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第43回 シーズン5 エピソード3
ありえない速度(前編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』として書籍化されています。

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の部屋

ユーリ「お兄ちゃん、ビブンって何?」

「え?」

従妹いとこユーリは中学生、 しょっちゅうの部屋にいりびたっている。 今日はいきなり質問だ。

ユーリ「だから、ビブンって何?」

「微分がどうかしたの?」

ユーリ「いーから、ビブンをちゃちゃっと教えてよ!」

「え……でも、中学生で微分の宿題は出ないんじゃないかな。どういう問題?」

ユーリ「宿題なんて、かんけーないの。問題もないの」

「だったら……ははーん」

ユーリ「なに?」

「わかった。またあれか、ユーリの友達と何か競ってるんだね」

ユーリには数学好きの友達がいて、 よく問題を解き合ったりしているらしい。

ユーリ「そーゆーセンサクはいいから、早く微分のこと、教えてよ。一言でいって、微分って何なの?

「一言で微分を説明するのは無理だよ、ユーリ」

ユーリ「いーや、お兄ちゃんならできるね。きみは自分の能力にまだ気づいてないだけだ」

「何その経験豊かな指導者口調」

ユーリ「てっとり早く微分について教えてくれればいいの!」

「そうだなあ……強いて一言でいうなら《瞬間の変化率》だよ」

ユーリ「しゅんかんのへんかりつ……お兄ちゃん、ありがと、やっぱり説明はいいや」

「ちょちょ! ちょっと待った」

わざとらしく帰るそぶりを見せるユーリは引き留める。

ユーリ「瞬間の変化率とか言われてもわかんないよ」

「ユーリ、いいかい。それはね《一言でいって》とか《てっとり早く》みたいに先を急ぐからだよ」

ユーリ「?」

「微分は高校の数学で習う話だけど、決して難しくはないよ。 ただ、何も知らないところからパッと聞いてパッとわかる話でもない。 きちんと順序よく聞けば、ユーリならきっとわかると思う。 説明しようか?」

ユーリ「高校の数学で習う話が難しくないの? ほんとに?」

「ほんとほんと。厳密に話すといろいろ難しくなるけど、 微分がおおよそどういうものかはユーリにもちゃんとわかるはずだよ。 お兄ちゃんの説明を聞いた後はきっと『なーんだ、それだけのことなの?』と言うと思うな」

ユーリ「ユーリがそんな生意気なこと言うわけないじゃん。んじゃ順序立てて教えたまえ」

「……」

動点 $P$ の位置

「じゃあ、微分のことを順序立てて説明するよ」

ユーリ「うん!」

「さっきお兄ちゃんは微分のことを《瞬間の変化率》っていった。 だから、《変化するもの》を例に使って説明することにしよう」

ユーリ「変化するもの?」

「たとえば、直線があって、その上を一つの点が動くとしよう」

ユーリ「点?」

「そう。 まあ動く自動車だと考えてもいいし、 歩いている人だと考えてもいいし、 アリだと考えてもいい。 でも話を単純にしたいから一つの点を考えることにする」

ユーリ「ふんふん」

「その点に $P$ という名前をつけて、動点どうてん $P$ と呼ぶことにする」

ユーリ「なんで?」

「いや、なんで……といわれてもなあ。 名前がないと説明するのに不便だからね。 動く点だから動点。 点のことを英語でポイント(point)っていうから、 動点 $P$ と名前をつけただけだよ」

ユーリ「ふーん、まあいいや。そんで?」

「動点 $P$ は直線の上を動きまわるとする」

ユーリ「ふんふん」

「動点 $P$ は直線の上を動きまわるんだけど、 直線の上に何にも印がなかったら位置がよくわからないから、 こんなふうに $\ldots, -3, -2, -1, 0, +1, +2, +3, \ldots$ のように目盛りが刻まれているとしよう。 数直線だね」

ユーリ「ふんふん。いいよん」

「これで動点 $P$ の位置を表すことができるようになった。 動点 $P$ が《$+1$ の位置にある》とか、動点 $P$ が《$-2.5$ の位置にある》とかいえる。 いまは《$+1$ の位置にある》よね」

