この記事は『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』として書籍化されています。
登場人物紹介
僕:数学が好きな高校生。
テトラちゃん:僕の後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。
ミルカさん:数学が好きな高校生。僕のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。
僕とテトラちゃんは《コインを $10$ 回投げるときに表が出る回数》について計算していた。
僕「電卓を使えば、もっと正確に求められるけどね。ともかく $\sigma = \sqrt{2.5}$ はわかった」
解答(1)(2)
コインを $10$ 回投げたとする。
(1)このとき、表が出る回数の平均 $\mu$ は、
$$ \mu = 5 $$ である。
(2)また、このとき、表が出る回数の標準偏差 $\sigma$ は、 $$ \sigma = \sqrt{2.5} $$ である。
$$ 1.5 < \sigma < 1.6 $$
テトラ「求まりました……」
僕「けっこう大変だったね。でも $10$ 回だったら、手計算でも定義からいけるんだね」
テトラ「もっと多かったら電卓かコンピュータが必要です」
僕「いや、定義から求めるのはそうだけど、もっと一般化しておけば……」
ミルカ「何を一般化?」
テトラ「あ、ミルカさん! 今日は《コインを $10$ 回投げたら、表が何回出るか》という問題を考えていたんです」
ミルカ「$0$ 回以上、 $10$ 回以下」
僕「うん、さっき、そういう話をしてたんだ」
僕がそう言うと、ミルカさんは少しむっとした顔をする。
テトラ「そこから、平均 $\mu$ と分散 $\sigma^2$ を計算していたんです。 $10$ 回までなら実際に手計算でもできるんですね」
ミルカ「手計算? 暗算ではなく?」
僕「暗算って?」
ミルカ「フェアなコインを $n$ 回投げたときに表が出る回数の期待値は $\frac{n}{2}$ だろう? 回数を $2$ で割ればいい」
僕「もちろん、二項分布の公式を使えばそうだけど、 具体的に計算した場合の話だよ、手計算というのは」
ミルカ「どんな計算?」
ミルカさんはそう言って僕とテトラちゃんの書いたノートをのぞきこむ。
僕「こんな計算」
ミルカ「ふうん……」
僕「パスカルの三角形を思い出せば、 $2$ の冪乗に帰着できる」
ミルカ「《和の期待値は、期待値の和》を使わない理由は何?」
僕「和の期待値は……」
テトラ「き、期待値の和?」
ミルカ「そう。コインを $1$ 回投げるとき表が出る回数の期待値は $\frac12$ だ。 $10$ 回投げるなら《和の期待値》を求めたいわけだから、 期待値をすべて加えて《期待値の和》を計算すればいい。 つまり、 $$ \underbrace{\frac12 + \frac12 + \cdots + \frac12}_{\REMTEXT{$10$個}} = \frac{10}{2} = 5 $$ になる。何も難しくない。期待値の線型性」
テトラ「……簡単ですね」
僕「あれ……それでいいの?」
ミルカ「説明を簡略化したが、正しい。 《確率変数の和》の期待値を求めたいとき、 《確率変数の期待値》を求めて和を取る」
テトラ「確率変数って何ですか」
ミルカ「いま《コインを投げる》ときに《コインが表になる回数》が話題になっていた。 《コインを投げる》のような行為のことを試行と呼ぶ。 そして、試行が行われたときに起きるできごとのことをイベントと呼ぶ」
僕「イベント……事象のことだね」
ミルカ「試行が行われたときに値が定まる変数のことを確率変数という。 より正確には、確率変数とは《イベント全体の集合から実数への関数》だ」
テトラ「確率変数は、変数なのに関数なのですか……ややこしいですね」
ミルカ「コインを $1$ 枚だけ投げるという試行を考えよう。 $1$ 枚のコイン投げの場合、 《表が出る》というイベントと、《裏が出る》というイベントの二つがある。 《表が出る回数》という確率変数を $X$ とすると、 $$ \left\{\begin{array}{llll} X(\REMTEXT{表}) & = 1 \\ X(\REMTEXT{裏}) & = 0 \\ \end{array}\right. $$ ということになる」
テトラ「はい、わかります」
ミルカ「そして、確率変数が取る平均的な値のことを期待値という」
テトラ「それは、確率変数……の値がいくらになると期待できるか、という意味ですよね?」
ミルカ「そう考えていい」
テトラ「それは、具体的な値に、確率の重みを付けて加えればいいんですよね」
ミルカ「そうなる。 確率変数 $X$ が $0$ になる確率を $P_0$ と書き、 $X$ が $1$ になる確率を $P_1$ と書くことにする。 このとき、確率変数 $X$ の期待値 $E(X)$ は次のようにして計算できる」
$$ \begin{align*} E(X) &= 0P_0 + 1P_1 && \REMTEXT{確率変数の値に確率の重みを付けて総和を取る} \\ &= 0\cdot\frac12 + 1\cdot\frac12 && \REMTEXT{$P_0 = P_1 = \frac12$だから} \\ &= \frac12 \end{align*} $$ミルカ「もしも、表が出る確率を $p$ とすれば、 裏が出る確率は $1-p$ なので、期待値はこうなる」
$$ \begin{align*} E(X) &= 0P_0 + 1P_1 \\ &= 0(1-p) + 1p && \REMTEXT{$P_0 = 1-p, P_1 = p$だから} \\ &= p \end{align*} $$僕「まあ、当然というか、当たり前だよね。でも、さっきの話なんだけど、 $1$ 回目に表が出る回数を表す確率変数と、 $2$ 回目に表が出る回数を表す確率変数と、 $3$ 回目……を加えていいのかな。 期待値の線型性は知っているけど、それぞれ、別の試行だよね」
ミルカ「それは確率空間をどうするかによる。 ふむ……ともかく、ここまででコインを $1$ 回投げることを考えた。 コインを $10$ 回投げることはどう考えるか。 一つのイベントがこんな形をしていると考えるのがいい。 $$ \langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,0 \rangle $$ 裏を $0$ とし、表を $1$ で表して、それを $10$ 個並べた。 $1$ 回目から $10$ 回目までの表裏をまとめて一つのイベントとして考える」
僕「つまり $\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,0 \rangle$ というのは、コインが、 $$ \REMTEXT{裏、表、表、裏、裏、表、表、表、裏、裏} $$ の順番で出たという場合のこと? 試行をまとめるんだ」
ミルカ「というか、 $10$ 回投げることを一つの試行と考える。 すると、イベント全体の集合 $\Omega$ は、こんな形になる」
