登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。
ミルカさん:数学が好きな高校生。 僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
図書室で僕とテトラちゃんがおしゃべりをしているところへ、ミルカさんがやってきた。
ミルカ「テトラにおみやげだよ」
テトラ「あ、ありがとうございます……おみやげ? ああ、村木先生の《カード》ですね」
村木先生は僕たちの数学教師。僕たちにときどき《カード》を渡してくれる。そこにはおもしろい数学の問題や、謎めいた数式がぽつんと書かれていたりするのだ。思わせぶりな《カード》も多いけれど……
村木先生の《カード》
自然対数の底 $e$ が無理数であることを証明せよ。 $$ e = \frac{1}{1} + \frac{1}{1} + \frac{1}{1\cdot2} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3\cdot4} + \cdots $$
僕「あ、今回の《カード》は思わせぶりじゃないね」
テトラ「自然対数の底 $e$ が無理数であることを証明する…… ということは、この無限級数の和を求めて、無理数であるといえばいい? あ、でも、 それが $e$ なんですよね」
僕「この問題って確か、ものすごく難しいんじゃなかったっけ……僕たちに証明できる?」
ミルカ「君は、何か別の問題と勘違いしているようだ。 $e$ が無理数であることの証明はそれほど難しくない」
僕「そうなんだ」
ミルカ「じゃ、私は先に帰るよ」
テトラ「え、ええええっ?」
僕「もう帰るの?」
テトラ「まだ瑞谷先生もいらしてませんし……この問題も」
ミルカ「エィエィと約束があるから。その《カード》の裏にはヒントが書かれているから、 困ったらそれを見ればいい」
ミルカさんは手をひらひらと振って図書室から出て行った。
テトラ「ミルカさん、帰っちゃいましたね」
僕「……」
テトラ「あ、先輩。もう考え始めてるんですか!」
村木先生のカード(再掲)
自然対数の底 $e$ が無理数であることを証明せよ。 $$ e = \frac{1}{1} + \frac{1}{1} + \frac{1}{1\cdot2} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3\cdot4} + \cdots $$
僕「こういう問題のとき、《僕たちにも証明できる》っていうのはものすごく大きなヒントだよね。 やる気もでるし、それから僕たちが使える道具で証明できるということもわかるから」
テトラ「そうかもしれませんが、あたしはこれを見ても途方にくれてしまいます。 自然対数の底 $e$ というのは、指数関数 $e^x$ で $x = 1$ のときの値ですよね?」
僕「うん、そうなんだけど、この問題の書き方からすると、 指数関数という姿よりも無限級数という形で定義されている値と考えた方がいいかもしれない。 他にも、 $$ e = \lim_{n\to \infty} \left(1 + \frac{1}{n}\right)^n $$ という定義もある」
テトラ「ああ……それは以前先輩に教えていただきましたね。 (『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』参照)」
僕「もちろん、どれも同じ値になるんだけど、 ここでは無限級数として定義されているから、まずはそこから考えてみるんだろうね。 まあ、でも最初の一歩はすぐわかるけど」
テトラ「えっ!」
僕「えっ! だって無理数であることの証明で僕たちが使えるのは二つくらいしか方法がないから」
テトラ「ええと……」
僕「一つは背理法だよね。有理数であると仮定して、矛盾を導く」
テトラ「ああ、そうですね。そうですよね。そういうパターンですよね」
僕「パターンというか……僕たちはある実数が《無理数である》と簡単に言い表すことはできないからだね。 《無理数である》は表せないけど、《有理数である》なら表せる」
テトラ「ははあ……なるほどです」
僕「だから、いったん《有理数である》と仮定してみて、矛盾を導くという背理法がぴったりうまく使えるんだよ」
テトラ「背理法が使いやすいことには、ちゃんと理由があるんですね!」
僕「じゃ、問題にもどろう」
テトラ「すみません。先ほど先輩がおっしゃった方法の、二つ目は何でしょうか。 無理数であることの証明で、一つは背理法を使うんですよね。もう一つは……」
僕「ああ、うん、もう一つは他の無理数に帰着させる方法だよ」
テトラ「帰着」
僕「無理数であることがすでにわかっている数があるとして、 いま調べたい数を使って簡単な計算をしたらその無理数に等しくなったとする。 そうしたら調べたい数も無理数だということがわかるよね」
テトラ「確かにそうですね」
僕「簡単な計算というのは四則演算だよ。有理数同士の四則演算を繰り返しても、有理数であることには変わりがないから」
テトラ「理解しました」
僕「それでさっきの問題に戻って、自然対数の底 $e$ が無理数であることを背理法で証明してみよう。 まずは、背理法の仮定」
テトラ「はい。 $e$ が有理数であると仮定します。そうすると、こんな分数で表せることになりますね」
$$ e = \frac{m}{n} $$僕「そうだね。有理数というときには、 $m$ が整数で $n$ が正の整数として、分数で表す。 互いに素であることを仮定することも多い。 いまは $e > 0$ だから、分子 $m$ と分母 $n$ は両方とも正の整数としていいね」
$$ e = \frac{m}{n} \qquad \REMTEXT{$m$と$n$は正の整数} $$テトラ「はい」
僕「$e$ が有理数だと仮定したから、 この等式が成り立つような正の整数 $m$ と $n$ が存在するといえる。 ということはいま $e$ は無限級数で定義されているわけだから、 その無限級数も分数で表せることになる」
