登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
ユーリ:僕のいとこの中学生。 僕のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。
僕とユーリは、リビングでポテトチップスを食べていた。
ユーリ「はー、からくておいしい……からうま!だにゃ」
僕「ユーリ、すごい勢いで食べてないか?」
(※イラストは「いらすとや」さんから)
ユーリ「だって、おいしいんだもん。あー、ちょっと待った! そーゆーの、いまどき問題発言なんだよ」
僕「何が?」
ユーリ「そんな勢いで食べていたら体重がアーだとか、 体型がドーだとか、そーゆーのはダメ!」
僕「そんなこと、何も言ってないじゃないか」
ユーリ「言ってからでは遅いのじゃ……はー、おいしい……あれ、 もう無くなった?!」
僕「食べたからね」
ユーリ「ぐぬぬ……はー、無限ポテチほしい」
僕「なんだそれ」
ユーリ「んー、だから、いくら食べても無くならないポテチ。 無限に食べ続けられるし、いくら食べても(ピーー)にならないの」
僕「都合がいいなあ。いくらおいしいポテトチップスでも、 食べ続けていたらおいしくなくなると思うんだけどね」
ユーリ「またまた、そんなマジレスすんだから。 想像して楽しんでるだけなんだしさ。 それに、《無限ポテチ》では、ちゃんとリセットされるんだよ」
僕「リセット?」
ユーリ「一枚取り出して食べるじゃん? おいしく感じるじゃん? 飲み込んだら、 その味覚がリセットされるの。まるで一枚も食べてなかったみたいに。 そしたら、食べ続けてもぜんぜん飽きない! サイコー!」
僕「都合よすぎじゃないか、それ……」
僕「ユーリは無限というとどんなイメージがあるんだろう。 無限に食べ続けられるポテチ以外で」
ユーリ「宇宙!」
僕「へえ……宇宙」
ユーリ「どこまでも広がってて、どこまでも行ける宇宙!」
僕「なるほどね」
ユーリ「お兄ちゃんは? 無限ってどんなの?」
僕「そうだなあ。イメージとは違うけど、大きい数の勝負を思い出すかな」
ユーリ「大きい数の勝負?」
僕「小学校のとき、よく言い合いになったよ。 どっちが大きな数を言えるかって勝負で言い合い」
ユーリ「なにそれ。なぜにそんな勝負になるの?」
僕「いや、大した理由はないんだよ。 たとえば『そんなこと100年前からわかってたぞ』みたいに言う。 それに対して『違うぞ、200年前からわかってた』と言い返す。 あとは数のインフレ。 『千年前!』『一万年前!』『一億年前!』『百億年前!』『千億年前!』 ……みたいに、言い合いが続くんだ」
ユーリ「何という小学生男子。千億年前って人類存在したっけ?」
僕「宇宙も存在してないよ。 とにかく、そんなふうにして『どちらの方が大きい数をいえるか競争』 になることがよくあったんだ。ロボットの身長とか、 宇宙船に乗せられる人数とか、題材は何でもいいんだけどね。 『そんなのどこにもないー!』『作ればあるー!』みたいな」
ユーリ「はあ……お兄ちゃんにも、そんな時代が」
僕「言い合いはなかなか終わらない。 そのうち、数の表現がめちゃくちゃになってくる。 『千億兆兆兆兆年前!』みたいにね」
ユーリ「あはは! 前前前世みたい」
僕「そんなときに無限を感じたことがあったよ」
ユーリ「言い合いで?」
僕「うん、そうだね。お兄ちゃんじゃないけど、 誰かが『足す $1$』っていう言い返しを導入したんだ」
ユーリ「たすいち」
僕「『百億』に対して『足す $1$』って言い返す。 つまり『百億一』っていう主張。 どんなときでも『足す $1$』って言えば、 相手よりも大きな数を作れることになるよね」
ユーリ「あー、そりゃそーだね」
僕「その『足す $1$』っていう一言は、 どこまでも続くとか、 いくらでも繰り返せるとか、 そんな感じがする」
ユーリ「だからそこに無限を感じる?」
僕「そうだね。でも、 『足す $1$』が出始めると、 言い合いも立ち消えになっちゃうんだ。 それまで勢いよく百億!千億!といってたのがひゅんとしぼむみたいに」
ユーリ「あー、それわかるかもー」
