登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
ミルカさん:数学が好きな高校生。 僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
僕、テトラちゃん、そしてミルカさんは図書室で《群》についてずっとおしゃべりを続けている。
ラグランジュの定理を証明したところで、テトラちゃんがうなっている。
テトラ「ううう……あたしたちは《サイコロの置き方》の $24$ 通りを台集合にする群についてあれこれ考えてきました。 でも、あたしがずっと心に引っかかっていることがあるんです」
僕「引っかかっていること?」
テトラ「はい。サイコロで群の計算をするときに、あたしたちはサイコロの《置き方》ではなくてサイコロの《回転》について考えているという点です。 その証拠に、計算するときにあたしたちは $24\times24$ の演算表を見たりしませんよね。 そうじゃなくて、サイコロを心で回転させて考えています。 つまり《群は台集合と二項演算の組》で定義されていると、いいつつも、 二項演算のことを考えていないように感じるんです! あたしは……それがずっと心に引っかかっていました。 いま、ようやく言葉にできました」
僕「なるほどね……でも、それはどう考えたらいいんだろう」
ミルカ「テトラが自分のイメージを言語化する試みは興味深い」
テトラ「そ、それで……結局あたしの疑問は?」
ミルカ「テトラのイメージそのものかどうかはわからない。 私はテトラではないからだ。 しかし群論は、テトラが語ったイメージに近い概念を提供する。 それは……」
僕「それは?」
テトラ「何でしょうか?」
ミルカ「それは群の作用と呼ばれる概念だ」
テトラ「作用……」
僕「それって数学用語なの?」
ミルカ「そう。群の作用は数学用語だ。群論に登場する」
テトラ「作用という数学用語があるんですね。 何だかとっても普通の言葉ですけれど……英語では何というんでしょうか」
ミルカ「action」
僕「アクション。これまた普通の言葉だね」
ミルカ「普通の言葉かどうかが気になるなら、群という用語がすでに普通の言葉だが」
テトラ「群は英語で何というんですか」
ミルカ「group」
僕「グループ。言われてみれば、確かに普通の言葉だなあ。そういえば集合も普通の言葉だね。セット」
ミルカ「ともかく、テトラがイメージしている群の働きというのは群の作用のことかもしれないと私は考えた」
僕「群の作用という概念があるんだね。どんな定義?」
ミルカ「うむ。まず群 $G$ と集合 $X$ があって……」
テトラ「ちょちょ! ちょっとお待ちください!」
テトラちゃんが身を乗り出すようにして手を挙げる。
ミルカ「質問が早いな。はい、テトラ」
ミルカさんがまるで教師のようにテトラちゃんを指さす。
テトラ「群の作用のお話に入る前に、お聞きしたいことがあります。 数学的概念というのは何でしょうか」
僕「ものすごい質問が来たぞ! 数学的概念とは何か」
テトラ「あ、いえ、ちょっと言葉遣いを間違えたかもしれません。 あのですね、 あたしが初めて群の話を聞いたときに感じたことです。 それは、数学には《問題を解くこと》以外の活動があるんだ! という驚きです。 数学には《問題を解くこと》以外に《概念を作ること》という活動がありますよね」
ミルカ「ふむ」
僕「そうだね」
テトラ「それがすごい衝撃だったんです。 だって、数学の授業では先生の説明があったらすぐに問題を解き始めます。 例題、練習問題、宿題、小テスト、定期テスト……そこにある数学の活動って、 そのほとんどが《問題を解くこと》ですよね。 でも、先輩方が群の話をなさるときには《概念を作ること》を楽しんでいらっしゃるように思うんです」
僕「確かに、そういうところはあるよね。 もっとも、まったく新しい概念を作ることはなかなかできなくて、 ほとんどはすでに数学者が考えてしまっている感じがするけど……でも、 《概念を作ること》が楽しいのは確かだと思うよ。 作るだけじゃなくて、いじりまわすというか、ひっぱったり、つついたり……」
ミルカ「数学者が定義した概念を追うことも楽しい。 それは音楽家が作曲した名曲を演奏するのにも似ている。 作曲は楽しいかもしれないが、演奏も楽しい。 何度繰り返しても、それは楽しい」