$$ \frac{m}{n} = \frac{1}{1} + \frac{1}{1} + \frac{1}{1\cdot2} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3\cdot4} + \cdots $$テトラ「はい、そうですね。よくわかります。あたしたちはこれから矛盾を導くのですよね?」
僕「そうなんだけど、テトラちゃんはこの式を見てどう考える?」
テトラ「あたしは……何となくですけれど、両辺に $n$ を掛けたくなります。分母を払う的な」
$$ m = \frac{n}{1} + \frac{n}{1} + \frac{n}{1\cdot2} + \frac{n}{1\cdot2\cdot3} + \frac{n}{1\cdot2\cdot3\cdot4} + \cdots $$僕「なるほど。でもその次がよくわからないね」
テトラ「あっ、でも、これ矛盾じゃないですか。左辺の $m$ は正の整数ですよね。 でも、右辺は違いますよ」
僕「え、どうして?」
テトラ「だって、無限に分数が続くわけですから、整数にはならない……」
僕「そんなことはないよね」
テトラ「あちゃちゃ! そんなこと、ありませんね。 分数がずっと続いたとしてもその和は整数になるかもしれません。まちがいでしたっ!」
僕「そうだよね」
テトラ「……あたし、背理法にがてです。 実際にはこの等式は成り立たないわけですよね。 成り立たない式を考えるって難しいです」
$$ \frac{m}{n} = \frac{1}{1} + \frac{1}{1} + \frac{1}{1\cdot2} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3\cdot4} + \cdots $$僕「そうだけど、にがてと決めつけるものでもないよ。 まちがい探しのようなものだと思えば」
テトラ「ところで先輩はこの式からどう進みます?」
僕「うん、まず式の形をよくとらえるために、分母を階乗の形で書こう。 $n!$ というのは、 $1 \cdot 2 \cdot 3 \cdots n$ だよね。 $e$ の無限級数に出てくる分数の分母に出てくるのも階乗」
$$ \begin{align} \frac{m}{n} &= \frac{1}{1} + \frac{1}{1} + \frac{1}{1\cdot2} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3} + \frac{1}{1\cdot2\cdot3\cdot4} + \cdots \\ \frac{m}{n} &= \frac{1}{0!} + \frac{1}{1!} + \frac{1}{2!} + \frac{1}{3!} + \frac{1}{4!} + \cdots \\ \end{align} $$テトラ「……」
僕「でね、テトラちゃんは分母の $n$ を両辺に掛けたけど、階乗 $n!$ を掛けたらどうなるかなって考えていたんだよ」
テトラ「なるほど……?」
僕「テトラちゃんのように $n$ を両辺に掛けると、最初の $2$ 項は整数になった。 それと似てる話だけど、 $n!$ を両辺に掛けると、最初の $n+1$ 項は整数になるよ。
$$ \begin{align} \frac{m}{n} &= \frac{1}{0!} + \frac{1}{1!} + \frac{1}{2!} + \cdots + \frac{1}{n!} + \frac{1}{(n+1)!} + \cdots \\ n! \cdot \frac{m}{n} &= \underbrace{\frac{n!}{0!} + \frac{n!}{1!} + \frac{n!}{2!} + \cdots + \frac{n!}{n!}}_{\REMTEXT{すべて整数}} + \frac{n!}{(n+1)!} + \cdots \\ \end{align} $$テトラ「ちょっとお待ちください。どうして整数……? せっかく階乗の形にしていただいたんですが、 もう一度戻してもいいですか」
$$ \begin{align} \frac{n!}{0!} &= \frac{1\cdot2\cdots n}{1} = 1\cdot2\cdots n \\ \frac{n!}{1!} &= \frac{1\cdot2\cdot3\cdots n}{1} = 2\cdot3\cdots n \\ \frac{n!}{2!} &= \frac{1\cdot2\cdot3\cdot4\cdots n}{1\cdot2} = 3\cdot4\cdots n \\ \frac{n!}{3!} &= \frac{1\cdot2\cdot3\cdot4\cdot5\cdots n}{1\cdot2\cdot3} = 4\cdot5\cdots n \\ &\,\,\vdots \\ \frac{n!}{n!} &= \frac{1\cdot2\cdot3\cdot4\cdot5\cdots n}{1\cdot2\cdot3\cdot4\cdot5\cdots n} = 1 \\ \end{align} $$僕「納得した? $0$ から $n$ までの整数 $k$ に対して、 $\frac{n!}{k!}$ はぜんぶ整数になるよね」
テトラ「納得しました!階乗で分子の方が長いから、約分した結果、整数になります」
僕「そういうことだね。だから、最初の $n+1$ 項は整数になる……と。さてここからどうするか」
$$ n! \cdot \frac{m}{n} = \underbrace{\frac{n!}{0!} + \frac{n!}{1!} + \frac{n!}{2!} + \cdots + \frac{n!}{n!}}_{\REMTEXT{すべて整数}} + \frac{n!}{(n+1)!} + \cdots $$テトラ「この式の左辺 $n! \cdot \frac{m}{n}$ も整数ですよね。だって計算しますと $(n-1)!m$ になりますから」
僕「そうだね。うん、だから、僕たちが注目すべきところは、残りの部分になる!」
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