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第384回 シーズン39 エピソード4
《理解の最前線》の見つけ方(後編)

登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。

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図書室にて

テトラちゃんは、村木先生からの《カード》に取り組もうとしている。

《カード》に書かれていたのは……

テトラ「それで、この《カード》に書かれていることがベクトルの定義ということですけれど……」

村木先生の《カード》

  • $K$ を、たいとします。
  • $V$ を、加法群(群演算を加法と考え、二項演算子を $+$ で表したアーベル群)とします。
  • $K\times V$ から $V$ への写像 $(a,x) \mapsto ax$ が存在して、
  • 以下の(1)から(4)のすべてが満たされているとします。

(1)$K$ の任意のげん $a$ と、 $V$ の任意の元 $x,y$ に対して、$$a(x + y) = ax + ay$$が成り立つ。

(2)$K$ の任意の元 $a,b$ と、 $V$ の任意の元 $x$ に対して、$$(a + b)x = ax + bx$$が成り立つ。

(3)$K$ の任意の元 $a,b$ と、 $V$ の任意の元 $x$ に対して、$$(ab)x = a(bx)$$が成り立つ。

(4)$K$ の単位元を $1$ とすると、 $V$ の任意の元 $x$ に対して、$$1x = x$$が成り立つ。

  • このとき、 $V$ を「$K$ 上のベクトル空間」といいます。
  • $V$ の元を「ベクトル」といいます。
  • $K$ の元を「スカラー」といいます。
  • 写像 $(a,x) \mapsto ax$ を「スカラー倍」といいます。
  • $V$ の元 $ax$ を「$x$ の $a$ 倍」といいます。

松坂和夫『代数系入門』を参考にしています。

「そうだね。僕たちがふだん扱っている矢印ベクトルが一つの具体例となるような、そんな、いわば一般化したベクトルの定義になるね」

テトラ「……」

「じゃあ、僕の理解している範囲になるけれど、この《カード》の内容を説明していくよ。 テトラちゃんは(1)〜(4)の式を抜き出して考えていたけど、その式の中身を考える前に、 《その式を満たしていることが定義になっている》という考え方を確かめよう」

テトラ「その式を満たしていることが定義になっている……?」

「うん、そう。テトラちゃんは、ベクトルと言われると矢印をイメージするよね?」

テトラ「そうですね」

「それが悪いわけじゃないんだけど、この《カード》では、いったんそのイメージを忘れる。 そして、そういうイメージから離れて、ともかくこの(1)〜(4)を満たしているものがベクトルなんだ——という発想に立つんだ。 もうちょっと正確にいうなら、この《カード》に書かれていることが成り立っているとき、 そのときの $V$ をベクトル空間、 $V$ の元のことをベクトルと呼ぶことにしよう——という考え方だよ」

テトラ「……」

「この考え方は、テトラちゃんもよくわかってるはず。 ベクトルと言われて思い浮かべる矢印のイメージを忘れる。矢印のイメージから離れる。矢印のイメージを捨てる。 矢印のイメージを知らないふりをする……」

テトラ「あっ、はいっ、これは《知らないふりゲーム》ですねっ!」

「そう! そうなんだ。この《カード》で提示されているのがベクトル空間の公理で、 この公理を満たす $V$ の元は、どんなものであれ——たとえそれが矢印とは似ても似つかないものであっても——ベクトルと呼ぶ。 慣れないうちは、矢印ベクトルのイメージをときどき思い出して理解のヒントにしてもいいけど、 でもベクトル一般について考えるときには、矢印のことは知らないふりをしなくちゃいけない……《知らないふりゲーム》だね」

テトラ「この《カード》がベクトル空間というものの公理だというところはわかりました。 そして矢印ベクトルのことはいったん忘れます。はいっ、忘れました。知らないふり、完了です!」

彼女は、いったん頭を抱えてから、大きなヘルメットを捨てるようなジェスチャをする。

テトラちゃんって、そうやって《忘れる》んだ……

【CM】

ユーリ「はいはーい。今シーズンは出番が少ないかもしれないユーリちゃんのCMターイム! テトラさんの《知らないふりゲーム》については、 『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』をどーぞ! ここでは何と自然数を知らないふりしてまーす!」

テトラちゃんの提案

「じゃあ、改めてベクトル空間の話をしていくね。要するにこれは——」

テトラ「ああっと、ちょっとお待ちください!」

「?」

テトラ「あの……先輩にお願いがあるんですが」

「なんだろう?」

テトラ「あのですね。先輩はこれから、ベクトル空間……というものについてわかりやすく説明してくださいますよね」

「いきなりハードルが上がったね! 説明がわかりやすいかどうかはわからないけど、 僕が理解している範囲で、できるだけ噛み砕いてわかりやすく話すつもりだけど?」

テトラ「はい、でも、あたし……そうじゃない方がありがたいんです」

「わかりにくく説明するってこと?」

テトラ「違います、違います。そうじゃありません」

テトラちゃんは両手をぶんぶんと振る。

「?」

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(2023年2月24日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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