この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。
登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
ユーリ「ちーっす。お兄ちゃん、あっそぼー!」
僕「ユーリ、いつも元気だなあ」
ユーリ「ふふー」
ユーリは、僕のいとこの中学生だ。 小さい頃からいっしょに遊んでいるから、 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。
僕「あれ? 今日はノナちゃんは?」
ユーリ「ノナ? 今日は来ないよ。来るって言ってたっけ」
僕「そうなんだ。今日は来ないんだ」
ユーリ「ノナはノナで忙しーんだよ。お兄ちゃんと遊んでばかりいられないんじゃ」
僕「急に年取るなよ」
ノナは、ユーリの同級生だ。 先日までユーリといっしょに何回かやってきて、 たくさん《数学トーク》をしていた(第241回参照)。
うん、そう。
数学の話はあまりできなかったけど、 でも、あれもきっと《数学トーク》と言えると思うな。
ユーリ「それとも何かい? ユーリ様おひとりでの来訪はご不満とゆーわけかい?」
僕「いえいえユーリ様そんなことはありません来ていただいて光栄至極に存じます」
ユーリ「棒読みやめい……やめてください $\NONA$」
僕「ノナちゃんのモノマネやめい」
ユーリ「そーいえばお兄ちゃん。こないだテレビ見てて気になることあったんだけど」
僕「テレビ?」
ユーリ「起きる確率が $1$ %ということは、 $100$ 回に $1$ 回は起きることになりますね……って言ってたの」
僕「何が起きる確率が $1$ %?」
ユーリ「問題はそっちじゃないよん。 《確率が $1$ %なら $100$ 回に $1$ 回は起きる》ってとこが問題」
僕「ユーリは何が気になったんだろう」
僕が水を向けると、ユーリは熱心に話し出した。
ユーリ「《確率が $1$ %なら $100$ 回に $1$ 回は起きる》っていえるなら、 たとえばコインを投げて表が出るか裏が出るかっておかしくなるじゃん!」
僕「ちょっとストップ。話が飛んでるぞ。コインを投げて……それで?」
ユーリ「あーもー! 察してよ! いーですか。コインを投げて表が出る確率は $\frac12$ じゃん?」
僕「まあそうだね。コインを投げて表が出る確率は $\frac12$ だし、 $0.5$ だし、 $50$ %といってもいいよ」
ユーリ「ってことは《$2$ 回に $1$ 回は表が出ることになりますね》ってなっちゃうじゃん。それっておかしくね?」
僕「なるほど、なるほど。ユーリの話、もっと詳しく聞きたいな。おもしろそうな展開だ」
ユーリ「コインを $2$ 回投げても、必ず $1$ 回は表になるなんてことはないじゃん!」
僕「そりゃそうだ。コインを $2$ 回投げても表が $1$ 回出るとは限らない」
ユーリ「でしょでしょ? $2$ 回投げても $1$ 回表が出るとは限らない。 それなのに《確率 $\frac12$ だから、 $2$ 回に $1$ 回は表が出る》なんていうのはおかしーよ」
僕「ユーリの気持ちはわかるよ。 コインを $2$ 回投げたら、表が $0$ 回のときも、 $1$ 回のときも、 $2$ 回のときもある。それは確かだ」
ユーリ「でも、考えているとわかんなくなっちゃう。 だって、コインを投げたときに表が出るか裏が出るかバシッと決まらないじゃん。 決まるはずないよね。なのに《確率は $\frac12$ であーる》って言えるのは何で? あーもーイラつく!」
僕「イラつくなよ。つまりユーリは確率っていったい何だろうという疑問を持ったわけだね」
ユーリ「まーね」
僕「確率がはっきりしないと、 コインを投げたときに表が出る確率は $\frac12$ であるというのはどういうことかわからない。 それから $2$ 回に $1$ 回は表が出るという表現はどんな意味を持っているのかわからない」
ユーリ「それな」
僕「お兄ちゃんもうまく説明できるかどうかわからないけど、 いっしょに整理してみよう」
ユーリ「望むところじゃ!」
