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第119回 シーズン12 エピソード9
イチからゼロを通り越し(前編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』として書籍化されています。

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登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

ユーリのいとこの中学生。のことを《お兄ちゃん》と呼ぶ。 論理的な話は好きだけれど飽きっぽい。

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僕の部屋

「……そんな話をしてたんだよ」

ユーリ「何それ! 信じらんない! 何でそんな楽しそーなのにユーリ呼んでくんなかったのー?」

は先日のリサの発表と、ミルカさんたちとの話をユーリに聞かせていた。

行列を使って座標平面上の点を移動させようという話のことだ(第117回参照)(第118回参照)。

「ユーリは《乙女には大事な大事な予定がある》って言ってたじゃないか」

ユーリ「言ってたっけ。うー、失敗したにゃあ。 ……でも、行列って、いろんなことできるんだね」

「そうだね。行列を使って《ひしゃげ》させることができる。 正方形のマス目が全部、平行四辺形になるよね。 それから、逆行列を持たない行列だったら、全体を《つぶす》こともできる。 平行四辺形じゃなくて、もう線分になってしまう。座標平面全体が一直線につぶされる」

行列 $\left(\begin{array}{cc} 2 & 1 \\ 1 & 3 \end{array} \right)$ による変換後のマス目

行列 $\left(\begin{array}{cc} 2 & 2 \\ 1 & 1 \end{array} \right)$ による変換後のマス目

ユーリ「ちょっと待って、いま変なこと言ったね」

「え? 言ってないよ。 逆行列を持つ行列で変換すれば正方形のマス目は平行四辺形になるし、 逆行列を持たない行列で変換すれば座標平面全体は一つの直線になるよ。 あ、逆行列を持たないといっても、零行列のときは一つの点になっちゃうけど」

ユーリ「逆行列を持つかどーかで形が変わるってこと?」

「まあ、そうなるね。……ユーリは何を気にしているの?」

ユーリ「あのね、逆行列って逆数みたいなもんじゃん?  $A$ の逆行列って、 $\frac{1}{A}$ だし」

「前もいったけど、逆行列は $\frac{1}{A}$ じゃなくて $A^{-1}$ と書くんだよ」

ユーリ「はいはい。で、 $A$ の逆行列の $A^{-1}$ っていうのは、 掛けるとイチみたいな……単位行列 $I$ になる行列」

$$ AA^{-1} = I $$

「そうだね。それから $A^{-1}A = I$ でもある」

ユーリ「逆行列があるって、 $ad - bc$ が $0$ じゃないってことでしょ?」

「そうだよ。 行列 $A = \left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ が逆行列を持つというのは、 $ad - bc \neq 0$ であることと同値だね。よく覚えているなあ、ユーリ」

ユーリ「だってこないだ、いっしょに計算したじゃん。 それに、

  • 数 $a$ の逆数は、 $a \neq 0$ のときだけ存在する($\frac{1}{a}$ と書く)
  • 行列 $A$ の逆行列は、 $ad - bc \neq 0$ のときだけ存在する($A^{-1}$ と書く)
なんでしょ。数に似ているけど、数とは違う行列!」

「いやいや、なかなかえらいな、ユーリ」

ユーリ「不思議なのはね、 $ad - bc \neq 0$ のときには平行四辺形に変換して、 $ad - bc = 0$ のときには一直線に変換っていうところ」

「ああ、それ、テトラちゃんも不思議に思っていたけど、 話は簡単だよ。 $ad - bc = 0$ のときには複数の点が一点に移されるから、 戻せないんだ。だから、逆行列が存在しないこととぴったり合う」

ユーリ「うーん……ユーリは違うこと考えてんだけどにゃあ……」

「何を考えてんだろうにゃあ……」

ユーリ「真似するなー!」

「だってね、僕たちはテレパシーを使えるわけじゃないんだから、 ちゃんと言葉や数式にして表現しなくちゃわからないんだよ。 自分の頭の中だけで考えて《私のこと、わかって!》なんて図々しい話だよね」

ユーリ「え、お兄ちゃん、テレパシー使えないの?」

「ユーリは使えるの?!」

ユーリ「だって、ユーリが考えていること、 よくお兄ちゃんに当てられるから。 まるでテレパシー! って思うときある」

「そんな能力あったら苦労しないよ。ちゃんと言葉や数式にしないと」

ユーリ「そこで数式が出てくんのがお兄ちゃんだよね。 えーと、 $ad - bc \neq 0$ なら平行四辺形になって、 $ad - bc = 0$ なら一直線か一点」

「そうだね。行列はそういう変換を引き起こす」

ユーリ「《$0$ かどうか》ってゼロイチじゃん? 成り立つかどーかだよね」

「なぜそんなややこしい言い方をする。でもそうだよ。 $ad - bc$ は $0$ か $0$ 以外か」

ユーリ「でもね、 $ad - bc$ が $0$ になった瞬間にいきなり一直線につぶれるわけないじゃん! ……って思ったの。 大きな平行四辺形がぺしゃんとなるわけじゃない」

「ほほう?」

ユーリ「もしかしてね、 $ad - bc$ がすごく小さくて $0.000001$ だったら、 すごく小さい平行四辺形になるんじゃないかなって」

「うんうん。すごく小さいというよりもすごく《ひしゃげた》平行四辺形だね」

ユーリ「そんで、 $ad - bc$ が小さくなって小さくなって $0$ になったら、 平行四辺形はやっと一直線につぶれるんだろうなって」

「ユーリ、それはすごい発想だな!」

ユーリ「へへー、もっとほめて」

「このくらいで」

ユーリ「がく」

「でも、ユーリの気持ちはわかる」

ユーリ「テレパシー使わなくても」

「言葉を使ったからね。 ユーリがいうのは、《$ad - bc$ という式の値は、平行四辺形の形に関係している》ということだよね。 $ad - bc$ が $0$ に近づいていくと、平行四辺形はつぶれていくと」

ユーリ「そー!」

「それは正しいよ。だって、行列式は平行四辺形の面積になるんだからね」

ユーリ「行列式って $ad - bc$ のことだっけ。え? $ad - bc$ が面積になるの?」

「そうだね。もう少しちゃんというなら、こうかな」

行列式は平行四辺形の面積

$a,b,c,d$ は実数とする。

$ad - bc > 0$ のとき、 行列 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ は、 四点 $(0,0),(1,0),(1,1),(0,1)$ で作られる正方形を平行四辺形に変換する。

その面積を $S$ とすると、

$$ S = ad - bc $$

となる。

ユーリ「なるほどー……と言いたいけど、ほんとにそーなるの?」

「そうなるの、と聞くんだね。じゃあ、いっしょに確かめてみようよ」

問題(平行四辺形の面積)

$a,b,c,d$ は実数とする。

$ad - bc > 0$ のとき、 行列 $\left(\begin{array}{cc} a & b \\ c & d \end{array} \right)$ は、四点 $(0,0),(1,0),(1,1),(0,1)$ で作られる正方形を平行四辺形に変換する。 この平行四辺形の面積 $S$ を求めよ。

「まず、平行四辺形の面積からだけど」

ユーリ「ちょっと待ってよ。ユーリ、一人で計算してみる」

「おお、すばらしいな。ではどうぞ」

(あなたも、考えてみましょう!)

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(2015年5月29日)

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この記事は『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』として書籍化されています。

書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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