テトラ「なるほど……そこで、あたしの疑問は、 それでは《概念を作ること》って、いったい何だろうということです。 どういうことができたら、 数学的な概念を作れたといえるんでしょうか? そもそも、数学的な《概念を作る》ときの素材はなんでしょう」
僕「《そもそも》って、テトラちゃんに似合う接続詞だね」
ミルカ「茶化す必要はない」
僕「茶化しているわけじゃないよ」
ミルカ「どういうことができたら数学的な概念を作れたかを決めつけるわけにはいかないが、 《概念を作る》ときの素材はわかる。現代なら集合だな。集合と論理といってもいい。 それがなければ何も作れない……というわけではないが、 集合と論理を使って作る。集合と論理を使って表す」
テトラ「集合と……論理ですか。なるほど、言われてみれば」
僕「群を定義するときもそうだったね。台集合と二項演算を定義したから」
テトラ「台集合は集合ですからそうですが、二項演算も集合なんですか」
ミルカ「二項演算も集合を使って定義できるし、写像も集合を使って定義できる」
テトラ「……」
ミルカ「集合と論理を使って、何らかの条件を満たす集合を考える。 大ざっぱにいえばそれが《概念を作ること》になる」
僕「確かに。群という概念を定義するときも、群の公理があったよね。 単位元の存在、任意の元に対する逆元の存在、結合法則を満たすこと……それで群という概念が作られたんだ」
テトラ「なるほど……確かに、集合と論理ですね」
僕「ところで《概念を作ること》と《問題を解くこと》って表裏一体だと思うんだけど」
テトラ「どういうことでしょう」
僕「群のような概念を作ったとするよね。そしてその概念を支えている定義を理解すると、 自然に疑問が生まれてくるように思うんだ。心に浮かぶ疑問……つまり問題が生まれてくる。 そうすると、その問題を解きたくなる。だって、 せっかく作ったその概念はいったいどんなものなのか、もっと深く深く知りたいと思うから」
テトラ「……確かに!確かに!そうですね! 群のお話を聞いていて、 あたしはたくさん疑問を抱きました。 たとえば、群の元 $g$ に対して、 $g^1, g^2, g^3, \ldots$ がいつか $g^0$ に《ぐるっと回って》戻ってくるかどうかが気になりました(第237回参照)」
僕「うん。そうだったね。そして群が有限群ならばそれは正しいことが証明できた。 その証明は確かに《問題を解くこと》なんだけど、 そこでやっているのは概念を深く知ることだと思うよ」
テトラ「それから、群で $a$ の逆元は唯一に定まるかどうかも気になったことでした(第236回参照)」
僕「うん、テトラちゃんのその疑問も証明できたよね。 $a$ の逆元は必ず唯一に定まる」
テトラ「はい。そしてだからこそ $a$ の逆元のことを $a^{-1}$ と書くことができる……そのような、 数学的な概念が表現にまで影響を及ぼすというのもおもしろいと思いました」
僕「そういう問題を解いているうちに、群というものをより深く知っていくんだと思うけど」
テトラ「納得です! あたしは無意識のうちに《問題を解くこと》よりも《概念を作ること》の方が強いと思っていました」
ミルカ「強い?」
テトラ「ゲームキャラ的に、です。でも、そんなに単純じゃないですね。 《概念を作ること》から自然に問題が生まれますし、 《問題を解くこと》によって《概念を知ること》ができる。より深く……」
ミルカ「自然に問題が生まれることもあるが《問題を作ること》自体が《概念を作ること》につながることもあるし、 《問題を解くこと》のために、新たな《概念を作ること》が必要になることもある。 話はまったく単純じゃない」
テトラ「そうですね」
ミルカ「私たちは集合と論理で概念を作る。あるいは別の言い方をするならば、集合と論理で概念を表す。 そのようにして概念を定義し、その概念で何が成り立つか予想し、証明する。 それは数学の大切な営みだ……というところで、数学に戻りたい」
テトラ「あっ、はい! ……Where were we?」
ミルカ「群の作用だ」
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