ユーリ「ふんふん、そうだね」

「ついでだから軸にも名前をつけておこう。位置のことは英語でポジション(position)というから、 $p$ という名前をつけておく」

ユーリ「ピー」

「そうだね」

ユーリ「お兄ちゃん、名前つけんの好きだね」

「説明しやすくなるからね」

ユーリ「それで、こっから何が始まるの?」

「実際には、《$0$ から右に $1$ センチメートルの位置》とか、 《$0$ から左に $2.5$ センチメートルの位置》みたいに単位をつけるのが普通だけど、 いまはセンチメートルみたいな単位は省略して考える。 数直線上の数を使って動点 $P$ がある位置を表すというルールにしよう」

ユーリ「はいはい、大丈夫ですよセンセー」

「じゃ、ここでユーリにクイズだよ」

ユーリ「え?」

「この動点 $P$ が動いたとしたら、それは、動点 $P$ の何が変化したことになるかな」

クイズ

動点 $P$ が動いたら、動点 $P$ の何が変化したことになるか。

ユーリ「え……意味わかんない」

「わからない?」

ユーリ「何が変化したことになるか、ってどういう意味? 何を聞かれてるかがわかんない」

「そう? 動点 $P$ が動くようすは想像できるよね」

ユーリ「できるよ、もちろん」

「そのときに変化しているものがあります。それは何ですか、と聞いてるんだ」

ユーリ「変化しているものって……動点 $P$ がある場所じゃん。動いてるんだから」

「ぶぶー、違います。動点 $P$ の《場所》ではなくて《位置》です。 変化しているのは動点 $P$ の位置だよ、ユーリ」

クイズの答え

動点 $P$ が動いたら、動点 $P$ の位置が変化したことになる。

ユーリ「えー、なにそれー。場所でも位置でもおんなじじゃん!」

「あのね、ユーリ。いまのクイズは、ユーリがお兄ちゃんの説明を注意して聞いていたかどうかを確かめたんだよ」

ユーリ「どゆこと?」

「普通の生活で言葉を使うとき、場所でも位置でもたいして意味は変わらない。 ユーリのいう通り、場所でも位置でも同じことだ。 でも数学の説明をしているときは、ひとつひとつの言葉を注意深く扱う習慣をつけたほうがいい」

ユーリ「えー。どっちでもいーじゃん」

「どっちでもいいように聞こえるかもしれないけど、大切なことなんだよ。 微妙な話をしているときに、一つ一つの言葉をあいまいに使っているとすぐにわけがわからなくなるから」

ユーリ「……うーん、わかったよ」

「もちろん、説明している人が『場所も位置も同じものとして考える』みたいに言ったなら、 同じものとして考えていいんだよ。いまお兄ちゃんが言っているのは、 一つ一つの言葉に注意しなくちゃいけないよってこと」

ユーリ「わかった」

「ここまでで動点 $P$ とその位置の話が終わり。次は時間だ」

時間

「位置を表すのに数直線で考えたのと同じように、時間も数直線で考えることにする。 つまり、ある特定の時刻を $0$ と決めて、過去をマイナス、未来をプラスとして考える」

「秒とか分のような単位はここでも省略する……ユーリ、どうした?」

ユーリ「え、なにが?」

「なんだか『納得いかない』って顔をしているから。難しい話はまだしてないと思うんだけど」

ユーリ「んーとね、何で未来がプラス?」

「え?」

ユーリ「お兄ちゃん、いま言ったじゃん! 過去をマイナス、未来をプラスにするって。それは何で?」

「ああ……いや、どちらがどちらでもかまわないけれど、普通はそうするね」

ユーリ「なんで?」

「そうだなあ……たぶん、時間が流れるようすを想像したときに、未来に行くほど増えていく感じがするからだと思う」

ユーリ「ふーん」

「過去と未来、どちらをプラスにしても、数学では困らないよ。でもどちらかに決めておかないと混乱しちゃうから、 プラスの向きはこっち! とはっきりさせておくことは大事だね」

