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第209回 シーズン21 エピソード9
逆転インバース(前編)

登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。

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図書室にて

いつものようにテトラちゃんが放課後の数学トーク。 テトラちゃんは、身振り手振りを交えて一生懸命に語って……

テトラ「……ですから、あちこちに《線型性》というものが出てきますよね。 たとえば微分とか」

「そうだね。いろんなところに出てくる」

テトラ「そこで、あたしは思ったんです。 《線型性》が成り立っていないものってなんだろうって。 逆転の発想ですね」

「なるほど。たとえば積の微分?」

テトラ「あたしも最初そう思いました。 でも、定数倍は《線型性》に出てきますし……」

「え? ちょっと待って。ちゃんと話そうよ。 関数の微分での《線型性》というのはこういうことだよね。 《和の微分は、微分の和》と《定数倍の微分は、微分の定数倍》」

微分での《線型性》 $$ \left\{\begin{array}{llll} \left(\,f(x) + g(x)\,\right)' &= f'(x) + g'(x) \\ \left(\,a\,f(x)\,\right)' &= a\,f'(x) \\ \end{array}\right. $$

テトラ「はい、そうです。ですから《線型性》では《積》も《和》も出てきます」

「うん、でも、その《和》は《関数と関数の和》で、《積》は《実数と関数の積》だよね」

テトラ「あ……」

「テトラちゃんが考えたいのは、

 《実数と関数の積 $a\cdot f(x)$》

じゃなくて、

 《関数と関数の積 $f(x)\cdot g(x)$》

の方だよね?」

テトラ「そ、そうですね。そうです!」

「関数の積 $f(x) \cdot g(x)$ を微分したときは、 微分の積の形になるとは限らない。《積の微分》は《微分の積》になるとは限らないという意味」

テトラ「関数の《積の微分》ですものね……こうですね」

関数の積を微分する

$$ \left(\, f(x)\cdot g(x) \,\right)' = f'(x)\cdot g(x) + f(x)\cdot g'(x) $$

『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』も参照。

「そうだね」

テトラ「あれ……ちょっとお待ちください。 先ほど先輩は《積の微分》は《微分の積》になるとは限らない……とおっしゃいましたが、もしかして、 $$ \left(\,f(x)\cdot g(x)\,\right)' = f'(x)\cdot g'(x) \qquad \REMTEXT{(?)} $$ になることもあるんでしょうか?」

「うん、あるよ。 たとえば、 $f(x) = 1$ で、 $g(x) = 1$ とすればいいから。 両方とも $1$ に等しい定数関数にすれば、 積で作った新たな関数 $f(x) \cdot g(x)$ も定数関数 $1$ だよね。 $f(x)\cdot g(x) = 1$ だから、 微分すれば、 $\left(\,f(x)\cdot g(x)\,\right)' = 0$ になる。つまりこれは《積の微分》が定数関数 $0$ になったわけだ」

テトラ「ああ、確かに。それで《微分の積》の方も $f'(x) \cdot g'(x) = 0 \cdot 0 = 0$ で、 定数関数 $0$ になっている?」

「そうだね。そういう特殊な例を作れば《積の微分》が《微分の積》に等しくなることはあるよね」

テトラ「あらら? そのとき、《積の微分》の公式の方も成り立っているんですか?」

「もちろん、成り立っているよ。 $f(x) = 1, g(x) = 1$ のとき、 $$ f'(x)\cdot g(x) + f(x)\cdot g'(x) = 0\cdot g(x) + f(x)\cdot 0 = 0 $$ だから。ちゃんと定数関数 $0$ になってる」

テトラ「あたりまえでしたね……すみません」

そこで、はいいことを思いつく。

「ねえ、テトラちゃん。テトラちゃんは、 関数が掛け算になった関数を微分することはできるわけだよね」

テトラ「はい、大丈夫です。 $f'(x)g(x) + f(x)g'(x)$ は頭に入っています!」

「うん、そんなテトラちゃんにいいクイズがあるよ」

テトラ「どんなクイズでしょうか……」

クイズ

微分可能な二つの関数 $f(x)$ と $g(x)$ があり、 どんな $x$ に対しても $f(x) \neq 0$ とする。 このとき $x$ の関数、 $$ \frac{g(x)}{f(x)} $$ を $x$ で微分せよ。

※ $f(x)$ と $g(x)$ の定義域と終域はどちらも実数全体の集合とする。

テトラ「なるほど! 《掛け算の微分》ではなく《割り算の微分》を考えるんですね!」

「そうだね。分数関数の微分」

テトラ「なるほど……とは言ったものの、 あたしはこの公式は覚えていません。すみません」

「いやいや、そういうことじゃないよ。 テトラちゃんにこのクイズを出したのは、 微分公式の《暗記テスト》をしたいわけじゃないんだ。 二つの関数の掛け算で作った新たな関数、 $$ f(x)\cdot g(x) $$ を微分できるテトラちゃんなら、 割り算で作った新たな関数、 $$ \frac{g(x)}{f(x)} $$ を微分することもできるんだよ。 これは《暗記テスト》じゃなくて《思考テスト》なんだ

テトラ「思考……テスト? 思考すれば……きちんと考えれば、 あたしにも解くことができるということでしょうか」

「そういうことだよ」

テトラ「だったら、考えますっ! 要するに、 $$ \frac{g(x)}{f(x)} $$ を微分すればいいんですよね?」

テトラちゃんは、ノートを広げて考え始めた。

はしばらく待っていた。 テトラちゃんは少し計算をしていたけれど、 やがて手が止まった。 そして、の方をちらちらと見始める。

「うまくいかない?」

テトラ「はい……やっぱり、あたしには思考力はないようです」

「そんなこと言っちゃだめだよ。 そんなふうに自分のことを決めつけるものじゃないよね。 だって、テトラちゃん、何か計算をしてたじゃないか。 どんなふうに考えたの?」

