この記事は『数学ガールの秘密ノート/ベクトルの真実』として書籍化されています。
僕とユーリはベクトルの内積について話し合っていた(第55回参照)。 ユーリはようやくベクトルの内積の定義を理解したけれど……
僕「うん。ユーリの理解はそれで正しいよ。 二つのベクトル $\vec a$ と $\vec b$ から作られる二つの数、 $|\vec a|$ と $|\vec b|\cos \theta$ を掛け算した結果、 それこそがベクトル $\vec a$ と $\vec b$ の内積 $\vec a \cdot \vec b$ なんだ」
内積 $\vec a \cdot \vec b$ は自分の大きさ $|\vec a|$ と相手の影 $|\vec b|\cos \theta$ との積
ユーリ「……!」
僕「根気よく、読み解いたね、ユーリ!」
ユーリ「……」
僕「どうした?」
ユーリ「お兄ちゃん……《自分の大きさ》と《相手の影》の掛け算は、確かに掛け算だけど、 でも、何でこんな掛け算がベクトルの掛け算なの? やっぱ、わけわかんない」
僕「いや、よくわかってきてるよ、ユーリ。 ベクトルの内積の姿が見えてきたから、そういう疑問が出てくるんだ。 どうしてこの内積が《掛け算っぽいのか》という理由をいっしょに考えてみようか。いいかい?」
ユーリ「うんっ!」
僕「二つのベクトル $\vec a$ と $\vec b$ の内積は $\vec a \cdot \vec b = |\vec a||\vec b|\cos \theta$ で定義されている」
ユーリ「うん」
僕「ベクトルの内積 $\vec a \cdot \vec b$ はテン($\cdot$)を使っていかにも掛け算っぽく書いているよね」
ユーリ「うん、そーだね」
僕「こういう書き方がほんとうにふさわしいかどうかを考えてみよう」
ユーリ「掛け算っぽくなってるか、確かめるんでしょ?」
僕「そうそう。じゃ、クイズだよ。掛け算っぽいってどういうことだと思う?」
ユーリ「足し算より大きくなるとか?」
僕「え? そうとは限らないよね。掛け算の結果が小さくなることだってある。 $100$ に $0.1$ を足したら $100.1$ だけど、 $100$ に $0.1$ を掛けたら $10$ になるから足し算より掛け算の方が小さくなるよね」
ユーリ「あ、そか。うーん……難しいね」
僕「改めて考えると難しいよね。こんなふうに考えようか。 数の掛け算で成り立つ法則が、ベクトルの内積でも同じように成り立つかな……ってね」
ユーリ「ほうそく?」
僕「たとえば、掛け算では交換法則が成り立つよね。掛け算の前後を交換……入れ換えても結果は変わらない。 どんな数 $a,b$ に対しても、 $a \times b = b \times a$ になる」
ユーリ「ほほー」
僕「そして、ベクトルの内積でも交換法則は成り立っている。 $\vec a \cdot \vec b = \vec b \cdot \vec a$ が成り立つから」
ユーリ「なんで?」
僕「なんで交換法則が成り立つか? そういうときは《定義に戻って考える》ようにしよう。そうすれば、すぐわかるよ。一行で証明できる」
ベクトルの内積では交換法則が成り立つ
$$ \begin{align*} \vec a \cdot \vec b &= |\vec a||\vec b|\cos \theta \qquad \REMTEXT{内積の定義から} \\ &= |\vec a| \times |\vec b| \times \cos \theta \qquad \REMTEXT{掛け算の記号をわざと書いた} \\ &= |\vec b| \times |\vec a| \times \cos \theta \qquad \REMTEXT{はじめの二数を交換した} \\ &= |\vec b||\vec a|\cos \theta \qquad \REMTEXT{掛け算の記号を省略した}\\ &= \vec b \cdot \vec a \qquad \REMTEXT{内積の定義から} \\ \end{align*} $$
ユーリ「一行じゃないじゃん」