僕「数学を勉強していくと、 あの『足す $1$』っていうのはなかなか深い話だったんだなあ、 と思うよ」
ユーリ「なんで?」
僕「たとえば、正の整数は無数にあるよね。 $1,2,3,4,\ldots$ というように」
正の整数
$$ 1, 2, 3, 4, \ldots $$
ユーリ「あー、無限個あるってこと?」
僕「そうだね。 数学だと無限個という言い方をすることは少ないけど、 そういうこと」
ユーリ「$1,2,3,4,\ldots$ ってどこまで数えていっても、 限りが無いから、無限。終わりがない」
僕「うん、そうだね。正の整数 $1$ に『足す $1$』した $2$ も、 正の整数になっているし、 $2$ に『足す $1$』した $3$ も、 正の整数になっている。 どんな正の整数 $n$ を選んだとしても、 『足す $1$』したものはまた正の整数になってる。 しかも、 $n$ に『足す $1$』したものは、 $1$ から $n$ までの正の整数のどれよりも、必ず大きくなってる。 だから、正の整数は無数にあることになる」
ユーリ「ほほー……それって《無限ポテチ》とおんなじだ!」
僕「何が?」
ユーリ「『足す $1$』は、いくらでも繰り返せるんでしょ? 一枚食べても食欲がリセットされるのと同じじゃん」
僕「それって同じなのかなあ……」
ユーリ「えー、同じだよー!」
僕「『ユーリはなぜ同じかを説明する』」
ユーリ「ミルカさまの真似しないで! こっち指ささないで! ……あのね、 同じだと思うのは、 いつでも繰り返せるから。必ず繰り返せるから。 ちゃんと繰り返せるから。だから無限に……うー、説明できにゃい!」
僕「こういうことかなあ。《無限ポテチ》……無限に食べられるポテトチップスがあったとする。 それは、 $n$ 枚食べても『もう $1$ 枚』食べられるという保証がある」
ユーリ「うんうん!」
僕「$n$ が正の整数なら、 $n+1$ も正の整数になるという保証がある。 それは確かに似てるかな」
ユーリ「でしょでしょ? その保証があるから、無限にできるんだよ」
僕「……」
ユーリ「どしたの?」
僕「いや、その保証ってどこから来るのかなと思ってたんだ。 『足す $1$』できるということも保証になっているし、 そもそも、 $n$ という文字自体が繰り返しを作り出す保証になっているよね」
ユーリ「?」
僕「だって、 $1$ は正の整数、 $2$ は正の整数、 $3$ は正の整数、 とずっと言い続けることはできない。それこそ無限の時間と無限の手間を掛けなくちゃいけないから。 でも《どんな正の整数 $n$ についても成り立つ》みたいに、 $n$ という文字を使った主張が作れれば違う。 無限の時間がなくても、無限の手間を掛けなくても、 無限を含んだ主張ができるんだな、と思ったんだ」
ユーリ「ほほー?」
僕「うん、だから、 数学で《文字を使う》というのは超絶に強力なことなんだね」
ユーリ「ねえ、お兄ちゃん。数学で無限大って出てくるでしょ。 $\infty$ のこと」
僕「うん、出てくるね」
ユーリ「あれって、数?」
僕「いや、普通は $\infty$ は数としては扱わないね。 $\infty$ を数のようにして扱う理論もあるけれど」
ユーリ「でも、正の整数 $1,2,3,\ldots$ っていくらでも大きくなるよ。 だったら、無限大 $\infty$ も正の整数の仲間じゃないの? $1,2,3,\ldots,\infty$ みたいに」
僕「ユーリは鋭いなあ! でも、そうは考えられないよ」
ユーリ「なんで?」
僕「$n$ が正の整数のひとつだとするよね。 そうしたら、必ず $n < n + 1$ になる」
ユーリ「そだね。『足す $1$』したら大きくなる」
僕「じゃあ、もしも $\infty$ が正の整数の一つだとしたら、 $\infty + 1$ も正の整数で、しかも、 $\infty < \infty + 1$ にならないとおかしいよね?」
ユーリ「う。……そだね。そんで?」
僕「だとしたら、 $\infty$ よりも大きな正の整数が存在することになってしまうよ。 それはおかしいよね」
ユーリ「えーと……」