僕「一番基本的なところから行こう。 $1$ 枚のコインを $1$ 回投げたらどうなるかを考える。 もちろん、表が出る場合と、裏が出る場合がある」
$1$ 枚のコインを $1$ 回投げるとき、表が出る場合と裏が出る場合がある。
ユーリ「ふむふむ。これは別にいーよ。あたりまえだし」
僕「それから、表と裏の両方が出ることはない」
$1$ 枚のコインを $1$ 回投げるとき、表と裏が両方出ることはない。
ユーリ「あはははっ! そりゃそーだね。表と裏が同時に出るコインなんて、どんなんじゃー!」
僕「さて次だ」
表と裏は、特にどちらが出やすいということはないと仮定しよう。
ユーリ「ふーん……」
僕「そのとき、 $1$ 枚のコインを $1$ 回投げたときに《表が出る確率》をこう定義する」
$1$ 枚のコインを $1$ 回投げたときに《表が出る確率》の定義
$1$ 枚のコインを $1$ 回投げるとき、次のことを仮定する。
このとき、表が出る確率を、 $$ \frac{1}{2} $$ と定義する。
分母の $2$ は《すべての場合の数》で、分子の $1$ は《表が出る場合の数》である。
ユーリ「はあ? ちょっと待ってダウトダウトダウト! 何だか変だよ、お兄ちゃん」
僕「納得いかない? どこが変だろうか」
ユーリ「……」
ユーリは長考モードに入った。彼女の栗色の髪がキラキラと光る。
僕はもちろん静かに待つ。思考には沈黙と時間が必要だからだ。
僕「……」
ユーリ「……わかんなくなった!」
僕「ユーリは、その《わからなくなる直前に考えていたこと》は何か言える?」
ユーリ「なんか変なの。あのね……えーと」
僕「うん」
ユーリ「コインを $1$ 枚投げたときに表が出る確率って $\frac12$ なんだよね」
僕「そうだね」
ユーリ「あのね、ユーリはね。それがどーしてなのかを知りたいの」
僕「ユーリは、コインを $1$ 枚投げたときに表が出る確率が $\frac12$ になる理由が知りたい」
ユーリ「そーゆーこと。表が出る確率は、ほにゃほにゃの定理によって $\frac12$ であーる! この定理の証明はふぎゃふぎゃであーる! ……ってなると思ったの」
僕「なるほど、なるほど。ユーリは賢いなあ!」
ユーリ「でも、さっきのお兄ちゃんの話は全然ちがうよね。《ずるっこ》してない?」
僕「ずるいことは何もしてないよ」
ユーリ「だって、表が出る確率を $\frac12$ と《定義》したじゃん」
僕「したねえ」
ユーリ「それがずるっこ。だって《定義》したら《もんどーむよー》になっちゃうもん」
僕「そうだね、問答無用。 表が出る確率が $\frac12$ になるのはなぜか? という問いに対しては『そう定義したから』が答えになる」
ユーリ「ずるい……《定義した》ってゆーのは《そう決めた》ってゆーことじゃん。 そんなの……確率をそんなに勝手に決めてもいーの?」
僕「だって、どこかでは確率を定義しなくちゃだめだよね。 《確率とはこういうものである》や《これを確率と定義する》のように宣言しないことには、 数学の議論はできないと思わない?」
ユーリ「えーっ、そーゆーことじゃないんだよー! ユーリの思ってること、わかれよー!」
僕「無茶振りするなあ……ちょっと考えさせて」
ユーリの真剣な表情を見て僕は考える。
思考には沈黙と時間が必要……
ユーリ「ねえ、わかった? わかった? ユーリが気にしてること、わかった?」
僕「せかすなよ……たぶんね」
ユーリ「わくわく」
僕「ユーリは《確率というもの》が、前もって存在すると思ってるんじゃない?」
ユーリ「へ? あたりまえじゃん。存在しないの?」
僕「確率は、定義するまでは存在しないよ」
ユーリ「はあ? またまたわけのわかんないことを言い出したぞー」
僕「存在しないというのはちょっと言い過ぎだけど、 この自然界に確率というものが存在して、 それを研究しようとしているんじゃないんだよ」
ユーリ「ぜんぜん納得できにゃい! だって、サイコロ転がしたら $1$ の目が出るよりも、 コイン投げて表が出る方が《起こりやすい》じゃん! そーゆー《起こりやすさ》って存在しないの? 宝くじが当たるなんてことは《なかなか起こらない》とかさー」
僕「そこだよ。僕たちは、何かが《起こる》とか《起こらない》ということに関心があるよね」
