本定理
複素数係数の $n$ 次多項式は、複素数の根を $n$ 個持つ。
ただし、重複度を考えて数える。
テトラ「$A$ が複素数なので、 $x^2 - A$ は複素数係数の $2$ 次多項式といえる。 だから、根……つまり、 $x^2 - A = 0$ を満たす複素数は $2$ 個存在する。 その複素数を $\alpha$ と $\beta$ とすれば、因数定理から、 $$ x^2 - A = (x - \alpha)(x - \beta) $$ となることがいえる——でいいでしょうか」
僕「そうだね。まったくその通り。 ただ、その説明では《代数学の基本定理》が正しいことを認めなくちゃいけない。 いや、もちろん正しいんだけど、正しいことと納得できることは違うからね」
テトラ「ユーリちゃんは納得しなかったんですね」
僕「うん、だから僕は、 $x^2 - A$ に限った形で説明をしようと思った。 そのために、こういう問題を立てたんだ」
問題A
$A$ を複素数とする。このとき、 $$ z^2 = A $$ を満たす複素数 $z$ が存在することを証明せよ。
テトラ「なるほど……もしも、 $z^2 = A$ を満たす複素数 $z = \alpha$ が存在したら、 $$ \alpha^2 = A $$ つまり $$ \alpha^2 - A = 0 $$ になるので、因数定理から $z^2 - A$ は $z - \alpha$ を因数に持つ……と進むことになるわけですね」
僕「そうそう」
テトラ「あれ? でも、 $z^2 = A$ は要するに $2$ 乗したら $A$ になる数 $z$ を求めるわけですから、 $$ z = \pm \SQRT{A} $$ で終わりじゃないんでしょうか?」
テトラちゃんは不思議そうにそう言うと、チャームポイントの大きな目をぱちぱちさせた。
僕「そう言いたくなるよね。 $\SQRT{A}$ と $-\SQRT{A}$ が $x^2 - A$ の根だから、 $$ z^2 - A = (z - \SQRT{A})(z + \SQRT{A}) $$ で因数分解できた!……って言いたくなる」
テトラ「言いたくなります!」
僕「でもね、僕たちが $\SQRT{A}$ という表記を使うとき、普段は $A \GEQ 0$ として考えている。 だから、複素数 $A$ に対していきなり $\pm\SQRT{A}$ が答えですとはいえない」
テトラ「あ……いえいえ、ちょっとお待ちください。たとえば $A < 0$ のときは虚数単位 $i$ を使って、 $\SQRT{-A}\,i$ のように書けませんか? それを $2$ 乗すれば、 $$ (\SQRT{-A}\,i)^2 = -A\cdot i^2 = A $$ になりますよ!」
僕「$A < 0$ のときはそれでいいね。 でも、 $A < 0$ のとき $A$ は実数だよね。 $A \GEQ 0$ にせよ、 $A < 0$ にせよ、それは $A$ が実数のときに限った話。 $A$ が実数のときは確かに $z^2 = A$ という複素数 $z$ が存在する。それは問題ない。 でも僕たちは、 $A$ が実数じゃない場合も考えたい。 どんな複素数 $A$ に対しても、 $2$ 乗したら $A$ になる複素数が存在することを証明したいんだから」
テトラ「な、なるほど……やっと、 $z^2 = A$ の意味がわかってきました」
問題A(再掲)
$A$ を複素数とする。このとき、 $$ z^2 = A $$ を満たす複素数 $z$ が存在することを証明せよ。
テトラちゃんはノートを開いて何かを書き始めた。
自分の理解を形にするためには、 時間を使う必要がある。
自分の頭と手をしっかり動かす時間だ。
僕「……」
テトラ「……駄目でしたあっ!」
僕「うわっ!」
テトラちゃんが急に声を上げたので、僕はびっくりした。
テトラ「す、すみません。あたしはこんな風に考えたんですが、ぜんぜん見当違いでした。 まず、 $z$ を……」
まず、 $z$ を二つの実数であらわそうと思いました。つまり、
$$ z = a + bi $$ として $a$ と $b$ を実数とします。 $i$ はもちろん虚数単位です。
そして、このように表した $z$ を $2$ 乗して整理します。
$$ \begin{align*} z^2 &= (a + bi)^2 \\ &= a^2 + 2abi + (bi)^2 \\ &= a^2 + 2abi - b^2 \\ &= (a^2 - b^2) + (2ab)i \end{align*} $$
$a$ と $b$ は実数なので、 $a^2 - b^2$ と $2ab$ はどちらも実数です。
ですから、 $(a^2 - b^2) + (2ab)i$ は複素数です。