僕「あ……まあね。定義から $|\vec a|$ と $|\vec b|$ と $\cos \theta$ の掛け算になって、 掛け算の交換法則を使って $|\vec a|$ と $|\vec b|$ の掛け算の順序を交換するという証明だね。 数の積の交換法則をもとにして、ベクトルの内積の交換法則を証明したわけだ」
ユーリ「ふーん……あれ?」
僕「何かおかしい? 積の交換法則はいいよね」
ユーリ「うん。それはいーんだけど。 $\theta$(シータ)って……」
僕「おいおい、 $\theta$ は二つのベクトル $\vec a$ と $\vec b$ のなす角じゃないか。どうしたユーリ」
ユーリ「それも交換してるよね?」
僕「おっと、チェック細かいな! まあ、そうだね。ベクトル $\vec a$ と $\vec b$ のなす角は $\vec b$ と $\vec a$ のなす角に等しい。やるなユーリ」
ユーリ「ふふん。ユーリの名前はダテじゃないよん」
僕「いや、ちょっと意味わかんないけど」
ユーリ「そんで、ベクトルの内積は交換法則が成り立つから、掛け算っぽいってゆー話なんでしょ?」
僕「そうだね。まずは」
ユーリ「でもさー、交換法則は掛け算だけじゃなくて足し算でも成り立つよ。 $a + b = b + a$ だもん」
僕「そうだね。交換法則の他に掛け算で成り立つ法則はあるかな?」
ユーリ「うーんと……名前忘れたけど《くくる》法則があったよね」
僕「そうそう。よく思い出したね。分配法則だ」
ユーリ「ぶんぱいほうそく……」
僕「そう。数の世界だと $a \times (b + c) = a \times b + a \times c$ のような計算ができるよね。 ベクトルの内積も同じように計算できる」
ユーリ「えー……どーゆー感じになるの?」
僕「掛け算をベクトルの内積にして、足し算はベクトルの和にすればいいんだよ。式の形を並べてみるとよくわかる」
分配法則(数とベクトルの比較)
ユーリ「お兄ちゃん、それって……数とベクトルの式が、おんなじ形になるってこと?」
僕「そうそう。数をベクトルに置き換えて、数の積をベクトルの内積に置き換えて、数の和をベクトルの和に置き換える。 そうすると、数の分配法則の式がそのままベクトルでも成り立つ。美しいな!」
ユーリ「お兄ちゃん、おめめキラキラしてるよ」
僕「一つの世界で成り立っている数式が別の世界でも成り立つっていうのは、とてもきれいだと思うんだ」
ユーリ「さすが数式マニア」
僕「マニアじゃないよ……さっきの交換法則は和でも積でも成り立つけれど、 この分配法則になると内積は確かに積って感じがするよね」
ユーリ「ふんふん。ねー、他にもナントカ法則はあるの?」
僕「あるよ。掛け算の順序を変えてもいいという結合法則だね」
ユーリ「けつごーほーそく?」
僕「うん、数の積の結合法則は $a \times (b \times c) = (a \times b) \times c$ という奴だ」
ユーリ「にゃるほど。それも数の積をベクトルの内積に置き換えればいーんだね。こんな感じ?」
$$ \vec a \cdot (\vec b \cdot \vec c) = (\vec a \cdot \vec b) \cdot \vec c \quad \REMTEXT{?} $$
僕「おっと。いや、惜しいけれど、そうはならないんだよ」
ユーリ「え、なんで? 置き換えたらこーなるよ?」
僕「いやいや。ほらさっきも言ったけど、 二つのベクトルの内積の計算結果はベクトルじゃなくて数になるんだ(第55回参照)」
ユーリ「?」
僕「二つの数の積は数になる。 それに対して二つのベクトルの内積はベクトルにならない。 だから、ベクトルの結合法則は簡単な置き換えではすまないんだよ」
ユーリ「そんじゃ、どーなるの?」
僕「ベクトルの内積の結合法則はこうだよ」
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この記事は『数学ガールの秘密ノート/ベクトルの真実』として書籍化されています。
書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。
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