ユーリ「あるよー。おおありだよー」
僕「だから、その《起こりやすさ》のようなものを何とか研究できないかと思うわけだ」
ユーリ「だったら、やっぱ、確率は存在するじゃん!」
僕「よく聞いて。僕たちが経験する《起こりやすさ》は確かにある。 ユーリがさっき言ったような、 サイコロで $1$ の目が出るよりも、 コインで表が出る方が《起こりやすい》ということを僕たちは経験的に知ってる。 だから、その《起こりやすさ》を調べたい」
ユーリ「……」
僕「《起こりやすい》ということを研究するためには、いったいどんな概念を作ったらいいだろうか。 どんな指標を決めたらいいだろうか。 どんな尺度を定義したらいいだろうか。 それは自然な発想だ。 起こりやすい/起こりにくいを研究するために、とてもいい尺度が定義できる。 それが《確率》なんだよ」
ユーリ「……」
僕「どう? 少し納得してきた?」
ユーリ「ねえ……もしかして、《起こりやすさ》と《確率》って別?」
僕「その通り! 《温かさ》と《温度》が別であるように、別のものだね」
ユーリ「そっか……わかったかも!」
僕「《温かさ》を調べたり、《どちらが温かいか》を比べたりするために《温度》を定義したように……」
ユーリ「《起こりやすさ》を調べたり、《どちらが起こりやすいか》を比べたりするために《確率》を定義する……?」
僕「そういう話なんだ。確率の第一歩はそこにある。確率は最初からあるものじゃなくて、定義するものなんだよ」
ユーリ「うわー! 頭がぐるんぐるんする……ちょっと待ってお兄ちゃん。それおかしいよ」
僕「何が?」
ユーリ「確率は定義するものってゆーのはわかった。でもね、好きに決めていいなら、 いろんな確率が作れるじゃん。作ってもいーんでしょ? 定義できるんだったら」
僕「すごい発想だな、ユーリ!」
ユーリ「よくわかんないけど、二乗したり三乗したり三角関数使ったりして、新しい確率を定義したぞ! とかね」
僕「それに《確率》という名前を付けるのは良くないと思うけど、定義するのは自由だよ。《起こりやすさ》を表す新しい尺度を決めました。《ユーリ率》の誕生だ!」
ユーリ「そんなに勝手なことしたら、めちゃくちゃになっちゃうじゃん」
僕「いやいや、勝手な定義で《ユーリ率》を作ったとしても、それはあまり便利じゃない。 つまり、僕たちが知っている《起こりやすさ》をうまく表せるものでなくちゃ役に立たないからね」
ユーリ「むー……あっ、じゃあ、さっきお兄ちゃんが言った《確率の定義》は《起こりやすさ》を表すうまい方法なの?」
僕「その通り! この確率の定義を採用したとき、 $1$ 枚のコインを $1$ 回投げるだけだとあまりありがたみはない。 でも、もっと複雑な《起こりやすさ》を考えるときには、ものすごく役に立つんだ。 だからこそ、この確率の定義はすごいんだ」
ユーリ「ほほー!」
僕「確率を定義するという意味がわかったところで、もう一度さっきの話に戻るよ」
$1$ 枚のコインを $1$ 回投げたときに《表が出る確率》の定義
$1$ 枚のコインを $1$ 回投げるとき、次のことを仮定する。
このとき、表が出る確率を、 $$ \frac{1}{2} $$ と定義する。
分母の $2$ は《すべての場合の数》で、分子の $1$ は《表が出る場合の数》である。
ユーリ「……」
僕「これは二つの場合で確率を定義したけど、 実際は一般化して定義しないと不便だね。だから、こういうふうに定義する」
《確率の定義》
全部で $N$ 通りの《起こるかもしれないこと》がある。このとき、次を仮定する。
このとき、 $N$ 通りのうち、 $n$ 通りのいずれかが起きる確率を、 $$ \frac{n}{N} $$ と定義する。
分母の $N$ は《すべての場合の数》で、分子の $n$ は《いま注目している場合の数》である。
ユーリ「……」
僕「どうかな? $N = 2$ で $n = 1$ にするとさっきの《確率 $\frac12$ の定義》になる」
ユーリ「……この定義はわかったけど、まだ納得できない……」
僕「納得できないのは、どのあたりだろう」