でも、これでいえるのは 《$z$ が複素数であるとき、 $z^2$ も複素数である》 ということだけですよねえ……
僕「そうだね、でもぜんぜん駄目じゃないと思うよ。 もしもそこから議論を進めていくのなら、 複素数 $A$ を……」
複素数 $A$ を、二つの実数 $u,v$ で
$$ A = u + vi \qquad (v \NEQ 0) $$
と表すことにしよう。
いま $v \NEQ 0$ としたのは、 $A$ が実数の場合はすでに考慮済みだから。
さて。
一般に、複素数 $z$ を $z = a + bi$ のように二つの実数 $a,b$ で表したとき、
$$ z^2 = (a^2 - b^2) + (2ab)i $$ になる。
だから、与えられた複素数 $A$ に対して、 $$ z^2 = A $$ が成り立つ複素数 $z$ を見つけるには、二つの実数 $u,v$ に対して $$ (a^2 - b^2) + (2ab)i = u + vi $$ が成り立つ実数 $a,b$ を見つければいい。
そのような $a,b$ を作ることができれば、 $z = a + bi$ を $2$ 乗したときに $A$ に等しくなるから。
要するに、 $a,b$ を $u,v$ で表せればいいんだね。
テトラ「なるほど! ……なるほどです。それはそうですね。 与えられているのは複素数 $A$ で、そこから複素数 $z$ を作りたい。 ということは、 $A = u + vi$ で $z = a + bi$ ですから、 $a$ と $b$ を $u$ と $v$ から作ればいいことになります」
そこでテトラちゃんはちょっと考える。
テトラ「あっ、わかりましたっ! これは、 $$ (a^2 - b^2) + (2ab)i = u + vi $$ の《実部》と《虚部》で作った連立方程式を解けばいいんですね! これなら、あたしにもできそうです! $$ (\underbrace{a^2 - b^2}_{\textrm{実部}}) + (\underbrace{2ab}_{\textrm{虚部}})i = \underbrace{u}_{\textrm{実部}} + \underbrace{v}_{\textrm{虚部}}i $$ ですから、連立方程式 $$ \begin{cases} u &= a^2 - b^2 && \REMTEXT{実部} \\ v &= 2ab && \REMTEXT{虚部} \end{cases} $$ を解きます。 $a,b$ を $u,v$ で表すんです。まず……」
連立方程式 $$ \begin{cases} u &= a^2 - b^2 && \REMTEXT{実部} \\ v &= 2ab && \REMTEXT{虚部} \end{cases} $$ を解きます。 $a,b$ を $u,v$ で表すんです。まず、 $v = 2ab$ を使います。
$v = 2ab$ の両辺を $2b$ で割れば($\heartsuit$)、 $a$ は $v$ と $b$ で表せます。 $$ a = \frac{v}{2b} $$ です。
この式を使って、 $u = a^2 - b^2$ から $a$ を消去すると、 $$ u = \frac{v^2}{(2b)^2} - b^2 $$ となります。 $(2b)^2$ つまり $4b^2$ を両辺に掛けると、 $$ 4b^2u = v^2 - 4b^4 $$ なので、整理して、 $$ 4b^4 + 4ub^2 - v^2 = 0 $$ となりました。
ここから $b$ を求めたいんですが、 $b$ の四次式になっちゃいました……
テトラ「$b$ の四次式になっちゃいました……」
$$ 4b^4 + 4ub^2 - v^2 = 0 $$僕「これは $x = b^2$ と置けば二次式になるよね」
テトラ「ああ、ほんとですね。それじゃ——」
僕「あ。先に進む前に、ちょっと待って。気になるところがあったんだけど」
テトラ「はい?」
僕「$\heartsuit$ のところで、さらっと $2b$ で割ったよね、 $v = 2ab$ から、 $$ a = \frac{v}{2b} $$ を作ったところだよ。 ここ、ゼロ割の危険性についてはどう? テトラちゃんは $b \NEQ 0$ として議論を進めても大丈夫だと思う?」
テトラ「あっ、ほんとですね……」
しばしの沈黙。
テトラ「あっ、大丈夫です。 だって、いまあたしたちは $v \NEQ 0$ としていましたから。 $$ v = 2ab $$ ということですから、 $b \NEQ 0$ です。 ですから、 $b \NEQ 0$ として議論を進めてもいいですねっ!」
僕「そうだね」
テトラ「では、 $b$ の四次式から再開します」
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