テトラ「結論までは行かなかったんですが……」

「まあ、いいから言ってみてよ。何を考えたの?」

テトラ「はい……初めにあたしは、 分数になった関数の微分なんて知らないからわからない……と思いました。 でも、先輩が《暗記テスト》じゃなくて《思考テスト》 だとおっしゃいましたから、考えてみることにしました。 少しこわかったんですが」

「うんうん。それで?」

テトラ「あたしは《ポリヤの問いかけ》を思い出しました。 《与えられているものは何か》と考えて、 《関数 $f(x)$ と関数 $g(x)$ が与えられている》と思いました。 もちろん具体的な関数のカタチまではわかりませんけれど、 クイズでは $f(x)$ と $g(x)$ が与えられています」

「すばらしい! いいねえ……それから?」

テトラ「はい、ありがとうございます。 それから、《求めるものは何か》と考えました。 求めるものはもちろん、 $$ \frac{g(x)}{f(x)} $$ という関数を微分したもの……微分した関数です。 つまり、 $$ \left(\,\frac{g(x)}{f(x)}\,\right)' = \cdots $$ の先を求めるということです」

「その通りだね! もう少し進むことはできたかな?」

テトラ「ええと、もう少しだけ。 分数になった関数を微分する方法は覚えていませんが、 《そもそも、何をしたら答えたことになるのかしら》と考えました。 つまり、 $$ \left(\,\frac{g(x)}{f(x)}\,\right)' = \cdots $$ の右側にはどんな式が、どんな形で出てくるのかしら、 ということです」

「うんうん」

テトラ「でもそこであたしは、ドアに頭をぶつけたような気がしました。コツン、と。 それがわかれば苦労はない、と思ったからです。 けれど《ポリヤの問いかけ》はまだありました。《似た問題を知らないか》です。 もちろん、知ってます! あたしは掛け算の微分を知っています。ですから、 並べて書いてみました。あたしが知っている問題と、いま解くべき問題のことです」

(並べて書いてみる) $$ \begin{align*} \left(\,f(x)\cdot g(x)\,\right)' &= f'(x)\cdot g(x) + f(x)\cdot g'(x) \\ \left(\,\frac{g(x)}{f(x)}\,\right)' &= \cdots \\ \end{align*} $$

「……」

テトラ「あたしは《これって、似てるのかなあ?》と思って、 割り算を、逆数を使った掛け算と見なせばいい! と気づきました。つまり、 $$ \dfrac{g(x)}{f(x)} = \dfrac{1}{f(x)}\cdot g(x) $$ のように掛け算だと思えばいいんです。そうすれば、 あたしがよく知っている《積の微分》に当てはめることができます。 《積の微分》の公式で $f(x)$ になっているところを $\frac{1}{f(x)}$ にすればいいはずです。 ここで計算が少し進みました」

$$ \begin{align*} \left(\,f(x) \cdot g(x)\,\right)' &= f'(x)\cdot g(x) + f(x)\cdot g'(x) \\ &\REMTEXT{↓$f(x)$を逆数にして考える} \\ \left(\,\frac{1}{f(x)} \cdot g(x)\,\right)' &= \left(\frac{1}{f(x)}\right)' \cdot g(x) + \frac{1}{f(x)}\cdot g'(x) \\ \end{align*} $$

「すばらしいね!」

テトラ「ありがとうございます。 あたしも一瞬『できた!』と思ったんですが、ここまででした。ここがあたしの最前線です……」

《テトラの最前線》

$$ \left(\,\frac{g(x)}{f(x)}\,\right)' = \left(\frac{1}{f(x)}\right)' \cdot g(x) + \frac{1}{f(x)}\cdot g'(x) $$

「うーん……」

テトラ「だって、この式に出てくる、 $$ \left(\,\frac{1}{f(x)}\,\right)' $$ の部分、このままではまずいですよね。 $\frac{1}{f(x)}$ を微分した関数と、 もっと《お友達》になりたいのですが……」

「そうだね。関数 $f(x)$ の逆数で作った関数 $\frac{1}{f(x)}$ を微分したらどんな関数になるか、 そこまで話を進めないと」

テトラ「はい……ですよね。あたしはちょっとだけ、 $$ \left(\,\frac{1}{f(x)}\,\right)' = \frac{1}{f'(x)} \qquad \REMTEXT{(?)} $$ かなと思ったんですが、そんなに都合良くいくとは限りませんよね。 《ポリヤの問いかけ》もここで尽きてしまいました……」

《お友達》になりたい……

$$ \left(\,\frac{1}{f(x)}\,\right)' $$

「答えまではまだたどりついてないけど、 テトラちゃんはすごいよ!」

テトラ「え?」

「そのくらい整然と、しっかりと考えを進められるのはすごいことだと思うよ。 特に、自分の考えがどんなふうに移り変わっていったかを全部説明できるところがすばらしいね。 さすがテトラちゃんだなあ」

テトラ「せ、先輩……ほめすぎです。それに、 結局のところ、答えまでは行き着いていません。 あたしの思考は、 $$ \left(\frac{1}{f(x)}\right)' $$ って何かしら? というところでストップです。《関数 $f(x)$ の逆数》を微分できず、 《お友達》になれず終了……」

「《ポリヤの問いかけ》で大事なのが残っているよ」

テトラ「え?」

《定義にかえれ》だね」

テトラ「定義にかえれ……って、何の定義ですか?」

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(2017年9月29日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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