ユーリ「わかった」

変化

「でと。時間が過ぎていくのに合わせて、動点 $P$ の場所は変化するよね」

ユーリ「しない」

「え?」

ユーリ「動点 $P$ の場所じゃなくて位置が変化するんでしょ!」

「あ、そうだった。ごめんごめん」

ユーリ「いまの、ユーリを試したね?」

「いやいや、言いまちがい」

ユーリ「ほんと? わざとじゃない?」

「ちがうちがう。ほんとにまちがっただけ。でと……時間が過ぎていくのに合わせて、動点 $P$ の位置は変化するよね」

ユーリ「うん」

「たとえば、そうだなあ……ある時刻で動点 $P$ が $+1$ の位置にあって、しばらくしたら動点 $P$ が $+4$ の位置にあったとする」

ユーリ「右に $3$ だけ動いたんだ」

「そうだね。そのときの位置の変化は $+3$ になる。どうやって計算したか、言える?」

ユーリ「引き算」

「そうだね。変化の位置から、変化の位置を引いた。 $+4$ から $+1$ を引いて $+3$ を得た。これが《位置の変化》だ」

$$ \begin{align*} \REMTEXT{位置の変化} & = \REMTEXT{変化後の位置} - \REMTEXT{変化前の位置} \\ & = (+4) - (+1) \\ & = +3 \\ \end{align*} $$

位置の変化

$$ \REMTEXT{位置の変化} = \REMTEXT{変化後の位置} - \REMTEXT{変化前の位置} $$

ユーリ「後から前を引くんでしょ」

「そう、そこがとても重要」

ユーリ「ねー、お兄ちゃん。ぜんぜん難しくないんだけど」

「いいことだな」

ユーリ「いいんだけど、さっきから $4$ じゃなくて $+4$ みたいにプラスつけてるのはどーして? なんか深い意味あんの?」

「あまりないよ。ただ、符号を強調して話したいだけ」

ユーリ「ならいいけど」

「じゃあね、今度はある時刻で動点 $P$ が $+4$ の位置にあって、しばらくしたら動点 $P$ が $+1$ の位置にあったとする」

ユーリ「左に $3$ だけ戻ったんだね」

「そうだね。このときの《位置の変化》は?」

ユーリ「えーと、マイナス $3$ かにゃ?」

「うん、それでいい」

$$ \begin{align*} \REMTEXT{位置の変化} & = \REMTEXT{変化後の位置} - \REMTEXT{変化前の位置} \\ & = (+1) - (+4) \\ & = -3 \\ \end{align*} $$

ユーリ「簡単簡単」

「ここで大事なのはね、右に動こうが、左に動こうが関係なく、 《位置の変化》はいつでも《変化後の位置》から《変化前の位置》を引いたものだということ」

ユーリ「ふんふん」

「右に動いたか左に動いたかどうかは、《位置の変化》がプラスになったかマイナスになったかで表しているわけだ」

ユーリ「ん、大丈夫だよん。 お兄ちゃんが何でそんなに当たり前のことに力を入れてしゃべってるかはわかんないけど、 言ってることはわかるよん」

「いやいや、《位置の変化》というときには向きも含めて考えてるんだよ、 と言いたいだけ」

ユーリ「だからそれが当たり前に聞こえるんだけどにゃあ……まーいーや。そんで、次は何?」

「次はいよいよ、速度の話だよ」

速度

ユーリ「そくど?」

「そう。動きが速いか遅いかを考えようというんだよ。 ただし向きも考える。 さっきは、動点 $P$ の位置が変化するとき、どれだけ時間がかかったかは何もいわなかった。 今度はどれだけ時間がかかったかも考える」

ユーリ「ほー」

「ユーリは速度って知ってる?」

ユーリ「もちろん知ってるよ」

「じゃ、速度の定義は何?」

ユーリ「定義の定義は何?」

「定義の定義は、言葉の厳密な意味のこと。まぜっかえして時間稼ぎするなよ。速度の定義は?」

ユーリ「ちぇっ……うーんとね、速度の定義は、速いとか遅いとか……じゃだめだよね」

「だめだね」

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(2013年8月23日)

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書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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