$$ \begin{align*} \Omega & = \{ \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,0 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,1 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,0 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,1 \rangle, \\ & \qquad \langle 0,0,0,0,0,0,0,1,0,0 \rangle, \\ & \qquad \quad \vdots \\ & \qquad \langle 1,1,1,1,1,1,1,1,1,1 \rangle \\ & \} \\ \end{align*} $$テトラ「……」
ミルカ「テトラは話についてきている?」
テトラ「はい、大丈夫です。ぜんぶで $2^{10}$ 個のeventがあるということですね」
ミルカ「それでいい」
僕「ここから何が起きるんだろう?」
ミルカ「君が計算しようとしていたのは、 《表が出る回数》という確率変数の期待値だった(第127回参照)。 その確率変数を $X$ として、列挙するなら、 $$ \begin{align*} X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,0 \rangle) &= 0 \\ X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,0,1 \rangle) &= 1 \\ X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,0 \rangle) &= 1 \\ X(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,1,1 \rangle) &= 2 \\ &\vdots \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,0 \rangle) &= 5 \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,0,1 \rangle) &= 6 \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,1,0 \rangle) &= 6 \\ X(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,1,1 \rangle) &= 7 \\ &\vdots \\ X(\langle 1,1,1,1,1,1,1,1,1,1 \rangle) &= 10 \\ \end{align*} $$ のようになる。各イベントの $1$ の個数を加えている。そうだろう?」
僕「言われてみればそうだね。そして、 $X$ の期待値 $E(X)$ を求める……」
ミルカ「そう、君は期待値の定義から直接求めた。 $k$ に《$X = k$ となる確率》に掛けて、 $k = 0,1,\ldots,10$ の総和を求めたことになる。二項定理を駆使して。 ユーリなら『お兄ちゃんは、数式マニアだからにゃ!』と言うところだ」
僕「いや、ユーリのものまねなんてしなくていいから。期待値の定義を使った僕の解答は正しいんだよね」
ミルカ「もちろん、正しい。期待値の定義通り」
$$ E(X) = \sum_{k=0}^{10} kP_k $$僕「でも、ミルカさんがやったことは違う?」
ミルカ「違う。同じ $\Omega$ に対して、 確率変数 $X_j$ を考える。 $X_j$ は、 コイン投げ $j$ 回目で表が出たら $1$ で、 裏が出たら $0$ になる確率変数だ」
$$ \begin{align*} X_1 &= \REMTEXT{《コイン投げ$1$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ X_2 &= \REMTEXT{《コイン投げ$2$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ X_3 &= \REMTEXT{《コイン投げ$3$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ &\vdots \\ X_{10} &= \REMTEXT{《コイン投げ$10$回目で表が出たら$1$、裏が出たら$0$》} \\ \end{align*} $$テトラ「え、えっと……」
ミルカ「たとえば、 $X_9$ を具体的に書くとこうだ」
$$ \begin{align*} X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline0,0 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline0,1 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline1,0 \rangle) &= 1 \\ X_9(\langle 0,0,0,0,0,0,0,0,\underline1,1 \rangle) &= 1 \\ &\vdots \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline0,0 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline0,1 \rangle) &= 0 \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline1,0 \rangle) &= 1 \\ X_9(\langle 0,1,1,0,0,1,1,1,\underline1,1 \rangle) &= 1 \\ &\vdots \\ X_9(\langle 1,1,1,1,1,1,1,1,\underline1,1 \rangle) &= 1 \\ \end{align*} $$テトラ「あ、そういうことですね。わかりました」
ミルカ「ここから、明らかに次の式が成り立つことがわかる」
$$ X = X_1 + X_2 + \cdots + X_{10} $$僕「なるほど、それはそうだね。 確率変数 $X$ は《表の個数》だから、 $j$ 枚目が表が出るかどうかを表した $X_j$ をすべて加えたものになるのか」
ミルカ「あとは期待値の線型性から《和の期待値は、期待値の和》を使えばいい」
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結城浩のメンバーシップで参加 結城浩のpixivFANBOXで参加(2015年8月21日)
この記事は『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』として書籍化されています。
書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。
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