ユーリ「ちょっと待って! あのね、《$N$ 通りのうち、どれかは必ず起きる》ってゆーのは、 コイン投げだったら《表か裏かの $2$ 通りのうち、どっちかは必ず起きる》ってことでしょ?」
僕「そう。この確率の定義での仮定だね」
ユーリ「そこはいーんだよなー……それから、《$N$ 通りのうち、起こるのはどれか $1$ 通りに限る》ってゆーのは、 コイン投げだったら《表か裏かの $2$ 通りのうち、どっちかしか起きない》って意味じゃん?」
僕「そうそう。よくわかっているよ。それも大事な仮定だね」
ユーリ「でも……《$N$ 通りのうち、どれが起こりやすいことはない》ってゆーのは、コイン投げだと、どーなるの?」
僕「《表と裏で、どちらかが起こりやすいことはない》という仮定」
ユーリ「その仮定って、意味あるの?」
僕「意味とは」
ユーリ「意味は意味じゃん。このコインを投げたときには《表と裏で、どっちかが起こりやすいことはない》って仮定する意味はあるの?」
僕「ユーリの質問の意味がわからないんだけど」
ユーリ「うー! わかれよー!」
僕「言葉にしなきゃ、わからないよ」
ユーリ「いつもみたいにテレパシー使えばいーじゃん!」
僕「無茶言うなって……」
と言いつつも、僕は考える。
ユーリは、何に引っかかっているのか……
僕「……もしかしてユーリは《起こりやすい》という言葉に引っかかっているのかな。 いまから《確率》を定義するのに《起こりやすい》という概念を使っていいのか、 それは循環した定義じゃないかっていうこと?」
ユーリ「じゅんかんしたてーぎ?」
僕「《確率》を定義するのに《確率》を使うみたいにループした定義じゃないのかという疑問」
ユーリ「んにゃ、違うよー。だって《確率》と《起こりやすさ》は別のものとして考えるんでしょ」
僕「そこはもう納得できたんだ……あ、それじゃ、 ユーリは、コインの表裏のどちらかが起こりやすいかなんて調べようがないというところが気になってる?」
ユーリ「それそれ! そー言ってるじゃん。 《表と裏でどっちかが起こりやすいことはない》と仮定するのは不可能! だって、そーでしょ? ここにコインがあったとして、 表と裏で同じ《起こりやすさ》なんて、どーして断言できるの? そんなの調べよーがないじゃん?」
僕「だからこそ、仮定するんだよ」
ユーリ「表と裏が同じ《起こりやすさ》かどうかわからないのに仮定しちゃうの?」
僕「そうだよ。ユーリの考えは半分正しいよ。目の前にある物理的なコインに対して、 表と裏が同じ起こりやすさであるなんてことは断言できない。 断言するために調べる方法もない。 だからこそ《表と裏のうちどちらかが特に起こりやすいということはない》という仮定をおいてみようという話」
ユーリ「だったら、もしもそのコインが《表が出やすいコイン》だったらどーすんの? 困るじゃん」
僕「仮定が満たされないんだから、この定義は当てはめられないというだけのこと。 《表が出やすいコイン》の場合には、表が出る確率は $\frac12$ とはいえない。何もおかしくはないね」
ユーリ「えっ……あっ、そーか。おかしくないけど……うーん、 でも、具体的なコインで《表が出やすいかどうか》を調べる方法がないなら、 結局確率は、実際の役には立たなくなるじゃん!」
僕「ユーリは賢いなあ! そうだね。具体的なコインがそもそもここで定義する仮定を満たすかどうかわからないなら、意味がなくなる。 でも、調べることはできるんだ」
ユーリ「さっき調べる方法ないって言った……」
僕「断言することはできないんだ。でも、仮定を満たしそうかどうかはわかる」
ユーリ「へえっ! そんなことわかんの?」
僕「何回も投げてみればいい。実際に」
ユーリ「は? 何その原始的方法。実際に投げて、何がわかるの?」
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(2019年3月1日)
この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。
書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。
どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!