僕「話がごちゃごちゃしてきたなあ。 何が問題になっているか、少し整理してみよう」
ユーリ「わくわく!」
僕「無限みたいに、直観だけでは考えにくいものを話し合うときには、 言葉の意味をお互いに確認しないとね」
ユーリ「言葉の意味って? 無限大は無限大じゃん?」
僕「うん。 ユーリは《無限大》という言葉で何かを思い描いているわけだよね。 そして、『だから、無限大はナニナニだ』と主張したり、 『だから、無限大はナニナニじゃない』と主張できる」
ユーリ「うん」
僕「そこだよ。《無限大》という言葉でユーリが思い描いていることと、 《無限大》という言葉でお兄ちゃんが思い描いていることが同じとは限らないだろ。 もしそこからずれていたら、話はどこにも行き着かないし、 納得も合意もできない」
ユーリ「ほほー。なかなか理屈っぽくてよいのう」
僕「茶化すなよ。 《定義にかえれ》というのが大事な理由はそこにあるよね。 数学上の定義を確認したり、厳密な意味をチェックすることは、 考えを進めるときでも、議論を展開するときでも大事」
ユーリ「でも、ユーリ、無限大の定義なんて知らないもん」
僕「うん、お兄ちゃんも数学的な定義は知らないよ。 いま言ってるのはその言葉の正しい意味は何か という話をしてるんじゃなくて、 ユーリ自身はその言葉をどういう意味で使っているか という話をしてるんだよ」
ユーリ「……」
僕「考えがごちゃついてきたときには、 《定義にかえれ》というポリヤの問いかけが必ず役に立つ。 自分は何かを考えているつもりになっているんだけど、 そこで使われている言葉を自分はどういう意味で使っているんだっけ? と確認するということだね。 当たり前のことを確認するなんて、馬鹿みたいにみえるけれど、 それはとっても大切なことなんだ」
ユーリ「わーった、わかりましたよ。センセー。 そんで、無限大の話をしてよ」
僕「たとえば《ユーリの疑問》をこんなふうに書いてみようか。 さっきから話してたことを簡潔に整理してみた。これはユーリの疑問といえる?」
ユーリの疑問(無限大 $\infty$ と正の整数)
無限大を $\infty$ で表すことにする。
$\infty$ は正の整数だろうか。
ユーリ「うん、そだね。ユーリはね、正の整数のこと知ってるよ。 $$ 1,2,3,\ldots $$ でしょ。で、ずっと続くし、いくらでも大きくなるんだから、 $\infty$ も正の整数っていえるかな? いえるかも? って思ったの」
僕「うん、そうだよね。それはとってもすごい疑問だと思う。 そこで、ユーリにお尋ねするんだけど」
ユーリ「何かね?」
僕「偉そうだな。 ユーリがここで言ってる《無限大 $\infty$》って何だろうか」
ユーリ「定義、知らないって」
僕「うん、それはいいよ。 ユーリはどんな意味だと思ってこの言葉を使っているか、 ということを聞いてるんだ。 ユーリが使っている言葉の意味だから、正解は誰も知らない。 正解は、ユーリの心の中にある」
ユーリ「あのね、 $\infty$ はいくらでも大きな数? 無限に大きくて、だから……うん……なんていえばいーのかわかんない」
僕「あらためて、その言葉の意味は? と聞かれても、 答えるのは難しいよね。でも、これは大事なんだ」
ユーリ「言葉にすると、すり抜けちゃうんだよ」
僕「すり抜ける」
ユーリ「言葉にすると、言いたいことがすり抜けちゃう。 言葉にはできるんだけど、そこには言いたいことが入ってないの。 だから、言葉になったことは、言いたいことに比べたらスカスカになってる。 無限大のことを考えると、そんな感じ」
僕「なるほどねえ……確かにそういう感じはするかも。 考えていることのすべてを言葉で表すことは難しくて、 言葉に表せることしか表せないからなあ。 だから、その範囲でがまんするしかないね。 うまく言い換えができないと、話は進まないけれど」
ユーリ「とにかく! 無限大は大きいんだよ」
僕「なるほど。ユーリが考える無限大 $\infty$ は大きい。 ということは、ユーリが考える無限大 $\infty$ は大きさ比べができるってことだね。 たとえば、 $1$ と $\infty$ の大きさを比べることはできる?」
