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第184回 シーズン19 エピソード4
バビロニアの数学(後編)

登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

ユーリのいとこの中学生。 のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだが飽きっぽい。

リサ:自在にプログラミングを行う無口な女子。赤い髪の《コンピュータ少女》。

$ \newcommand{\REMTEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\SQRT}[1]{\sqrt{\mathstrut #1}} $

双倉図書館にて

ユーリは双倉図書館(ならびくらとしょかん)で開催されているイベント《いにしえの数学》を見学中。

このイベントでは、さまざまな国の、古い時代の数学についてパネルが展示されている。

ユーリはバビロニアの数の表し方を学んだところ(第183回参照)。

バビロニアの記数法をそのまま使うと、 $3601$ と $61$ が紛らわしくなります。 そのため、アレクサンダー大王征服の時代までには、 空位を表す新しい記号が考案されました。

ただし、この記号は数字の末尾に使われることはありませんでした。

「なるほどね……ちゃんと対処されたんだ」

ユーリ「対処されてないじゃん! 数字の末尾に使われないんでしょ? だったら、やっぱり、 $1$ と $60$ は区別つかない!」

バビロニアの記数法、 $1$ と $60$

「確かに。 $1=1\times60^0$ と $60=1\times60^1+0\times60^0$ の区別が付かないな。 うーん、どうするんだろう」

ユーリ「パネルに解説ついてるみたい」

「なになに……『適切なスケールファクタ、 すなわち $60$ の冪指数は、文脈によって補うことになっており、 たとえば $2, 120, 7200, \frac1{30}$ などが、どれも同じ表記になっていた』そうだよ。 クヌース『The Art of Computer Programming Vol.2』より、と」

ユーリ「なにそれひどい! それで複雑な問題解けるの? 足し算とか掛け算とかめちゃくちゃになるじゃん!」

「いや、そうでもないんじゃないかな。二つの数を足すときには両方の桁が《そろっている》ことが大事だよね。 桁をずらして足しちゃまずいけど、そろっていれば大丈夫」

ユーリ「ちょっと待ってよー。だって、バビロニアだと $1$ と $60$ が同じなんだよ? だったら、 同じもの同士を足して $1+1=2$ と $60+60=120$ が同じなの?  $2$ と $120$ が同じ?」

「同じだね。さっきの解説にも書いてあった。 $2,120,7200,\frac1{30}$ は同じ表記だって」

ユーリ「む……そっか、 $2, 120, 7200, \frac1{30}$ ってゆーのは、 $60$ 倍や $60$ 分の $1$ を繰り返したってことか……」

「そうだね。ほら、僕たちだって似たようなことやるよ」

ユーリ「やんないよー」

「やるって。たとえば、 $3000$ と $4000$ を足すとき、 両方のスケールファクタが $1000$ で同じだから、 $3+4=7$ という計算をして $7000$ という答えを出すよね。 $3+4=7$ の計算をするときには $1000$ をいったん忘れていたわけだ。 両方のスケールファクタがそろっているなら、うまく計算できる。 もちろん最後に実際のスケールファクタを思い出さなくちゃいけないけどね」

ユーリ「掛け算も?」

「うん、そうだね。僕たちが $1.23 \times 4.5$ のような掛け算をするときのことを考えればわかるよ。 いったん小数点のことを忘れて筆算をして、 最後に正しい位置に小数点をつけるよね。 だから掛け算途中では、 $123\times45$ なのか、 $1.23\times4.5$ なのか、 $12.3\times0.45$ なのかは気にしてないはず」

いったん小数点のことを忘れて筆算する

あとから正しい位置に小数点をつける

ユーリ「むー……確かにそーだけど」

「そろそろ、次のパネルに行ってみよう」

ユーリ「あ、クイズっぽいよ」

クイズ

これはバビロニア人が計算で利用した数表の一部です。 いったい何の数表でしょうか。

「これは……」

ユーリ「またまた暗号解読!」

「まずは、僕たちの表記に直さないと」

ユーリ「まかせた」

「おいおい」

ユーリ「にゃるほど……わかったよん」

「早いな」

ユーリ「ユーリさまをナメないでよー。だって《$2$ と $30$》《$3$ と $20$》《$4$ と $15$》《$5$ と $12$》と見てきたら、 すぐにわかるもん。これって、《掛けたら $60$ になる数表》ってことでしょ?」

$$ \begin{align*} 2 \times 30 &= 60 \\ 3 \times 20 &= 60 \\ 4 \times 15 &= 60 \\ 5 \times 12 &= 60 \\ \end{align*} $$

「うーん……僕もそう思ったんだけど……」

ユーリ「ぜんぶそーなってるもん! 《$6$ と $10$》も掛けたら $60$ だし、 $8$ と……あれ? $730$ ?」

「いや、 $730$ じゃないよ。ほら、バビロニアは《六十進法》なんだから、上の位の $7$ は $60$ 倍しないと、 $(7,30)_{60} = 7 \times 60 + 30 = 450$ ということだね」

ユーリ「$450$ でもだめじゃん。《掛けたら $60$ になる数表》だと思ったのになー!  $8$ と $450$ 掛けても $60$ にならない……」

「掛けたらどうなるだろう」

$$ 8 \times 450 = 3600 $$

ユーリ「$3600$ ……って、 $60\times60$ だよね?」

「そうか、この数表は《掛けたら $60$ になる数表》じゃない。《掛けたら $60^n$ になる数表》なんだ!」

ユーリ「えー? じゃ、次の試してみる。 $9$ と $6,40$ でしょ。 $(6,40)_{60} = 6 \times 60 + 40 = 400$ になる。 それで、 $9\times400$ を計算すると……」

$$ 9 \times 400 = 3600 $$

「ほらね?  $3600=60^2$ になった。やっぱり $60^n$ になる」

ユーリ「へー! 表の残りにある組は、掛けると $60$ になるよ。《$10$ と $6$》と《$12$ と $5$》だから。 このクイズの答えは《掛けると $60$ や $3600$ になる数表》じゃないの? お兄ちゃんは $60^n$ だっていったけど、 結局 $60$ と $3600$ しかないじゃん? 一般化しすぎだよー」

「そうかな……」

ユーリ「でも、なんで《掛けると $60$ や $3600$ になる数表》がいるんだろ? 計算に使ったって書いてあるけど」

「わかった! わかったよ、ユーリ。僕たちはバビロニアの気持ちになってなかった。 ユーリがいったように $1$ と $60$ は同じ書き方なんだ。だから、なるほどなあ!」

ユーリ「どーどー。ひとりで興奮しないで」

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(2017年2月3日)

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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