ユーリ「できるできる。 $1 < \infty$ になる」
僕「$2 < \infty$ もいえる?」
ユーリ「もちろんだよん」
僕「じゃあ、 ユーリが考える無限大 $\infty$ は、 こういう性質を持っているものとしていい?」
ユーリの考える無限大 $\infty$ が持つ性質
どんな正の整数 $n$ に対しても、 $\infty$ はそれより大きいといえる。 つまり、 $$ n < \infty $$ が成り立つ。
ユーリ「いいよいいよー! どんなのよりも大きいんでしょ? うん、 無限大!って感じする!」
僕「うん、じゃあね、 $\infty$ はちょっとわきに置いといて、 正の整数について、これは成り立つといえる?」
正の整数が持つ性質
どんな正の整数 $n$ に対しても、 $$ n < n $$ が成り立つことはない。
ユーリ「へ? 当たり前じゃん。 $1$ より $1$ の方が大きいなんてことはないし、 $2$ より $2$ の方が大きいなんてこともないし……」
僕「だとしたら、 $\infty$ が正の整数であるかどうかは結論が出せることになるね」
ユーリ「ん? あっ、わかった!」
僕「わかった?」
ユーリ「わかった。二つを合わせるんだね?」
僕「そういうこと」
(1)どんな正の整数 $n$ に対しても、 $n < \infty$ が成り立つ。
(2)どんな正の整数 $n$ に対しても、 $n < n$ は成り立たない。
ユーリ「だとしたら、 $\infty$ は正の整数であるはずない! だって……だって?」
僕「$\infty$ が正の整数だと仮定しよう。 だとしたら(1)から $\infty < \infty$ が成り立つ。 でも、(2)から $\infty < \infty$ は成り立たない。 だから、 $\infty$ は正の整数ということはないといえる」
ユーリ「おー! 何だかバシッと決まった感じする!」
僕「そうだね」
ユーリ「……っと、ここまでは納得したんだけど、まだちょっと、残ってる」
僕「残ってるって?」
ユーリ「さっき、 どんな正の整数 $n$ よりも無限大 $\infty$ は大きいとして話が進んだけど、 まだ心残りがあるの」
僕「……」
ユーリ「$\infty$ が正の整数じゃないというのはいーんだけど、 だったら、 $1,2,3,\ldots$ のテンテンの先には何があるの? 正の整数は無数にあるんでしょ? テンテンの先には無限に正の整数がつづくわけじゃん? それが、 よくわかんない。 $\infty$ はないとしても《何か》があるよーな気がするの」
僕「ねえ、ユーリ。 僕はユーリのその感覚はとても大切なものだと思うよ。 さっきユーリも言ったけど、言葉にできるものはほんのわずかで、 言い足りないものがどこかに残っているような気がする。 無限大という言葉が表しているイメージのうちいくつかは、 数学的な形で取り出すことができるんだと思う。 たとえばさっきの $n < \infty$ みたいにね。 だから、いまユーリが感じている《まだ言葉にできていないイメージ》 も、注意深く考えると数学的に取り出せるかもしれないね。 それは必ずしも《無限大》という名前は付かないかもしれないけど」
ユーリ「文字とか?」
僕「文字って?」
ユーリ「文字 $n$ にどんな数でもいれられるっていうのも、 無限のイメージ?」
僕「ああ、そうかも。そうだね。 あまり無限とは意識してないけど、 確かに、無限の一つの側面を表してるなあ」
ユーリ「そっか、大きくなくてもいーんだね。 大きいかどーか、は無限の一つのイメージ」
僕「そうだと思うよ。 そして、いったん誰かの心に浮かんだものを、 数学的に表現できれば、 そこについては数学で考えられるし、 議論できる。 だから、自分の心に浮かんだものを、 言葉にしようとすることは、とっても大切なことなんだ」
ユーリ「わーった。《先生トーク》炸裂だね!」
僕「茶化すなって」
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(2017年11月10日)